Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

伊万里 染付墨弾き梅花文輪花小皿

2020年07月31日 13時41分56秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付墨弾き梅花文輪花小皿」の紹介です。

 これは、昭和54年に入手したもので、前回紹介した「伊万里 染付東屋山水文小皿」とは違って、ちゃんと五客組になっています(^-^;

 前回紹介した「伊万里 染付東屋山水文小皿」については、有田の窯のものではなく、志田窯のものではないだろうかというご意見をいただきましたが、これも、志田窯のものかもしれません。

 ただ、志田窯というものの存在が一般的に知られるようになりましたのは、「伊万里 志田窯の染付皿 ー江戸後・末期の作風をみるー」(小木一良・横粂 均・青木克巳著 里文出版 平成6年10月25日発行)という本が発行されてからのことですから、この小皿を買った時点では、私は、これを、有田製の「古伊万里」と確信して買ってはいるわけですね(^^;

 この「伊万里 志田窯の染付皿 ー江戸後・末期の作風をみるー」という本も、買った頃に一度読んでいるだけで、今では、内容もほとんど忘れてしまいましたので、また読み返して勉強しようと思っています。

 では、次に、「伊万里 染付墨弾き梅花文輪花小皿」を紹介いたします。

 

 

表面

 

 

裏面

 

 

表面(5枚を代表して)

 

 

裏面(5枚を代表して)

 

製作年代: 江戸時代後期(1800~1840年代)(文化・文政・天保年間)

サ イ ズ : 口径;10.5cm  高台径;6.2cm

 

 


 

追記(令和2年8月5日)

 久しぶりに、「伊万里 志田窯の染付皿 ー江戸後・末期の作風をみるー」(小木一良・横粂 均・青木克巳著 里文出版 平成6年10月25日発行)を読み返しました。

 そこには、志田窯の製品には次のような特徴があることをが書かれていました。

① 染付の発色効果を上げるため、素地に白化粧(エンゴベー)を施している場合が多いこと。

② 主文様のみを絵画調に大胆に描き、主文様の他に他の文様を添えない場合が多いこと。

 

 その特徴に照らし合わせますと、この小皿には上記の①と②の特徴が見られませんので、志田窯の製品ではないように思われます。


伊万里 染付東屋山水文小皿

2020年07月30日 10時17分43秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付東屋山水文小皿」の紹介です。

 この小皿は、昭和52年に手に入れたものですが、何故か4枚です(-_-;) 多分、数が5枚になると、五客揃いとなり、値段も高くなるので、半端な数の4枚だけあったもののすべてを買ったからでしょう。

 当時、正式な(?)古伊万里は元禄・享保以前のものとされ、それ以後のものは幕末物とされて相手にされず、値段も安く出回っていました。

 当時の私は、古伊万里コレクターとしては駆け出しで、とても、とても、正式な(?)古伊万里である、いわゆる筋物の古伊万里などは買えなかったものですから、このような幕末物を買ってきては、古伊万里の勉強をしていたわけですね。

 そんなことで、本来なら、このような物を、わざわざこのブログで紹介するのはおこがましいのですが、当時、どのようなものが市場に出回っていたのかを知るうえでは、多少は参考になるのかなと考え、紹介することとした次第です。

 この小皿は、今でも、よく、骨董雑誌などに登場しますし、現に、骨董市などにも登場してきますね。

 この小皿は、当時は幕末物と言われていたわけですが、正に、その名の通り、幕末に近い頃に作られたものと思われます。1820~1860年代頃にかけて作られたものと思われます。

 また、当時、かなりの人気があったとみえ、長年にわたって数多く作られたのでしょうね。今でも骨董市などに登場するくらいですから、、、。

 今回、ここに紹介するに際し、我が家には、4枚しかないことに気付きましたので、今度、もう1枚買ってきて5枚とし、是非、五客組にしようと思います(^-^;

 

表面

 

 

裏面

 

 

表面(4枚の代表)

 

 

裏面(4枚の代表)

 

 

製作年代: 江戸時代後期(1820~1860年代)

サ イ ズ : 口径;10.1cm  高台径;5.9cm

 

 


 

追記(令和2年8月5日)

 久しぶりに、「伊万里 志田窯の染付皿 ー江戸後・末期の作風をみるー」(小木一良・横粂 均・青木克巳著 里文出版 平成6年10月25日発行)を読み返しました。

 そこには、志田窯の製品には次のような特徴があることをが書かれていました。

① 染付の発色効果を上げるため、素地に白化粧(エンゴベー)を施している場合が多いこと。

② 主文様のみを絵画調に大胆に描き、主文様の他に他の文様を添えない場合が多いこと。

 

 その特徴に照らし合わせますと、この小皿には上記の①と②の特徴が見られますので、志田窯の製品であるように思われます。


戦の国(いくさのくに)

