小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

10月23日 地震発生時

2005年07月29日 13時11分29秒 | 新潟県中越大震災・地震
ドンと突き上げられ、ひどく揺さぶられたときに普通の揺れではないと思いました。
阪神大震災のときに私は淡路に近いところへいました。
あのときの揺れと同等かそれ以上だと思いました。

家が平行四辺形になってるような感覚。
思わず上のふたりを両脇にガッと抱え込みました。
子供たちは泣くわけでも怯えるわけでもなく無言で一点を見ているような感覚といいましょうか。
なにが起こったのかわからなくてただじっと抱きかかえられていました。

キッチンを見ると夫が足をつっぱねて一生懸命食器棚をおさえてるのが見えました。
「はぁ?なにやってんだ?この人は。」
それが正直な印象でしたが あとで聞くと 支えてるんだけどただ立っていられなかっただけ。よりかかってたのと同じだった と言ってました。

冷蔵庫が50センチくらい前に出てきていました。(すぐに電気が消えたのでわからなくなりましたが)
そんな家具よりチビだよ!チビ!!!
私は気が気じゃなくて 夫に訴えるようにチビの名前を叫び続けました。
声がかすれてたのを覚えています。
大きな声を出そうとしてるのですがいつもの勢いある声と質が違ってて声がかすれてしまっていました。

ハッと我にかえった夫は居間に行きました。
テレビ パソコン アイロン 本棚が飛び出すような倒れ方をしている中で、ちょうど運よくチビのまわりだけ物が落ちていなかったそうであとで聞いて震える思いでした。
そんな中、夫はチビにテーブルの下に潜れといいました。
チビはきょとんとしていたようですが暗闇の中でささっとテーブルの下に潜りました。
私と上の子たちが「逃げ」の準備をしてる玄関の音をききつけて
夫は「あ!逃げなくちゃいけないのか・・」と気づいたらしく「出ろ」とチビに命令。
チビを抱きかかえて玄関まできて私に「ん!」とチビを押し付けました。

は?なになに?
なんで??
早くいっしょに逃げようよ!

と思ったのですが 後からくるだろうと思い、気にもとめず子供たちに散乱してる中の長靴をなんでもいいからはかせました。
ピンクと青色のペアになりましたが 全然おかまいなし。
そのときには 寒空で数時間 身をおくことになると直感したのだと思います。
コートをもっていかなくちゃ!と思い、玄関脇にひっかけていたロングコートを持って出ました。

子供たちは落ち着いていました。
特に泣き目になるわけではなく。

「子供たちを安心させなければならない。焦ってはいけない 余裕の表情でいよう」という思いはすでにこの時にありましたが、それ以前に かなり冷静に対応できた自分に驚いていました。
建物が倒壊しなければ・・火災にならなければ絶対に助かる。
阪神のときはそうだった!
変な自信がありました。

どやどやと近所の人が外に出てきていました。
畑に避難しようよ!と声をかけたのは私でした。
建物の近くにいては危ないよ、と。

地割れしない限り助かるからダイジョーブダイジョーブ!
みんなが畑に集まってきました。
3-4分おきに震度5-6強の揺れがきました。
とてつもなく恐ろしいことが起こってるという感覚はあったのですが
近所の人がみんな顔見知りで、子供同士もいつもつるんで遊んでいる友達なのでかなり心強かったんじゃないかと思います。
「おお~~」と言ったり 「きたきたきた」と言いながら、最初の15分のあいだに5回も震度6強や5強を体験しました。
ゴォォォ!!という地鳴りの前に足の裏から大きく揺れる前兆みたいなものがもろに伝わってきました。

17:56 7
17:59 5強
18:03 5強
18:07 5強
18:11 6強

夫がなぜすぐに家から出てこなかったのか。
ズボンをさがしていたのです。暗闇で。
2-3回強い揺れを感じたといってたので10分くらいはいろいろなものが散乱する中でズボンだけを探していたようです。
膝がガクガクしていたと言っていました。
そのとき夫は事の重大さに全く気づいていなくて、こんなんすぐおさまるだろうと思っていたようです。

そういえば56分の地震のときに「うわぁぁあ!!!!!!!!!!!!!!」と大声をあげたのは夫だけでした。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