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Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

アーミッシュの昨日・今日・明日

2025年03月28日 18時05分42秒 | 読書

 「アーミッシュの昨日・今日・明日」(ドナルド・B・クレイビル著 杉原利治・大藪千穂訳 論創社 2009年5月25日初版第1刷発行)を読みました。

 

帯を着せた状態

 

 

帯を外した状態

 

 

 本書は、以前に(2022年4月27日に)紹介しました「アーミッシュの謎──宗教・社会・生活」(ドナルド・B・クレイビル著 杉原利治/大藪千穂訳 杉原利治監修 論創社 1996年6月15日初版第1刷発行)の姉妹編ともいえるものとのことです。

 なお、本書も、この「アーミッシュの謎──宗教・社会・生活」と同様、翻訳者の一人であります杉原利治さんこと故玩館館主の遅生さんからプレゼントされたものです(^-^*) 遅生さん、ありがとうございました(^_^)

 ところで、本書は、次の34項目に分けて、「ペンシルベニア州ランカスター郡を中心としたアーミッシュの生活、文化の特徴とその意味を丁寧に説き明かし、アーミッシュ社会がダイナミックに変化しつつあることを示し」(P.147)ています。

 

① ランカスター郡のアーミッシュ

② 人口増加の秘密

③ 神話と現実

④ 宗教的ルーツ

⑤ アーミッシュ的価値のパッチワーク

⑥ アーミッシュの精神性

⑦ オルドヌング

⑧ 宗教儀式と実践

⑨ コミュニティ生活の構築

⑩ 家族と子供たち

⑪ 子供の誕生

⑫ 健康管理

⑬ 豊富な食べ物

⑭ 社会的集まりと休日

⑮ レジャー

⑯ 学校と教師

⑰ ラムシュプリンガ

⑱ 結構式

⑲ 土地を守る人々

⑳ 小さな産業革命

㉑ 女性起業家

㉒ 自動車の謎

㉓ トラクターと農場の機械

㉔ アーミッシュ電気

㉕ 技術の選択的利用

㉖ 社会参加

㉗ 政府、選挙、税金

㉘ 観光

㉙ アーミッシュとメディア

㉚ ニッケルマインズの悲劇

㉛ 芸術と創造的表現

㉜ 厳かな死

㉝ 再洗礼派グループ

㉞ アーミッシュ社会の未来

 

 そして、「アーミッシュ社会の未来」については、

「21世紀、アーミッシュの生活の文化的特色はどのようなものになるのか、予測はできない。しかし、一つの新しいパターンが明らかに現れ始めている。つまり、田舎の家屋敷が彼らの伝統的やり方を保つのに最適な場所であり続けるということである。もし、アーミッシュが子供たちを教育して、コミュニティにとどめることができ、彼らの魂を売り渡すことなく生計を立て、より大きな世界との交わりを制限することができるならば、おそらく彼らは、21世紀にも繁栄するだろう。しかし、アーミッシュの人口がどんどん増加するにしたがい、確かになってきたことが一つある。彼らは、伝統的生活のうちで、旧態依然とした部分の多くを変化させ、適合させ、粉みじんに打ち砕き続けるであろうということだ。(P.146)」

と言っています。

 

 また、アーミッシュの数百年におよぶ生活、文化の実践活動に対する評価と「アーミッシュ社会の未来」につきまして、本書の翻訳者の一人であり、アーミッシュ研究者でもあられる杉原利治さんこと故玩館館主の遅生さんは、本書の巻末の「解題」の中で、次のように論じています。

 

「   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 誤解を恐れずに言えば、アーミッシュは20世紀に誕生した。もちろん、歴史的には、ヨーロッパ宗教改革にルーツをもつアーミッシュにとって、外の世界との分離は当初から主要な命題であった。しかし、実際、アーミッシュと外の世界との乖離が大きくなり始めたのは、20世紀に入ってから、それも、大恐慌、ニューディール政策を経た1940年代以降である。・・・

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 20世紀は都市化の時代である。そして、都市化は消費社会をもたらした。・・・

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 アーミッシュは都市化に抵抗してきた。・・・・・・・・・・・・・

