Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

色絵 くらわんか中皿

2021年03月19日 14時40分18秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 くらわんか中皿」の紹介です。

 これは、平成3年に、東京・平和島の「全国古民具骨董まつり」会場から連れ帰ったものです。

 「くらわんか」の中皿は珍しいですし、しかも、色絵の「くらわんか」はもっと珍しいですから、喜んで連れ帰りました(^-^*)

 

表面

 

 

裏面

 

 

生 産 地 : 肥前 波佐見

製作年代: 江戸時代後期

サ イ ズ : 口径;19.0cm  高さ;4.3cm  底径:9.3cm

 

 

 

  なお、この「色絵 くらわんか中皿」につきましては、当ブログにも、令和2年(2020)5月9日付けの『「初期伊万里の小皿」と「くらわんか手の小皿」』という記事の中にもチラット登場させていますが、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に詳しく紹介していますので、ここで、次に、その紹介文を再度掲載し、この「色絵 くらわんか中皿」の紹介に代えさせていただきます。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー130 古伊万里様式色絵くらわんか中皿 (平成21年2月1日登載) 

 

 このくらわんか皿は、平成3年に東京都内の某骨董市で買ったものである。

 もっとも、このような下手の物は、都内の一流の古美術店などでは取り扱っていないから、当然といえば当然のことかもしれない。

 だいたいにおいて、このようなお皿は、一流の古美術店のツンと澄ましたような場所には似合わない。雑踏の中の生活感あふれるような場所に在ってこそ似つかわしい。 だからというか、案の定というか、やはりというか、このお皿は、当然ながら、骨董市で売られていたわけである。

 この手の物は、雑然とした中にゴチャゴチャと置かれているから、目立つようなものではないが、それでも、このお皿には色絵が付けられていたので、多少は存在感を示していた。

 このお皿を売っていた店主も、「くらわんかに色絵を付けたものは珍しいですよ!」と言っていたので、「それもそうだな」と思い、購入に及んだものである。

 それにしてもこのお皿、かなり分厚く作られていて、ズシリと重い。 また、相当に使用されたとみえ、無数の細かな擦り傷はみられるが、欠けとかホツ、貫入などがみられない。

 「備前擂鉢、投げても割れぬ」と言われているが、「くらわんかお皿は投げても割れぬ」とも言えそうである。丈夫いっしきであり、長く庶民の食卓を豊かに支えてきたことであろう。

 

江戸時代後期     口径:19.0cm   高台径:9.3cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌65 古伊万里との対話(くらわんか皿)  (平成21年1月筆)

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  安 子 (古伊万里様式色絵くらわんか中皿)

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今日はどんな物と対話をしようかと押入れ内をガサゴソとさせていたが、ちょっと変わった物を見つけ出したようで、さっそく引っ張り出してきて対話をはじめた。

 


 

主人: 暫くぶりだね。

安子: はい。お久しぶりです。

主人: お前には悪いけど、お前は何時見ても見栄えがしないね。ぱっとした華やかさがないんだよね。

安子: ・・・・・・・・・・。そう言われますとつらいです。生まれつきの運命ですから・・・・・。やむをえないんです・・・・・・・・・・。

主人: それもそうだな。お前は「くらわんか手」だものな。
 そもそも「くらわんか手」は、鍋島藩の「肥前皿山有田郷」の産ではなく、お隣りの大村藩の「波佐見」の産だし、コストを削減して大量生産し、安価な日常食器として市場に進出していったもののようだからね。だから、人によっては、「くらわんか手」を「古伊万里」に仲間入りさせないんだよ。私は、肥前地域一帯で作られた磁器全般を総称して「古伊万里」と分類しているから、「古伊万里」に仲間入りさせているがね。

安子: 「くらわんか手」には、「古伊万里」の仲間入りをさせてもらえないような特徴というか、特別なことでもあるんですか?

主人: そうだね、とにかく大量生産し、また、原価を安く抑えようというところから、徹底的にコスト削減に取り組んでいるね。その結果、次のような特徴が見られるかな。

① まず、胎土が悪いね、胎土の質が。それに釉薬の質も悪いから、出来上がった物はネズミ色っぽくなっていて汚らしい。

② 素焼の手間を省き、生掛け焼成としている。

③ 歩留まりを良くするために分厚く成形されている。分厚い成形にして高台のヘタリを防止し、針支えをする手間を省いている。

④ また、窯の焼成効率を高めるために重ね焼きしている。そのため、見込みを蛇の目状に釉ハギしている。

⑤ 絵付けは簡素で、最低限の簡単なものにしている。

安子: 私はこれらの特徴を全部備えていますね。典型的な「くらわんか手」ですね。

主人: そうだ。典型的な「くらわんか手」だ。でもね、一つだけ疑問を感じる点があるんだ。お前には色絵が付けられているだろう! 徹底的なコスト削減を目指した「くらわんか手」にしては異例のことだ。なぜわざわざコストの掛かる色絵を付けたのか疑問に感じるんだよ。

安子: 後絵なのでしょうか?

