Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

家庭菜園作業の本格始動

2020年04月30日 19時03分22秒 | 家庭菜園

 今日は、朝から家庭菜園の作業をしてきました。

 今年も、また、家庭菜園作業の本格的な始動時期を迎えたわけです。

 例年ですと、もう少し早くから始めていたんですが、今年は、なんか、ここのところ寒くてやる気が起きなかったことと、術後、まだ2カ月くらいしか経過していないわけで、体が農作業に耐えられるかどうかの様子を伺っていたこともあって、ついつい遅れてしまっていたんです。

 そうこしているうちに、だんだんと暖かくなってきましたし、体力にも自信が持てるようになってきましたので、いよいよ、今日から決行することにしたわけです(^-^;

 今日は暖かく、初夏のような陽気で、少し汗もかきました(^-^;

 ところで、今日は、草取り作業だけで終わりにしました。

 例年ですと、草取り作業が終わった後、畑の一部に肥料を施し、ミニ耕運機で耕し、そこに里芋の種を植え付ける作業までしていたんですが、その作業は明日にまわすことにしました。

 今年からは、無理をしないで、何日かに分けて作業をしようと思ったわけです。

 というわけで、明日もまた家庭菜園作業となります。


続・ゼンマイ

2020年04月29日 16時38分43秒 | 山菜など

 前回(4月26日付け)、ゼンマイの処理方法について書きましたが、そこでは、写真付きの説明が途中で終わってしまっていますので、今回は、写真付きでその説明を補ってみたいと思います。

 

 前回は、

「 次に、この頭部の綿のような物を取り除いたゼンマイを鍋に入れ、茎がしんなりする程度になるまで茹でます。

 それからは、鍋から取り出し、新聞紙などの上に広げ、天日干しします。途中、軽く揉みながら、ひたすら干し、細い針金のような状態になるまで干せば完成です。そのため、完成した時点では、びっくりするほどに少量になります。

 なお、お天気の状態にもよりますが、干しあがるまでに、3日ほどかかるでしょうか。」

と書いたところですね。

 

 茹であがったところを鍋から取り出して広げた状態は、次の写真のとおりです。

 このような状態で、3日ほど天日干しします。

 

写真に写っている量は、採ってきたゼンマイの半分程度でしょうか、、、。

このような、生乾きの状態の際、2~3度、軽く手揉みします。

なお、天日干しする際は、風で飛ばされないように、四隅に石コロを置きます。

 

 

 下の写真は、2日間天日干しした状態です。

 お天気がよかったものですから、2日間で、ほぼ完成しました。でも、念のため、もう一日干してから密封容器に入れて保存する予定です。

 出来上がると、かなり量が減りますよね。びっくりするほど少なくなります。でも、これを食べる際は、一昼夜水の中に入れて戻しますので、量は増えます。

 

写真に写っている量は、採ってきたゼンマイの全部です。

細い針金のような状態になるまで干しますので、量は減りますね。


「頂上至極」

2020年04月29日 15時15分21秒 | 読書

 「頂上至極」(村木 嵐著 幻冬舎 2015年10月20日第1刷発行)を読みました。

 

 

 

 本の内容は、次のようなものでした。

 宝暦3年(1753)の師走、薩摩藩は、突然、幕府から、木曽川・長良川・揖斐川の「木曽三川」のお手伝い普請を命じられます。

 お手伝い普請とは名ばかりで、その実は、過酷な普請の命令です。そもそも、幕府としては、各藩の経済力を削ぐことが第一の目的ですから、普請の実施に当たっても、いろいろと条件を付けてきます。例えば、予算的にも、14万両であげよということですが、それを超えた分も、それは薩摩藩の不手際によるものだから、その分も薩摩藩が負担せよということです。

 そのお手伝い普請の命令が申し渡された際、薩摩藩内の若手藩士たちの間からは、幕府を相手に一戦を交えようとの声が大きくなりましたが、なんとかなだめ、薩摩藩としては、その申し出を受けることになります。

 そして、国家老6人中の第5番目の家老・平田靭負(ゆきえ)が総奉行になることを名乗り出、藩主から許され、現地に赴きます。

 年が明けた1月下旬には、総奉行以下藩士千数百人で工事に取り掛かりますが、現地の状況も知りませんでしたし、その地域が、幕府領、親藩尾張家領、大名に準じた家格の交代寄合衆・高木三家の支配が複雑に入り組んでいることも知りませんでしたし、ましてや、その地域の輪中に住む農民のしたたかさも知りませんでしたので、悪戦苦闘を重ねることになります。