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 これまで、都市化、すなわち、生産と消費の拡大に対しては、資源・環境問題がその拡大を阻む要因として考えられてきた。しかしながら、その前に、現代社会の不安定さが極大となり、生産と消費に急ブレーキをかけている。したがって、安定と持続可能の観点から、外の世界の社会システムのあり様を再考する必要がある。その際、アーミッシュの数百年におよぶ実践は、参考になるに違いない。小規模組織に関しては、幸いにも、家族はまだ完全には解体してはいないし、地域再生の試みも各地で盛んに行われている。また、個人のレベルでは、生産と消費の仕方、すなわち、ライフスタイルを21世紀にふさわしいものにつくりかえていく必要があるだろう。そして、外の世界の社会が持続していくためには、組織には自律機能、個人には自主管理能力の回復が必須である。

 アーミッシュは、外の世界の私たちを映す鏡である。左右は逆だが、上下は同じだ。彼らは、生産と消費の両方に携わり、生産者として自分たちの足場を固めながら、注意深く生活を変化させてきた。もし、今後、私たちが日常生活において、アーミッシュのように徳と品格を身につけることができるならば、20世紀の抵抗者アーミッシュと外の世界のポストモダンとは、この21世紀に、案外、近づいてゆくのかもしれない。」

 

 以上で、本書の紹介といたしますが、本書は、歴史小説などとは違い、大変に中身の濃いものでした。それを、強引に短文に纏めてしまいました(><)

 しかも、私の理解不足もあり、本書の内容を取り違えて紹介しているのではないかと危惧してもおります(~_~;)

 そのようなことで、本書の紹介などしないほうがいいのかな~とも思ったのですが、「アーミッシュ」というものの存在を知ってもらい、興味を抱かれた方には「アーミッシュ」関連の本を読んでいただければと思って敢えて紹介することとした次第です。


脇坂安治 ~七本鑓と水軍大将~

2025年03月08日 17時03分37秒 | 読書

 「脇坂安治 ~七本鑓と水軍大将~ 」(近衛龍春著 実業之日本社 2021年9月25日初版第1刷発行)を読みました。

 

 

 

 「脇坂安治」と言われても、「どんな人物?」と思われる方も多いかと思います。私も詳しくは知りませんでした(~_~;)

 それで、まず、この本の「帯」に書かれている文言を次に紹介したいと思います。これによって、「脇坂安治」という武将がどんな人物だったのかの概略が分るかと思います。

 

「近江国の戦国武将・浅井長政に仕える脇坂甚内安治。その後、浅井を離れ織田信長の武将・羽柴秀吉のもとで頭角を現わす。本能寺の変を経て、賤ヶ岳の戦いでは敵の首を獲り、“七本鑓”の功名を立てる。大名となった安治は秀吉から水軍編成を命じられ、小田原攻め、朝鮮の役で奮闘。そして、一族の命運を分ける関ヶ原の戦いへ──。戦国時代を豪胆に、かつ綱渡りで生きぬいた武将の生きざまを描く歴史長編!」

 

 以上の文言から分りますように、「脇坂安治」は、元は、近江国の戦国武将・浅井長政に仕えていた、さほど身分の高い武士ではありませんでしたが、主家の浅井家の滅亡にともない、羽柴秀吉のもとに移っていったわけですね。

 そして、そこで頭角を現わし、ついには、賤ヶ岳七本鑓の一人に数えられるほどの功名を立てて大名となり、その後も、順調に大名の道を歩んでゆくわけですね。ただ、途中から、毛色の変わった、水軍を率いる大名とはなりますが、、、。

 なお、「賤ヶ岳七本鑓に数えられる武将で、一度も改易を受けずに明治維新を迎えられたのは安治の脇坂家だけ」(P.282)だったとのこと。「その理由は、関ヶ原の東軍参戦は裏切りに非ず」(P.282)だったからとか(関ヶ原の決戦以前に家康と接触していて、事前に家康から与えられていた書状に従っての行動だったからとか)。


家康の血筋

2025年01月12日 18時36分20秒 | 読書

 「家康の血筋」(近衛龍春著 実業之日本社 2023年2月5日 初版第1刷発行)を読みました。

 

 

 

 この本によりますと、家康には、11人の男子がいたようです。

① 長男 松平信康

② 次男 結城秀康

③ 三男 徳川秀忠

④ 四男 松平忠吉

⑤ 五男 武田信吉

⑥ 六男 松平忠輝

⑦ 七男 松平松千代(早世)

⑧ 八男 平岩仙千代(早世)

⑨ 九男 徳川義直(尾張徳川家の祖)

⑩ 十男 徳川頼宣(紀伊徳川家の祖)

⑪ 十一男 徳川頼房(水戸徳川家の祖)

の11人です。

 なお、この本では、その内の「長男 松平信康」、「次男 結城秀康」、「三男 徳川秀忠」、「四男 松平忠吉」と「六男 松平忠輝」の5人の生涯について記されていました。