主人: うん。私もそれを考えてみた。
 でもね、どうもそうでもないみたいなんだ。お前には無数の使用擦れの傷跡があるんだが、それをルーペを使って見てみると、その使用擦れの傷は色絵の上から付いているんだよ。つまり、色絵を付けた後に使用された傷跡なわけだ。もっとも、後絵をした後に、その上からグラインダーなどを使って擦れ傷を作ったということも考えられるが、そもそもお前にはそれほどの骨董価値はないからね。そこまでの手間をかけて後絵を偽装する必要もないと思うんだよ。
 柿右衛門なんかによくあるんだな。古い乳白手の上質な白磁を買ってきて、それに古そうな見事な柿右衛門の後絵を付けるんだ。うまくやると十倍にはなって、白磁の元値が10万円だったとしても100万円ぐらいで売れるわけだ。そういう場合には一生懸命、細かな擦り傷を付けたりの努力もするわね。お前の場合は、そこまでの小細工を弄しても、その努力に見合う見返りがないということだ。
 まっ、コスト削減を目指した「くらわんか手」にも、こんな例外もあるということかな。

安子: ところで、どうして私のようなものを「くらわんか手」というのでしょうか。

主人: 「くらわんか手」の由来だね。それはね、江戸時代、淀川を三十石船などが行き来していたが、特に枚方を中心に上下4km付近を通る三十石船などの乗客に、餅・汁・酒などを商っていた小舟があったそうだ。その小舟の売り子が、「餅くらわんか!」、「ごんぼ汁くらわんか!」、「酒くらわんか!」などとの汚い言葉で三十石船などの乗客に食べ物を売りにきたんだそうな。それが有名になり「くらわんか舟」と呼ばれるようになったわけだね。その「くらわんか舟」で使われていた粗製の安価な食器が波佐見焼だったわけで、そのことから、波佐見焼全般が「くらわんか手」と言われるようになったらしい。

安子: そうでしたか。そんな由来があったんですか。

主人: 現代においても、それに近いような話があるね。
 信越本線に横川駅と軽井沢駅という駅があるが、その横川駅と軽井沢駅との間は、平成9年に廃線になってしまったけれど、それ以前にはつながっていた。横川駅から軽井沢駅間には急勾配の碓氷峠があって、横川駅で、碓氷峠越え専用の機関車を連結して峠越えをしていた。この専用の機関車の連結時間を利用して「峠の釜めし」という駅弁が売られていたんだ。
 私も、若い頃、長野方面に出張などで出向いた際は、横川駅でよく「峠の釜めし」の駅弁を買ったものだし、また、買うのを楽しみにもしていた。その釜めしの容器というのは栃木県の益子焼なんだ。皆さん、その容器は、食べ終わると列車内に放置していったね。つまり、使い捨てなわけだ。昔、江戸時代の淀川で使用された「くらわんか手」の器が使用後は淀川に投げ捨てられていたのと同じだね。もっとも、その釜めしの容器を持ち帰る者もいるよ。私もいくつか自宅に持ち帰ったことがあるが、持ち帰るまでが結構重たいので大変だし、持ち帰ってもあまり利用価値がないので結局は捨てるハメにおちいったね。
 ところでその「峠の釜めし」、現在では、横川駅と軽井沢駅間が廃線となってしまったので、横川駅ではほとんど売れないそうだが、横川駅近くの国道18号線沿いのドライブインをメインに、長野県・群馬県を中心としたドライブイン等で相当数売られていて、今では、「駅弁」というよりは「郷土弁当」といった感じで健闘しているようだし、今後もその健闘ぶりは続きそうだ。
 そうだとすると、後世、「峠の釜めし」の容器を作った益子焼は、全般的に「釜めし手」というように呼ばれるかもしれないね。

安子: そうかもしれませんね。名称の由来なんかは、調べてみると面白いですね。

 

 

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追記 (H21.2.14)

 その後、「くらわんか手」は、使い捨ての器ではなかったのではないだろうか、というような見解等に接しました。

 ↑では、私も、お話として、面白おかしくなるように、「くらわんか手」が使い捨てであったかのように書きましたが、実際は、使い捨てではなく、大切にされてきたものではないかと思っている一人です。

 波佐見焼は大量生産された磁器ですが、当時、庶民にとっては、やはり、磁器は高級品であり、大切にされたものだったろうと思っているわけです。

 波佐見焼は一般庶民用に大量に作られ、その内のほんの一部は、↑のお話にある「くらわんか」用に使われたのでしょうけれど、それとて、すべて使い捨てにされ、淀川に打ち捨てられたのではなかったのではないかと思っております。
 「くらわんか」用に使われた器も、実際には、そのほとんどはリサイクルされ、何度も何度も、繰り返し繰り返し使用されたのではないかと思っております。

 もちろん、ほんの一部は、酒くらった者によって、酔いの勢いで、淀川に投げ捨てられたのでしょうけれど、、、、、。
 このような特殊な事情を、面白おかしく脚色したものが↑のようなことであって、後世、それが誇張されて、お話として残ったのではないかと思っております。

 以上、波佐見焼の名誉のためにも(?)、追記したしだいです。