2020年07月29日 14時25分13秒 | 読書

 「戦の国(いくさのくに)」(冲方丁(うぶかた・とう)著 講談社 2017年10月18日第1刷発行)を読みました。

 

 

 この本は、

 ① 覇舞謡(はぶよう)

 ② 五宝の矛(ごほうのほこ)

 ③ 純白き鬼札(しろきおにふだ)

 ④ 燃ゆる病葉(もゆるわくらば)

 ⑤ 真紅の米(しんくのこめ)

 ⑥ 黄金児(おうごんじ)

の六つの中編を一冊にまとめたものです。

 

① 覇舞謡(はぶよう)

 これは、織田信長の桶狭間の戦いを内容としたものでした。

 桶狭間の戦いのほんの数日前から当日までの出来事を詳しく書いたものです。

 短期間の出来事を、ぎゅっと凝縮して書いてありましたので、それだけに、緊迫感が伝わってきました。

 

② 五宝の矛(ごほうのほこ)

 この中編は、上杉謙信の生涯について書かれたものです。

 当然ながら、川中島での武田信玄との五度にわたる戦いについても書いてありました。

 川中島で五度にわたる戦いがあったわけですが、実際に両雄が決戦したのは四度目の戦いの時の1度だけだったとのこと、、、。

 著者は、その1度の決戦のために上杉謙信が見出した戦法を「五宝の矛」と称しているわけで、その内容を次のように書いています。

 

「……輝虎(上杉謙信のこと)が見出し、人生の最後まで磨き続けた第五の宝は、たちまち天下に広まった。

 兵種別編成による隊形は、相対した者たちの間で知られ、北陸のみならず東海一帯における常道となった。織田氏のもとでは明智光秀をはじめ各将が取り入れ、豊臣秀吉が天下を取る頃には、全国の大名がその軍法をもとに軍役を整えるに至った。さらには朝鮮の役でも日本独自の隊形に遭遇した朝鮮の官軍が、その驚異的な侵攻力を見せる隊形を学び、取り入れたという。

 徳川幕府の時代においてもその隊形は踏襲され、軍学の一端を担った。幕末の戦いにおいても輝虎が磨いた隊形は東西にわたり一般的なものとして用いられ、ついには、大日本帝国軍の基本隊形として、受け継がれていったのである。  (P.92) 」

 

③ 純白き鬼札(しろきおにふだ)

 これは、明智光秀が越前国・一乗谷で温和に過ごしていた頃から、本能寺の変を起こした時までのことを書いたものでした。

 一般に、明智光秀が本能寺の変を起こしたのは、信長から折檻されたので、その腹いせに行ったものであるように言われていますが、それについては、著者は反対で、次のようなことだったのであろうと書いてます。

「 信長は、国内を統一した後は海外に進出するつもりでいた。信長としては、光秀は、もともとは血と泥にまみれることには似合わない人物であり、もとの温和な英才に相応しい能力を国内の経営に注いで欲しいと思っていた。それで、もう戦いには赴かなくともよい旨を告げたが、光秀が、強く反発し、是非戦いに加えてほしい旨を訴えたので折檻したものである。」

 

④ 燃ゆる病葉(もゆるわくらば)

 この中編は、大谷刑部吉継について書かれたものです。

 大谷刑部吉継について書かれたものは少ないですから、珍しいかもしれません。

 この中編の内容は、関ヶ原の戦いの際、大谷刑部吉継は、当初は東軍についたわけですけれど、石田三成に説得されて途中から西軍につくわけですが、何故、石田三成側につくに至ったのかの経緯が詳しく書かれていました。

 

⑤ 真紅の米(しんくのこめ)

 これは、関ヶ原の戦いの際、突如、西軍を裏切って西軍の大谷刑部吉継の部隊に襲いかかり、関ヶ原の戦いの勝敗を決定付けた小早川秀秋について書かれたものでした。

 小早川秀秋については、普通、若年で未熟、小心者のように書かれますが、けっしてそうではなかったと書いています。

 関ヶ原の戦いの後、徳川家康によって、筑前30万石から備前・美作55万石に加増されます。

 小早川秀秋は、領国経営にその能力を発揮し始めますが、それに脅威を感じ始めた家康は、密かに、毒見役の目をくぐらせ、米の中に毒を入れ、毒殺させたと書いてありました。

 

⑥ 黄金児(おうごんじ)

