Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

雛人形展

2022年02月25日 19時12分09秒 | 小旅行・美術館訪問

 今日は、近くの市の笠間市公民館という所で行われている雛人形展に行ってきました。

 妻が、今、笠間市公民館という所で雛人形展が行われているということを聞きつけてきたものですから、今日はお天気も良く、暖かくなってもきましたので、行ってみるかということになり、さっそく出かけたわけです。

 展示室の入り口には、次のようなことが書かれていました。

 

「笠間市在住の國井暠一さんより雛人形47点を寄贈していただきました。國井さんの出身は山形県河北町。河北町は江戸時代に紅花交易により栄え、京都交易の際に購入した雛人形を國井家で代々保存されてきました。

 雛人形は江戸時代中期から末期時代につくられた大変貴重なものです。市民の皆さんに見ていただけるよう、雛祭りの時期に合わせて、市施設で展示します。」

 

 その展示光景は次のとおりです。

 

 


染付 鳳凰文 中皿

2022年02月24日 16時28分47秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 鳳凰文 中皿」の紹介です。

 先日、といっても4日前の2月20日のことですが、骨董市で「伊万里 染付 唐人竹文 中皿」を買い、それは既に紹介したところです。

 ただ、その「伊万里 染付 唐人竹文 中皿」はたまたま安く手に入りましたので、軍資金にまだ余裕が残りましたから、まだ何か買えそうだな~と、その後、ネットショップを覗いていましたところ、この「染付 鳳凰文 中皿」が売られていることを発見してしまったわけです(~_~;)

 売値を見ますと、残りの軍資金で買える値段なものでしたから、さっそく一昨日に注文をし、今日、届いたものです。

 この「染付 鳳凰文 中皿」は、ご覧のように、よく図録等に登場してくる名品です。ただし、無疵ならば、、、(笑)。

 本来なら、このような皿の無疵のものは、私の乏しい軍資金の残額程度では買えるわけがないのですが、幸いにも、盛大な補修がありましたので買えたわけですね(笑)。

 もっとも、その盛大な補修(金継ぎと鎹留め)も、ここまで大胆に盛大に行われますと、一つの見所と言えなくもありません(笑)。

 その見事なまでの金継ぎと鎹留めの技法も鑑賞いただければ幸いです(^_^)

 

 

表面

口縁部は鍔縁状になっていて、口縁には鉄釉が塗られています。

 

 

表面の左上部の拡大

 

 

表面の右下部の拡大

 

 

側面

 

 

裏面

 

 

やや斜め上から見た裏面

 

 

裏面の上部の拡大

 

 

裏面の高台内部の拡大

銘: 古人(いにしえびと)銘

 

 

裏面の下部の拡大

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期(元禄期(1688~1703)前後)

サ イ ズ : 口径;18.8cm 底径;11.5cm


ワクチン接種(3回目)

2022年02月21日 08時57分11秒 | その他の日記

 昨日は、ちょっと忙しい日でした。

 昼過ぎまでは骨董市会場などで過ごしていましたが、夕刻にはコロナワクチンの接種会場に、、、。

 そこで、予約していた接種を受けてきました。

 

 

 

 ワクチン接種も3回目ともなりますと、接種する側も、接種を受ける側も、随分とリラックスしてきていて、以前のような緊張感を漂わせていないように感じました。インフルエンザの予防注射光景という感じですね。

 副反応は、個人差があるでしょうけれど、私の場合は、以前の2回の接種の時よりも軽いようです。

 3回目の接種後15~16時間が経過した現在、殆ど症状が見られません。以前の2回とも、接種した箇所に若干の痛みがあり、接種したほうの腕を上げ下げする際に肩付近に少しの痛みを感じましたが(その痛みも半日ほどで無くなりましたが)、今回は、それもありません。接種した箇所に若干の炎症感を感じ、接種したほうの腕の肩付近にいくらかのダルサを感じる程度です。

 これで、まぁ、一安心というところではありますが、コロナも早く収束してほしいものです。


骨董市と古美術品交換会

2022年02月20日 21時09分56秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、月に1回の、定例の、骨董市と古美術品交換会の日でした。

 今日は朝から雨でした。でも、天気予報によりますと、だんだんと天気は回復し、晴れ間も見えるようになるだろうということでしたので、それを信じ、また、そのような天気予報なので、多分、骨董市も中止にはならずに開かれているだろうと予測し、先ずは骨董市へと出発です。

 案の定、骨董市は開かれていました。しかし、まだ、雨脚が強かったものですから、業者さんはテントを張ってはいましたが、テントの中に品物を積みあげているだけで、広げていません(~_~;)