 一年余(14カ月)で、なんとか工事は竣工しましたが、総工事費は40万両に膨らみ、その間には、33人の藩士が赤痢などの病に倒れ、53人の藩士が切腹して果てています。

 なぜ切腹するのかといいますと、工事現場等でもめ事を起こした場合、それはご法度になっていましたので、もめ事を起こした責任が藩に及び、悪くすると藩の取り潰しになりますので、もめ事を起こした藩士は、その場で、藩に迷惑が掛からないように切腹して果てるんですね。例えば、農民から愚弄されてその農民を切り捨てた場合など、その場で切腹し、同僚に介錯をたのみ、また、介錯した藩士も切腹したりするわけです。

 このように、薩摩藩は、多大な犠牲を払って、この難題を乗り切りました。薩摩藩としては、このお手伝い普請の実施は「戦(いくさ)」と認識していましたから、当面、対幕府との「戦(いくさ)」には、勝ったということですね。

 しかし、薩摩藩としては、これまでに40万両の借財を抱えて苦しんでいましたので、更に40万両の借財を抱え、合計80万両の借財に悩まされます。 

 ところで、この本の題目の「頂上至極」の意味ですが、私は、読了するまでは、工事が首尾よく終わり、目出度し目出度しの意味での「頂上至極」なのかなと思っていましたが、そうではありませんでした(-_-;)

 それは、難工事は、それこそ、「頂上至極」には終わりましたが、この「三川」を将来にわたって人間の力で組み伏せたわけではないわけで、将来、また何が起きるか分かりません。その時、幕府は、また、その当時の普請に難癖を言ってくるにちがいないことが予測されるわけです。

 それを予測した家老の平田靭負は、あえて総奉行になることを名乗り出たわけですね。そして、工事が「頂上至極」に終わった時、普請の総奉行としては、藩と幕府の間に立ち、最後にはその繋がりを絶って消えることを、最初から決意していたわけです。

 そんなことから、この先、何が起こるかもしれない不手際の分も含めて、今では分からないが将来に亘っては至らなかったかもしれない普請を藩主に詫びるという形で、普請が「頂上至極」に終了した時点で切腹して果てます。本の題名の「頂上至極」は、そんなところから採られていました。

 現代では考えられない死に方ですね! 今なら、二階級特進か三階級特進になるところですよね!!


ゼンマイ

2020年04月26日 19時53分31秒 | 山菜など

 今日は、お天気も良いので、散歩に出かけました。

 でも、今シーズンは、まだゼンマイを採っていませんでしたので、ついでに、ゼンマイを採ることに。

 今日は、妻と二人で採りましたので、結構な量が採れました(^-^;

 以下には、ゼンマイの処理方法について記したいと思います。

 

 

採ってきたゼンマイ

 

 

ゼンマイを知らない方もいると思いますので、6本ほどをアップしてみました。

 

 

 採ってきたゼンマイを、次に、バケツに入れ、バケツに水張ります。

 

ゼンマイをバケツに入れ、水を張っているところ。

 

 次に、水の中で、頭部の綿のような物を、手でしごいて取り除きます。水に入れないでも頭部の綿のような物は取り除くことは出来ますが、水の中でやると、手に付着したりしないので、簡単に取れるようです。

 

頭部の綿のような物を取り除いたゼンマイ

 

 

頭部の綿のような物を取り除いたゼンマイを6本ほどアップしてみました。

 

 

 次に、この頭部の綿のような物を取り除いたゼンマイを鍋に入れ、茎がしんなりする程度になるまで茹でます。

 それからは、鍋から取り出し、新聞紙などの上に広げ、天日干しします。途中、軽く揉みながら、ひたすら干し、細い針金のような状態になるまで干せば完成です。そのため、完成した時点では、びっくりするほどに少量になります。

 なお、お天気の状態にもよりますが、干しあがるまでに、3日ほどかかるでしょうか。

 以上のように、ゼンマイは、食べられるようになるまでには手間がかかりますし、ワラビやコゴミやタラの芽のように、直ぐには食べることができません(><) ちょっと、面倒なんですよね。

