小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

いっしょにあそぼ。

2007年07月18日 23時37分12秒 | 新潟県中越大震災・地震
学校から帰ってきた子どもたちは、今日は我が家に仲良しの友だちきょうだいを呼びたいといい、子ども部屋で5人にぎやかに遊んでいた。
私もそのほうが都合がいい。
きょうだいは別行動だとなにかあったとき困るのだ。

17時前、突然ぐらっときてガタガタガタガタ揺れはじめた。
ん?震度4くらい???(実際は小千谷は震度3だった)

子どもたちは「キター!!」と叫びハイになっていたが、友だちの弟くんがいないことに気づき、あわてて電話の子機をもって騒ぎはじめた。

上の子は気が動転して自分の家の電話番号がわからなくなったみたいで(笑)、私がかわりにかけた。

弟くんはひとりで自宅に帰っていた。
「○○くん?だいじょうぶだった?」
「うん・・」
「おかあさん、いないの?」
「うん・・」
「またうちにおいでよ。みんなでいっしょにいよ!」
「うん」

明らかに元気がなかった。
弟くんはすぐにやってきた。

その子たちのおかあさん(仲良しのママ友)はまだ長岡にいて、すっごい心配しながら帰ってきたらしい。
「さっきはありがとね~・゜゜・(>_<;)・゜゜・。」
とメールがきた。
こっちからメール一本いれとけばよかったな。反省。

そんなこんなで核家族の母親同士、
助けあいながらがんばってますw

しばらくは余震が心配だから、大人がそばにいないとだよね。

まずはボランティアセンターに確認

2007年07月18日 17時29分52秒 | 新潟県中越大震災・地震
被災地の避難生活の状況と被災者のニーズは刻一刻と変化している。
NHKのニュースで「水が足りない!」とおばあさんが言っていたら、テレビを見ている人は「水を送ってあげたい!」と思うけど、でもそれをしてはいけない。
被災者が「きのうから何も食べてなくて・・」と言っていても「食料」を勝手に送ってはいけない。
そのニュースが流れるころにはニーズは変化しているし、被災地は救援物資がわんさか届いて保管場所に困っているのだ。

余りある善意に被災地困惑(新潟日報/県内ニュース)

中越大震災のときもこの情報伝達のタイムラグが大きな問題になり、救援物資の保管場所(空間)と仕分け作業にかかる莫大な労力、時間が奪われた。

柏崎市は現在救援物資の保管場所がないなどの理由で、個人からの物資の受け入れは中止、企業などの団体からの支援受け入れの中止も検討しようとしているが、一方、こんなことを報じているメディアもある。

中越沖地震:「もう住めそうにない」住民の訴え切実 不足する生活用品 /新潟(毎日新聞)

ちょっとちょっと。
この記事だけ読んだら「生活用品が不足している」=「送って欲しい」っていうふうに解釈できない?

それを読んだ人たちは被災地に物資を送りたくなるけど、だめだよ送っては。

県は個人の皆様からの救援物資を辞退しています

情報が錯綜していて読み手は混乱するけれど、まずは落ち着いて。

ボランティアは勇み足になりがち。
結果、それが被災地に迷惑をかけることになるのだから、まずは災害ボランティアセンターで最新情報をしっかり確認してからにしましょう。

新潟県中越沖地震災害救援ボランティア関連情報

ボランティアと家庭の両立

2007年07月18日 14時12分43秒 | 新潟県中越大震災・地震
新潟県中越沖地震の被災地、柏崎市と刈羽村で災害ボランティアセンターが立ち上がり、きのう小千谷市内に住んでいる友だちは早速ボランティアに行ってきたようだ。

夜遅くになって「今帰ってきました~」とメールをしてきたが、なんだか様子がおかしい。
家族がボランティアをすることに対して理解を示してくれないらしく、家の中にちょっぴり険悪なにおいが漂っているという。

その友だち曰く、中越大震災で被災したときに支援してくれた人がこのたび甚大な被害を受けていて、いてもたってもいられない気持ちになり、ぜひあのときの恩返しがしたいんだ、と柏崎入りすることを決意したそうだ。
でも家族は中越大震災のときに被災していないので、なかなかその気持ちを理解してくれないらしい。

友だちは、現地に行けば被災した人の気持ちが痛いほどわかるので、ほっとけない気持ちになったといっていた。
できるならあのときの恩を返したい。支援を続けたい。
でも、こちらにはこちらの生活がある。

「引き際」をいつにするか、随分葛藤しているようだった。

「ボランティアと家庭、どっちが大切なの??
といわれないように。

がんばれ、友だち!

余震は拷問

2007年07月18日 00時12分58秒 | 新潟県中越大震災・地震
心配していた余震は中越大震災のときほど活発ではなく、ひとまずほっとしている。
チビは昨夜寝ついてから朝までぐっすり。一度も起きなかった。
今朝もきょうだいといっしょに元気に登校し、帰ってからも「お友だちの家に遊びに行ってくる~!」とニコニコだった。

一週間は震度5、場合によっては6弱くらいの余震の可能性があるらしい。
確率は30%になったと発表があったが、私はそんなん鼻っから信用していない。

中越大震災から2ヶ月経ったときの日記
震度5が来る可能性は低くなったっていってたから安心してたのに 2004年12月28日

余震、それは拷問だ。
忘れようとするときにやってきて、被災者の心をいたぶるようにえぐる。

きのうの私は、この一週間は予断を許さないので学校から帰っても遊びに行かないように、と言おうと思っていた。

でもチビがあんまりニコニコして「○○くんと遊ぶの♪」というので、普通どおり遊ばせることにした。
ただ、外で遊ばないこと、ひとりで遊ばないこと、遠くに行かないで近所のお友達と遊ぶこと、なにかあったら迎えに行くから、誰と遊ぶかちゃんとおしえて、と言った。

大きな揺れがおきたときに人さまの子どもになにかあったら、親だって気が気じゃない。
しばらくはきょうだい別々の行動をとって欲しくないんだけどなぁ。

やっと治ったチビのPTSD。
今回の地震だって、たまたまきょうだい揃って遊んでいたところにきたからいいようなものの・・・。
あのときもしひとりきりだったら・・・と思うとゾッとする。

振り出しに戻るようなことだけは絶対に避けたい。