京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
俳句 冠句 自由律 詩 エッセイなど同好の人たちと交流

金澤さんの詩を読んで訳して

2016-05-18 11:35:19 | 日記
金澤さんの詩を読んで訳して………
           青島 巡紅
金澤さんのフェイスブックに出ていた「達人」「大きな星」「安息日」を読みました。英訳もしてみました。僕の好みから言うと「達人」がダントツ。二位が「安息日」、三位が「大きな星」。技巧が勝っていて面白くないという声が上がれば、話は変わってきます。それでも、三作品とも童心的に言えば満点。「何も足さない。何も引かない」開口健の文句を思い出します。3作とも、仕事疲れから胃の弱った人に出す水割りのようです。氷像に使う固い氷をグラスに入れた味の抑え気味の水割り。氷が溶けにくいので味が薄まることを心配せずにゆっくり飲めます。そんな氷を実際に使うバーテンダーはいないでしょうが、いるかもしれないと思わせる作品群です。

比喩で横に逸れましたが、やはり俳句作家だなと思う。高村光太郎の「レモン哀歌」は百行以上あった文言を削ってゆき残ったものが愛の結晶として昇華しているとしたら、金澤さんは、光太郎が作品の核としたものから逆に紡いでいくような方向で言葉の取捨選択をしているそこで悪いが、良くも悪くも破綻がない。良くも悪くも饒舌でない。となってしまうところがある。勿論、金澤さんの詩を全部読んだ訳ではないので、好奇心をもって待機している状態。しかし、そこが金澤さんの作品の魅力であり、安心して読めるところでもあり、ある種の絶対領域なのでしょう。

「大きな星」は星の王子様よりイメージ的には石ノ森章太郎の星の子チョピンかなと言ったところ。ローマ字でChopinですが、まあスペイン語でもチョピンになりますが、ショパンのこと。やなせ氏、アンパンマンの作者の詩の響きもありますね。「笑っている」のところで"smile"を使ったのは「泣いている」というところで"weep"を使ったからです。でも、もう少し元気さを出す感じでも良かったかもしれません。ただ、やなせ氏流でいくと「最後に笑う者は最もよく笑う」、正義は必ず勝つとかいう路線になるので、師匠にはそんなところはないと思うので"laugh"は使わないで正解だったと自分的には思っています。

「安息日」は、僕なら(五十代後半という年齢的に見て)気恥ずかしくて発表しないかなという作品、しかして大人の視線でなく日々の生活疲れを癒してくれる童心を持っていれば出来る作品。己の未熟さを痛感。自分は自分、素直な心で作品を楽しむという観点ではバッチグーです。僕も若い頃同じ内容の作品を書いたことがあるということです。英訳する時、気になったのは一連目にある「西洋の国」は「キリスト教国」だとクリスチャンからは言われるでしょう。それで「心の安息日」は「神さまありがとうと心で言うんだよ」と訳しました。"my fellow upstairs"はスラングで"神さま"の意味。逆に「キリスト教国」と訳さなかったのは、日本の常識ではイコールになっている節があるのでそのまま訳しました。そして「安息日」を英訳すると"Sabbath"となるのですが、ユダヤ教では土曜日、キリスト教では日曜日、イスラム教では金曜日となり、第三者からは不便とか不都合があると思われることも神への感謝の表れとなるものなのです。

「達人」の訳詩はやり直す予定。思っていた通り、英語の"kill time or waste of time"は日本語の「暇潰し」のニュアンスよりもっと対象が曖昧なものに対するもので、"kill time in watching TV"は言えても"kill time in reading books"とは言えないらしい。後者は目的意識が鮮明だからという訳で英語のそれではブーとなるようです。「死ぬまでは暇潰し」という言い回しには、英語で言えば"enjoy oneself in doing"のニュアンスがあって、そのまま訳したのではと思ったのですが、二連目で"by not working hard"という表現に呼応させるためには良いと思って"kill time"を使ったのですが、禅的な発想というか腹八分目的な発想を良しとして、ネガティヴな言い回しにポジティブなニュアンスを見出すことは、ネイティヴはしないのです。僕のタクシーに乗ってきた英語を母国語にする人たちに聞いてみて再認識。

訳し直す方向は見えているのですが、やはりかなりオリジナルから離れたものになりそうです。「おばあちゃん」も、本来なら"grandmother"ですか違いますかと尋ないといけなかったかもしれませんが、酸いも甘いも辛いも知ったおばあちゃんなら、どちらでも構わないと思って尋ねません。それ以前に俳句の世界では読み手の判断に委ねられる領域のこと、聞くだけ野暮と解釈。自分の妄想が広がります。

 一連目で「死ぬまでは暇潰」とおばあちゃんが言う、二連目で「働く」が江戸時代からある駄洒落で「傍楽」と読める(学問が我苦門or悶と読めるみたいな)がそれ以上の意味があると気付かされ、三連目で自己回想からThere is something to think againとなり四連目でAnswerとなる、突き進むだけでは駄目で心身のバランスが大事なんだねと来るところが金澤節。僕なら自分の経験を一つや二つ入れるところなのですが、師匠は入れない。入れなくても、人それぞれ持っているから自分のそれは入れるだけ野暮となるのでしょう。日本的な読み方、俳句的な読み方をすれば、そうなりますね。

参考
【詩】「詩人会議」2016年2月号に載せて頂きました。
達人
         金澤 ひろあき
人生の達人の
おばあちゃんが
「死ぬまではひまつぶし」と
言ったそうな

ひまつぶしなので
あせらずにはたらき
ハタをラクにするのが
楽しいそうな

達人じゃない僕は
あくせくあくせく
働いているけれど

「死ぬまではひまつぶし」で
こころとからだが
ほっこりしたよ

安息日
       金澤 ひろあき
今日は日曜日
久しぶりに
出勤しなくていい日曜日
寝坊していい日曜日
西洋では
安息の日と呼ぶそうだ

今日は久しぶりに
愛する人たちに
ゆっくりと手紙を書ける
電話もしようかな
こっちは花が咲いたよと
私にとっても
今日は
こころの安息日


席題「麺」

2016-05-18 08:12:54 | 日記
 席題「麺」

麺ならば年がら年中お友達     二神 大輔
適当に老いて昼飯カップ麺    
メタボ様ごちそう御免と麺すする
伸びた麺若干気にして梅日和   
麺すする昼飯時間の15分 

春の月いつもの角のラーメン屋   金澤 ひろあき
大根の辛き地まっ黒麺のつゆ   
麺のびたような宿題終わらない
詩にならぬ駅前まずいラーメン屋 
麺好きな友はおかわりライス大

すきま風屋台でラーメンくもるメガネ 三村 須美子
麺類はそばが大好き親鸞忌    
麺打ってちょっと太めのどじょう汁
勝ずもうさぬきうどんの腰のよさ 
残り鍋のびたうどんが汁すする
干麺のびっくり水の湯気の味   
生駒山寒そう麺のつるしさお