 この中編は、豊臣秀吉の子の豊臣秀頼について書かれたものです。

 秀頼も、普通は、母親の茶々に保護されて育ったひ弱な武将のように書かれます。

 著者は、本当は、体格もよく、文武両道に優れたカリスマ性を具えた武将であったとしています。

 徳川家康は、その存在に恐れをなし、秀頼を抹殺しなければ徳川家の未来はないことを悟り、なんとしても秀頼を亡き者にしようと画策します。

 普通の本では、その画策に対抗したのは、実権を握っていた茶々などとしていますが、著者は、実際は、若き秀頼であったとしています。


伊万里 染付柳文そば猪口

2020年07月27日 14時55分51秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付柳文そば猪口」の紹介です。

 このそば猪口は、昭和54年に、地方都市のちゃんとした古美術店から買ってきたもので、当時8,000円でした。今よりも高かったような気がします(-_-;)

 というのも、このそば猪口の口縁には大きなソゲがあったからです。例によって、疵物だったわけですね。そんな疵があるのに8,000円というのは、今思うと高かったように思うんです。

 当時、元禄・享保くらいまでの伊万里を「古伊万里」と言い、その後のものは幕末物と言われて相手にされなかったわけですが、それでも、元禄・享保からは外れても、それに近いものは高かったわけですね。

 このそば猪口も、元禄・享保とまではいかなくとも、それに近い江戸中期の終わり頃の「宝暦」くらいはあるであろうとして売られていました。

 私も、そんなところだろうなと思い、参考資料とする意味も込めて買ってきたわけです。

 ところで、世の中には、そば猪口をコレクションの中心とする「そば猪口コレクター」なる方々がいるんですよね。また、そのような「そば猪口コレクター」が中心となって、そば猪口に関する研究も飛躍的に進んできたようです。

 私は、「そば猪口コレクター」でもないので、特に、そば猪口に関心はないんですが、江戸期のそば猪口も古伊万里の一種ではありますから、時々は、そば猪口にも関心は寄せてはいるんです。

 最近、「そば猪口コレクター」の大家でもある越前屋平太さんのブログを読んでいましたら、このような広東形のそば猪口は、中国の清朝磁器の影響を受けて、江戸後期の天明期頃から作られるようになったと書かれていました。

 私は、このそば猪口を買った時点では、江戸中期の終わり頃の「宝暦」くらいの作であろうと思って買ったわけですが、現実には、それよりも遅い、江戸も後期に属する「天明」くらいの作ということになるようです。

 それを知って、ますます、高く買い過ぎたな~という感を強くしたところではありますが、考えてみたら、古伊万里は、今よりも当時の方が高かったということだったんですね。

 また、前置きが長くなりました。次に、その、「伊万里 染付柳文そば猪口」を紹介いたします。

 

 

正面

形は、広東形と言われるものです。

 

 

正面の反対面

口縁の右側に大きなソゲの修復痕が見えます。

接着剤などを使用して修復しましたので、今では変色してしまいました(><)

 

 

見込み面

 

 

 

底面

 

 

製作年代: 江戸時代後期(天明期)

サ イ ズ : 口径;8.0cm  高台径;4.5cm  高さ;6.0cm


伊万里 染付松竹梅文鉢

2020年07月26日 13時24分18秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付松竹梅文鉢」の紹介です。

 この鉢は、昭和54年に、田舎の骨董屋から手に入れたものです。

 見込みの周辺部分の、松や竹や梅を描いた部分がメチャメチャに割れていて陶片状態でしたが、私が、接着剤で貼り付け、辛うじて器の形にしたものです。

 さすがに値段も安かったですが、タダではなく、1,500円を支払っています(-_-;)

 当時、「元禄・享保」くらいまでの伊万里しか「古伊万里」の仲間入りをさせてもらえなかったわけで、それ以後の伊万里は、十把ひとからげで「幕末物」とされてはいましたが、それでも、さすがに、本当の幕末近くのものよりは、「元禄・享保」を少し下ったもののほうが古格もあり、値段も高かったのも事実です。

 古伊万里を勉強中だった私としては、当時の本当の「古伊万里」と言われたものを買って勉強しようとしても、「元禄・享保」以前のものは高くて買えないものですから、今度は、「元禄・享保」を少し下ったもの、しかも疵物を買って勉強しようと思ったわけですね。

 涙ぐましい努力のサマが伺われます(^^;

 そうした奮闘・努力の甲斐あってか、この鉢は、「元禄・享保」(1688~1735)までには達しませんが、「元禄・享保」に近い「宝暦」(1751~1763)くらいはあるのではないかと思っています。

 

内側面

見込みの周辺部には松、竹、梅が描かれています。

 

 

見込みの周辺部に松が描かれている部分

 

 

見込みの周辺部に竹が描かれている部分

 

 

見込みの周辺部に梅が描かれている部分

 

 

 

側面

 

 

底面

高台内の銘「富貴長春」

 

 

製作年代: 江戸時代中期(宝暦年間頃)

サ イ ズ : 口径;15.2cm  高台径;8.9cm  高さ:4.9cm