 「七男 松平松千代」と「八男 平岩仙千代」については、共に「早世」ですから、記すべき内容がありませんので、省略されています。

 また、「九男 徳川義直」、「十男 徳川頼宣」及び「十一男 徳川頼房」については、それぞれ、「尾張徳川家の祖」、「紀伊徳川家の祖」及び「水戸徳川家の祖」という紹介だけで、それぞれの人物についての詳細な記述は省略されていました。

 しかし、何故か、この本では、「五男 武田信吉」については、記述されていませんでした。 

 上記しましたように、この本では、家康の男子の内の「長男 松平信康」、「次男 結城秀康」、「三男 徳川秀忠」、「四男 松平忠吉」と「六男 松平忠輝」の5人の生涯についての詳細が記されていたわけですが、私は、「長男 松平信康」と「三男 徳川秀忠」の2人については、よく、他の本にも登場していますので、彼らの生涯については有る程度は知っていましたから、特に興味は湧かなかったところです。

 でも、「次男 結城秀康」、「四男 松平忠吉」と「六男 松平忠輝」の3人については良く知らなかったものですから、興味深く読みました。この3人について詳しく書かれた本は少ないのではないかと思います。


赤備えの鬼武者 井伊直政

2024年12月03日 19時12分06秒 | 読書

 「赤備えの鬼武者 井伊直政」(近衛龍春著 毎日新聞出版 2017年4月5日発行)を読みました。

 

 

 

 内容は、彦根藩初代藩主となった井伊直政の生涯を記したものです。

 直政は、幼くして城を追われ、命を狙われ、一度は一族が滅びる憂き目を味わいましたが、徳川家康の目に留まり、家康の小姓となりました。

 その後、家康に可愛がられ、数々の武功をあげ、徳川家譜代の武将をも上回るようになり、徳川家随一の武将にのし上がっていきました。

 家康は、直政の無鉄砲な武者ぶりだけでなく、彼に備わった、外交的な能力も高く評価したようです。

 直政は、関ヶ原の戦いの際に負傷し、その傷がもとで慶長7年(1602)2月1日に42歳で亡くなるわけですが、本書では、彼の若かりし頃から亡くなるまでの波乱に満ちた生涯を、詳細に、かつ、生き生きと描いています。


「継ぐ者」

2024年10月08日 18時17分12秒 | 読書

 「継ぐ者」(上田秀人著 角川書店 2022年12月16日 初版発行)を読みました。

 

 

 

 その内容は、徳川家康とその嫡男徳川信康についての物語でした。

 徳川家康が今川家に人質となった頃から、その嫡男徳川信康が家康の命で自害させられるに至った時までを扱ったものでした。

 一般には、信康が自害させられるに至った理由としては、信康の生母の瀬名(築山殿)(今川義元の養女、今川義元の姪)と信康が武田側に通じていたことが織田信長の耳にまで達したため、信長の命で家康が信康を自害させたということになっていると思います。

 ところが、この本では、ちょと違っていました。

 信康は、生母瀬名(築山殿)の画策もあって、側室を迎えますが、信康は、だんだんとその側室を愛するようになります。ところが、その側室は一向宗の門徒でしたので、信康も次第に一向宗の影響を受けるようになっていきました。

 それを知った信康の正室の五徳姫(織田信長の娘)は、信康の側室に対する嫉妬も手伝い、それを一向宗嫌いの信長に通報します。

 それを知った信長は、信康の処分を「よきにはからえ」と、家康に委ねます。信長の真意を「信康に自害させろ」という意味であろうととった家康は、信康に自害するように命じたということでした。

 なお、信康の生母瀬名(築山殿)は、岡崎城から追放され、自害することを求められましたが、それを拒否したため、斬首となったとのことです。

 ところで、この処分に関し、筆者は、次のように記しています。

 

「以降、家康は織田信長に従って武田家を滅ぼし、その褒美として駿河一国を与えられた。

 織田家の家臣として生きていく決意をした家康だったが、信長が天正十年(1582)六月二日、明智光秀によって害されたことで大きく状況は変化した。

 織田信長というくびきをなくしたことで、家康はふたたび独立の機を得、やがて天下人へと駆けのぼっていく。

 嫡男信康を犠牲にするという判断が正しかったのか、まちがいだったのか、それをわかるのは一人家康だけであった。

 ただ徳川家の天下は二百六十年余り続き、その子孫は今も名家として続いている。  (p.402~403) 」