「山桜記(やまざくらき)」(葉室 麟著 文藝春秋 2014年1月第1刷発行)を読みました。
この本のタイトルは「山桜記(やまざくらき)」となっていますが、内容は、次の7つの短編から構成されていました。
① 汐の恋文
② 氷雨降る
③ 花の陰
④ ぎんぎんじょ
⑤ くのないように
⑥ 牡丹咲くころ
⑦ 天草の賦
今回、この本につきましては、それぞれの短編がそれぞれ独立していたこともあり、一気に読んだのではなく、のんびりと読んでいたものですから、全部読み終えるのに2ヶ月以上もかかってしまいました(><)
それで、最初の頃に読んだ内容は忘れかけてしまいました(~_~;)
そんなことで、この本の内容の紹介は、ごく簡単にいたしたいと思います(~_~;)
「① 汐の恋文」について
物語は、「油紙に包まれた黒漆塗りの小箱が、九州、博多の津に打ち上げられた。浜で拾った漁師が紙を開いてみたところ、蒔絵がほどこされた立派な文箱が出てきた。驚いた漁師は、あわてて地元の役人に届け出た。」というところから始まります。
当時は、豊臣秀吉が朝鮮に兵を出した文禄の役の時で、軍船の渡海が相次いでなされていましたが、悪天候が続いて難破する船も多くあったようで、小箱はそうした沈んだ船から流れ着いたものと思われました。
その小箱には書状が入っていて、その中身は、役人が調べたところ、肥前佐嘉の大名龍造寺政家の家臣瀬川采女の妻が、戦地にいる夫へ宛てたラブレターだとわかりました。
そして、そのラブレターは豊臣秀吉のところにまで届けられ、一悶着起こすという内容でした。
「② 氷雨降る」について
九州の島原半島に4万石を領する有馬晴信(キリシタン洗礼名ドン・ジョアン)とその妻(京の公家中山親綱の娘・キリシタン洗礼名ジュスタ)に関する物語でした。
「③ 花の陰」について
細川忠興の嫡男忠隆とその妻千世(前田利家の娘)に関する物語でした。
細川忠興は、嫡男忠隆の妻千世が、関ヶ原の戦いの折、細川忠興の妻ガラシャ夫人を連れて前田屋敷に一緒に逃げなかったことを理由に、忠隆に妻千世を離縁するように申しつけますが、忠隆はそれに従いませんでした。それで、忠興は忠隆を廃嫡します。
廃嫡された後、忠隆は祖父幽斎の庇護を受けて生活していましたが、幽斎没後はその庇護を受けられなくなりました。そこで、娘たちの将来を考えた千世は、忠隆と話し合ったすえ、離縁して加賀に戻りました。
それにより、忠隆は、細川家から3千石の隠居料が送られるようになり、茶の湯と能に通じて風雅の道を歩み、数奇者の名を高くしていったということです。
一方、千世は、加賀に戻ると、村井長次に再嫁したということです。村井家では子を生さず、嫁して3年後に長次は亡くなりましたが、千世は、養子、養女にかしずかれ、母芳春院(まつ)に孝養を尽す穏やかな生涯を送ったとのことです。
なお、この短編のタイトルの「花の陰」の「花」とは、ガラシャ夫人のことのようです。
「④ ぎんぎんじょ」について
龍造寺隆信(龍造寺家当主)の母慶誾尼は、隆信没後、49歳の時、家臣の鍋島清房のところに押しかけて妻となります。それによって、竜造寺家当主龍造寺政家(隆信の子)の祖母となり、鍋島家当主鍋島直茂(清房の子)の母ともなったわけで、竜造寺家と鍋島家との内紛を未然に防いだ大人物でした。
鍋島直茂の妻彦鶴とそのような大人物の慶誾尼との日々のやりとりを綴った内容でした。
「⑤ くのないように」について
加藤清正の娘「八十姫」に関する物語でした。
八と十の間には、本来は九があるわけですが、清正は、苦労がないようにと願い、九を除いた八十という名前を付けたということです。
八十姫は、徳川家康の十男徳川頼宣(紀州和歌山初代藩主)に嫁しますが、子には恵まれなかったようです。しかし、側室が生んだ光貞を嫡母として心豊かに養育したので、光貞は八十姫を実の母のように敬慕したということです。光貞の四男が後に八代将軍となる吉宗です。
「⑥ 牡丹咲くころ」について
いわゆる「伊達騒動」を扱ったものでした。
「⑦ 天草の賦」について
「天草の乱」に「黒田騒動」を絡めた内容のものでした。
「黒田騒動」の際、幕府によって天下に生き恥を晒された黒田長政の嫡子黒田忠之は、天草の乱を汚名挽回の好機とばかりに奮闘し、一番の手柄をあげますが、その時、こっそりと、落城する原城から天草四郎が脱出するのを見逃します。そして、一人静かに、恥をかかせた幕府に逆らったことへの喜びを噛みしめ、溜飲を下げたというお話です。
なお、この短編の中に、黒田如水が有岡城に幽閉されていたおりに牢番を務めていた者の子を後に如水が養子としてしていることが書かれていました。その者は、黒田美作という人物で、武芸に長じ、黒田八虎の一人に数えられ、黒田家の重臣となったようですね。