 それでは、開催されていても意味がありません(><) でも、品物を少し広げている業者さんもいますので、それらの品物を眺めることはできました(^_^) しかし、それではたかがしれたものですよね(~_~;) それで、やむなく、そこは、早々に退散することとし、次なる古美術品交換会会場へと向かいました。

 古美術品交換会のほうは、暖かくなってきたこともあり、また、コロナにもさほどの恐怖感を感じなくなってきたのか、最近よりもかなりメンバーの出席者多く、雰囲気的にもかなり盛り上がりました。

 しかし、私のコレクションの対象となる伊万里系は、幕末~明治のものばかりで、買う気になれず、結局は1点も競り落としたものはありませんでした。また、早く終わってしまいました。

 そこで、天気も回復し、晴れ間も見えるようになりましたので、先ほど、殆ど見ていなかった骨董市にもう一度戻って古伊万里を探してみようと考えました。せっかく骨董市と古美術品交換会に出向いたのですから、1点くらいは古伊万里をゲットしたいと思ったからです(^_^)

 結果は正解でした(^-^*)

 古伊万里を1点ゲット出来ました(^-^*)

 それは、江戸・天明期の「染付 唐人竹文 中皿」です。

 もっとも、この中皿は安かったからでもありますが、、、(^_^)

 ということで、今日は、古伊万里を1点ゲット出来ました(^-^*)

 

 

伊万里 染付 唐人竹文 中皿

 

表面

竹文の描き方がユニークで、天明期頃によく見られる文様です。また、天明期頃以外

には見られない文様でもありますから、製作年代の特定に役立ちます。

 

 

裏面

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代後期(天明期(1781~88)頃)

サ イ ズ : 口径;18.8cm 底径;11.3cm


「天才」

2022年02月19日 18時07分10秒 | 読書

 このところ、ブログでの古伊万里の紹介が生活の中心となり、そのための準備などに時間を取られ、読書は殆どしていませんでした(~_~;)

 しかし、紹介すべき古伊万里のストックも枯渇してしまいましたので、また、読書を続けることといたしました。

 そんななか、石原慎太郎さんが亡くなり、それを契機に、新聞などで石原慎太郎さんの著作物が何冊か紹介されるようになりました。

 そのうちの1冊に「天才」という小説が紹介されていたわけですが、それを読んでみようと思いたち、さっそく、図書館から借りてきたわけです。

 

石原慎太郎著 幻冬舎 2016年1月第1刷発行

 

 もっとも、「天才」につきましては、以前から、その存在は知ってはいましたが、何故か、石原慎太郎さんがご存命中には読む気になれずにいたものです。

 

 ところで、ご承知のとおり、「天才」は、石原慎太郎さんが田中角栄氏に成り代わって、第1人称で書いたものですね。

 田中角栄氏につきましては、あまりにも有名ですから、いろんなエピソードも含めて、広く知られているところですので、ここでの内容の紹介は省略したいと思います。

 ただ、この本を読んだ感想としましては、現代政治史の一端を勉強させてもらったな~という印象でした。

 なお、この「天才」には、最後に、「長い後書き」という部分があり、ここに、石原慎太郎さんの田中角栄氏評が書かれていますので、そのうちの一部を紹介し、この本の紹介とさせていただきます。

 

「特に通産大臣として彼が行った種々の日米交渉が証するものは、彼はよい意味でのナショナリスト、つまり愛国者だったということだ。彼は雪に埋もれる裏日本の復権を目指したように、故郷への愛着と同じようにこの国にも愛着していたということだ。

 アメリカのメジャーに依らぬ資源外交の展開もその典型だと思う。

 そしてそれ故にアメリカの逆鱗に触れ、アメリカは策を講じたロッキード事件によって彼を葬ったのだった。私は国会議員の中で唯一人外国人記者クラブのメンバーだったが、あの事件の頃、今ではほとんど姿を消してしまった知己の、古参のアメリカ人記者が、アメリカの刑法では許される免責証言なるものがこの日本でも適用され、それへの反対尋問が許されずに終わった裁判の実態に彼等のすべてが驚き、この国の在り方に疑義を示していたのを覚えている。そして当時の私もまた彼に対するアメリカの策略に洗脳された一人だったことを痛感している。

 彼のような天才が政治家として復権し、未だに生きていたならと思うことが多々ある。・・・・」(P.207~208)

 

「いずれにせよ、私たちは田中角栄という未曾有の天才をアメリカという私たちの年来の支配者の策謀で失ってしまったのだ。歴史への回顧に、もしもという言葉は禁句だとしても、無慈悲に奪われてしまった田中角栄という天才の人生は、この国にとって実は掛け替えのないものだったということを改めて知ることは、決して意味のないことではありはしまい。」(P.216~217)