 我が家では、完成したものを密封容器に入れて保存し、お正月料理に使っています。


太極図の手塩皿

2020年04月25日 13時36分35秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 色絵太極図手塩皿」を紹介いたします。

 

伊万里 色絵太極図手塩皿  表面

製作年代: 江戸時代前期

口径:9.1cm  高台径:4.2cm

口縁の1時の方向に疵がありますが、自分で補修しました。

 

 

伊万里 色絵太極図手塩皿  裏面

 

 

 前回、「伊万里 染錦捻り文向付」を紹介した際(令和2年4月23日付け)、太極図は「時々、古伊万里には登場してくるようです」と記したところですけれど、「そういえば、我が家には、もう1点、太極図が描かれたものがあったな~」と思い出しましたので、太極図繋がりで、ついでに、それも紹介しようと思ったからです。

 ただ、この「伊万里 色絵太極図手塩皿」については、既に、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」に紹介済みなものですから、そこに紹介した文章を再度紹介することで、今回の紹介に代えさせていただきます。

 なお、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」には、平成19年12月1日付けで紹介したわけですが、その当時は、勉強不足で、まだ、「太極図」という文様のことを知らなかったものですから、「太極図」のことを「鯨(?)文」としています。「鯨(?)文」を「太極図」と読み替えていただき、ご笑覧ください(-_-;)

 

:「太極図」という文様のことを知ったのは、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」に、この手塩皿を平成19年12月1日付けで紹介したわけですが、紹介した直後に、その紹介文を読んだ方が、「これは太極図といいますよ」と教えてくれたからです。インターネットはありがたいですね(^-^;

 

 



 

「古伊万里への誘い」での紹介文(その1)

「古伊万里ギャラリー116 古九谷様式色絵鯨(?)文手塩皿」

 

 

 小さな小さな皿だけれど、皿の中央に描かれた文様が強烈である。

 それだけで、この小さな皿の存在感を強くしている。

 何が描かれたのかは分からないが、私には「白い鯨」と「黒い鯨」が描かれているように見える。

 私が鯨達を見ていると、鯨達はにらみ返してくる。特に「黒い鯨」は、上目使いに威嚇するようにしてにらみ返してくる。あたかも、「白い鯨」を外敵から守るかのように。

 鯨達は、夫婦なのだろうか?
 そんなふうに想像して改めて見てみると、ほほえましくも見えてくる。

 そんな、いろんなことを想像させてくれる、強烈な印象の小皿ではある。

 

 

 


 

「古伊万里への誘い」での紹介文(その2)

「古伊万里バカ日誌54 古伊万里との対話  (鯨(?)文の手塩皿) 」

 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  鯨 子 (古九谷様式色絵鯨(?)文手塩皿)

  

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 前回は、大傷があるが、主人の家にとっては大物(単に大きさが大きいという意味)と対話したところである。そこで、今度は、やはり傷はあるが小さな手塩皿のことを思い出し、押入れから引っ張り出してきて対話をはじめた。

 

 

主人: 前回は大きな物に出てもらっただが、今回は、逆に、小さな物に出てもらうことにした。

鯨子: お久しぶりです。ご主人様のところに来ましたのが平成2年のことですから、もう17年も経つんですね。

主人: そうか。もうそんなに経つのか。あれから、もう、17年か・・・・・。思い出すな~、お前を手に入れた時のことを。17年も経っているけど、その時のことは良~く覚えているよ。

鯨子: どんないきさつがあったんですか。

主人: お前のことは、我が家の近くの、とある地方都市のガラクタ骨董屋で見つけたんだ。しかも、そのガラクタ骨董屋のガラクタコーナーにまぎれ込んでいるところから見つけ出したんだ。よくあるだろう。骨董屋の店の一角に、時代の若い猪口やら湯呑み茶碗やら小皿などがゴチャゴチャと山積みされているコーナーが。そこで見つけたんだよ。

鯨子: どうしてそんな所から見つけ出すことが出来たんですか?

