2019年5月長岡天神句会の記
金澤 ひろあき
今年の5月より、年号が「令和」になりました。年号の出典が『万葉集』だそうで、書店には『万葉集』が並んでいます。巻頭の雄略天皇の歌からはじまり、詠み手はさまざまです。歌人だけでなく、東国の庶民、中には大津皇子や有馬皇子のような敗者の歌も除外せずに遺しています。
古代日本語に現れされた生き生きとした想い、それらを読むたびに共鳴します。本当に時を超えます。
今、私達が書いている詩歌も、その流れの延長線上にある。そんな事を感じます。
こんな事を考えつつ、皆さんの作品を読んでいます。
筍の根を切り見せて売り自慢 三村 須美子
筍を売る人の、自信ありげな顔までが浮かんできますね。この切り口をみてごらん。そのあたりで売っているとは違うんだ。ここをしっかり見ておくれ・・・こんな会話が飛び交ったのでしょうか。
茶袋に詰め放題の古茶を売る 中野 硯池
新茶が出たとたん、これまでのお茶は古茶に。在庫一掃セールなんですが、「詰め放題」という売り方が、買い手の欲を誘いますね。目一杯つめこんで・・・というシーンが思い浮かびます。
霧深き幕を引きつつ島見える 岡畠 さな子
霧が晴れて、淡路島が見えてくる様子を「幕を引きつつ」と表現したところ、わかりやすい比喩ですね。本当にそんな感じの舞子でした。
新緑に山がめざめる5月かな 坪谷 智恵子
ほんとうに鮮やかな山のみどりです。私も青島さんと、新緑の東山、蹴上の社をたずねました。
足裏も深呼吸の若葉かな 青島 巡紅
「足裏の深呼吸」に、命の泉が湧いてくるような、気に満ちたすがすがしさを感じます。そして「深呼吸の若葉」に、命のみずみずしさ。人と自然の交流というものも感じます。
春灯す今あることの楽しさを 金澤 ひろあき
奈良東大寺の門前の、あたたかな灯火を見て、ふっと口から出た句です。奈良が好きで、10代後半から度々訪れました。それが60代。春が巡り来るたびに、生き得た喜びのようなものを想います。そして、出来うる限り、生を楽しみたいと願います。
金澤 ひろあき
今年の5月より、年号が「令和」になりました。年号の出典が『万葉集』だそうで、書店には『万葉集』が並んでいます。巻頭の雄略天皇の歌からはじまり、詠み手はさまざまです。歌人だけでなく、東国の庶民、中には大津皇子や有馬皇子のような敗者の歌も除外せずに遺しています。
古代日本語に現れされた生き生きとした想い、それらを読むたびに共鳴します。本当に時を超えます。
今、私達が書いている詩歌も、その流れの延長線上にある。そんな事を感じます。
こんな事を考えつつ、皆さんの作品を読んでいます。
筍の根を切り見せて売り自慢 三村 須美子
筍を売る人の、自信ありげな顔までが浮かんできますね。この切り口をみてごらん。そのあたりで売っているとは違うんだ。ここをしっかり見ておくれ・・・こんな会話が飛び交ったのでしょうか。
茶袋に詰め放題の古茶を売る 中野 硯池
新茶が出たとたん、これまでのお茶は古茶に。在庫一掃セールなんですが、「詰め放題」という売り方が、買い手の欲を誘いますね。目一杯つめこんで・・・というシーンが思い浮かびます。
霧深き幕を引きつつ島見える 岡畠 さな子
霧が晴れて、淡路島が見えてくる様子を「幕を引きつつ」と表現したところ、わかりやすい比喩ですね。本当にそんな感じの舞子でした。
新緑に山がめざめる5月かな 坪谷 智恵子
ほんとうに鮮やかな山のみどりです。私も青島さんと、新緑の東山、蹴上の社をたずねました。
足裏も深呼吸の若葉かな 青島 巡紅
「足裏の深呼吸」に、命の泉が湧いてくるような、気に満ちたすがすがしさを感じます。そして「深呼吸の若葉」に、命のみずみずしさ。人と自然の交流というものも感じます。
春灯す今あることの楽しさを 金澤 ひろあき
奈良東大寺の門前の、あたたかな灯火を見て、ふっと口から出た句です。奈良が好きで、10代後半から度々訪れました。それが60代。春が巡り来るたびに、生き得た喜びのようなものを想います。そして、出来うる限り、生を楽しみたいと願います。