1年前、家内の病気がわかり、余命4カ月の宣言を受けた日です。もう1年たってしまいました。あの日から約8ヶ月、家内は最後の人生を生きたのだと思うと、今でも涙が出てきます。
2年前に、脳出血で倒れた時に、1週間の入院で済みましたが、その後、寝たきりの生活はしたくないと言っていました。家内の母が、脳梗塞、脳内出血で長い闘病生活を送っていたのをみて、自分はそうならないことを願っていると話していました。その中で癌だと、余命がわかるので、その方がよいと言ったことを話していたのを鮮明に覚えています。まさか、その1年後に癌がわかるなんて、、
担当医からの説明は家内と2人で聞きました。告知をされ、延命治療はしないと本人がこたえています。その時は、今から思っても意外と冷静にふるまえたのではないかと思います。病院からの帰りに、近くのファミレスで少し早い夕食を食べ自宅に戻りました。病気を信じたくないと言う気持はありました。これからどう過ごせばよいのか、悩みもしました。ただ、本人がそれを受け入れて最後までの時間を有意義に過ごせればと思い、出来るだけ普段と変わらない、そうは言っても、体調が悪くなればそれなりの対応を考えていました。
約38年間一緒に生活をして、ある日、フッと自分の前から消えてしまった、出来ることならもっと長く一緒にいたかった
今日の1枚は、アブラゼミの羽化です。家の壁で羽化していました。
2年前に、脳出血で倒れた時に、1週間の入院で済みましたが、その後、寝たきりの生活はしたくないと言っていました。家内の母が、脳梗塞、脳内出血で長い闘病生活を送っていたのをみて、自分はそうならないことを願っていると話していました。その中で癌だと、余命がわかるので、その方がよいと言ったことを話していたのを鮮明に覚えています。まさか、その1年後に癌がわかるなんて、、
担当医からの説明は家内と2人で聞きました。告知をされ、延命治療はしないと本人がこたえています。その時は、今から思っても意外と冷静にふるまえたのではないかと思います。病院からの帰りに、近くのファミレスで少し早い夕食を食べ自宅に戻りました。病気を信じたくないと言う気持はありました。これからどう過ごせばよいのか、悩みもしました。ただ、本人がそれを受け入れて最後までの時間を有意義に過ごせればと思い、出来るだけ普段と変わらない、そうは言っても、体調が悪くなればそれなりの対応を考えていました。
約38年間一緒に生活をして、ある日、フッと自分の前から消えてしまった、出来ることならもっと長く一緒にいたかった
今日の1枚は、アブラゼミの羽化です。家の壁で羽化していました。