主人: そうだね。普段は、そんなガラクタコーナーなんか見ないよね。しかも、長いこと骨董をやっている人間ならなおのことね。衣料品の安売りコーナーならともかく、骨董ではそんなコーナーに期待はできないからね。
 でもね、お前の中心に描かれている文様は目立つだろう。なにげなくガラクタコーナーを覗いていたら、私の目にお前のその中心の文様が飛び込んで来たというわけさ。で、「ん?」と思って手にとって見て二度ビックリだったね。なんと、古九谷じゃないの!
 それで、店主に、平静を装って聞いてみた。「これいくらですか?」って・・・・・。

鯨子: なぜそんな聞き方をしたんですか。

主人: それはね、「これはすごい! 掘り出し物だ!」なんていう態度で、嬉々として、「これ、いくらですか?」なんて聞いたら、先方はびっくりして、「これは非売品です。」とか、「これは、先ほどのお客さんがこちらの非売品のコーナーからそちらのガラクタコーナーに移してしまったんです。」とか言って、売り渋りをしかねないからさ。そんなことをする骨董屋もいるからね。長年の経験で培ってきた貧乏コレクターの生活の知恵だろうかね。

鯨子: それで、いくらと言ったんですか。

主人: うん。「1,000円です。」と言ったんだ。それを聞いて私は三度ビックリだった。「エ~、そんなに安いの!」と、内心思った。
 でもね、これまた、長年の経験で培ってきた貧乏コレクターの生活の知恵が、喜び勇んで「ハイ、買います。」とは言わせなかった。
 「な~んだ。小さいうえに傷まであるんだ!」、「負けてくれと言っても、全体が1,000円じゃね。負けさせるのも気の毒だから、1,000円でいいです。これください。」ということで契約は成立したわけさ。

鯨子: そうでしたか。それはよかったですね。そういうことがあって私はここに来られたんですね。

主人: そうそう、お前に関してはもう一つ思い出があるんだ。

鯨子: どんなことですか。

主人: お前に直接関係したことじゃないんだが、こんな話なんだ。
 お前を手に入れてから半年ぐらい経った頃だったかな。お前を売っていたガラクタ骨董屋に立ち寄った帰り道、ブラブラと駅に向かって歩いていた時のこと、フト、骨董品を並べた小さなショーケースが目に入ってきた。そこは、ちゃんとした骨董屋さんではなく、普通の民家で、通りに面した一角に、小さなショーケース一個だけが置かれてたんだ。しかも、そこにお前とそっくりの文様のお皿が置かれていたんだ。ただ、それは五寸ぐらいの大きさのお皿だったけれどね。それには私も四度ビックリだった。
 これ「売ってるのかな~?」と思ってガラス戸を開け、奥の方に「こんにちは~!」と声をかけたら、コワソーなオジサンが出てきた。いかにも、その筋のオジサンという感じだったな。聞けば、自分も骨董が好きで、嵩じては、売買もするようになったとのこと。
 それで、一応、値段を聞いてみたが、さすが骨董好きだけあって、お前のような手の良さをしっかりと理解していて、それ相応の値段を言ってきた。五寸皿だったし、無傷だったから、「そんなものだろうな!」とは思ったよ。
 でもね~、全額を支払うだけの手持ちがなかったんだ。買えないほどの金額ではなかったし、無理すればなんとかなりそうだったので、手付けをして、後で引き取りに行ってもいいかなとは思ったんだけれど、そうすると、こちらの住所、氏名まで明らかにしなければならないだろう。どうも、その筋のオジサンのようなので、こちらの住所、氏名まで明らかにしてしまっては、万一、トラブルにでも巻き込まれては面倒だなっと思ってしまったんだ。それで、断念することにしたんだ。
 その後、1年ぐらい経っただろうか。また訪れてみたが、もうそのショーケースは置かれていなかった。幻のショーケースだった。
 お前も、幻の小皿も、お互い近くから出現したのだから、きっと、元は一緒にあって、バラバラにされたんだろうね。また一緒にしてあげかったね。
 その後も、お前のような文様のお皿には、とんと出会わないな。1~2度、美術館等で見かけたような気がする程度かね。今思えば、トラブルに巻き込まれるかもしれないことを覚悟で買っておけばよかったかなと反省しているよ。

鯨子: 私の見込みの文様は何と言うんですか。

主人: 何と言うんだろうね?あまり見かけないので本などにも載ってないしね。もっとも、良く調べれば載っているかもしれないけどね。
 それはともかく、「巴(ともえ)文」かなと思ったけど、目のようなものが描いてあるから、それはちがうのかなと思ったわけだ。まっ、パット見た瞬間の第一印象では「白い鯨」と「黒い鯨」が描いてあるように思ったから、一応、「鯨文」ということにしているんだ。