ドミンゴ(土民子)のわくわくランド

自分が感じた面白い、かつ、怒りの話題を提供します。
みなさんのコメントをお待ちしています。

今日もお天気だ!

2006-12-30 | Weblog
今、ロスは29日朝7時です。日本では30日夜12時である。ロスは日の出、真っ

赤な太陽が昇ってきました。窓から見える景色は感動的である。

昨日の夕方、近所の住宅地を散歩した。落ちついた住宅街である。クリスマスが終

り各家の庭にお祝いに飾ったサンタの人形等が残っていた。

庭の一角の庭にはオレンジの木が植えてあり、たわわに実が実り、道路に沢山実が

落ちている。1つ取り食べてみた。

甘くて美味しい。朝早く拾いに行き、10個位持ってきてジュースにして飲んだ。

自然の天然ジュースは身体に染み渡る。朝食が終わったのでこれから目の前の広大

な公園と湖に散歩に行こう。心と身体のリフレッシュのために!

こちらに着いてから食欲が出で来た。アメリカの食事と風土は私に合っているのか

も知れない。




 




ロスにやって来た!

2006-12-29 | Weblog
今日ロスに来ました。ロスはいい天気15℃暖かいです。皆さん元気ですか?

久しぶりに来たが人種のルツボはあい変わらず、これがアメリカのパワーであろう。

疲れたので今日はこれまで!





「引きこもり」と「出歩き」

2006-12-28 | Weblog
今、「引きこもり」が家庭の問題としてマスコミで多く報道をされている。

私は以前からどんな現象にも裏と表があると考えていた。

ひょっとしたことからヒントを得た。「引きこもり」に対して「出歩き」と言う現

象があるようだ!

「出歩き」とは何の目的もなく、仲間を欲しくて外を出歩くと言う。

出歩いて悪いことをするのでないが「出歩きの人」は犯罪や騙されたり被害にあっ

ているという。この「出歩き人」は悪いことをするのではなく統計的な数字がな

い。この人達は全国を歩き回るのでなく、渋谷、新宿、原宿と自分が出歩くエリア

が決まっているという。

ひところの「竹の子族」や「みゆき族」のように群れる習性を持っているようだ。

目的もなく徘徊する人々は若い人だけでなく中年にも広がっているようだ。

そういえば、心当たりがある。

「引きこもりの人」が何を勘違いしたのか「出歩き」に変身する。

例えば若い時に女にモテナイ人が突然、お金を得ると「おみず」に熱中することが

ある。

携帯電話で沢山の女性の写真を撮って女性に見せる傾向のある人は、自分が「出歩

き」であると自覚したほうが良いですね。

こんな写真を見せられた女性は誰も貴方をいい人だと思いませんね。

むしろ、張り倒してやろうか?と思うでしょう。

ひょっとしたら私も出歩きかも。今日からロスに行きます。目的があれば「出歩き

人間」と言われないでしょう。

29日から来年4日まで日本でのブログの記事をお休みします。ロスでブログのア

クセスの環境があったらロス便りを掲載します。

今年の3月ブログを開設してから訪問IP数が1万5千件余り(アクセス数は3

倍)訪問者の方々に感謝いたしますと共に良い年を迎えられることをお祈りいたし

ます。


明るい人に人が集まる。

2006-12-27 | Weblog
私の知人に「虎の穴」の社長、吉田博高氏という人がいる。

この方はめっぽう明るい人で会合に出ると沢山の人が集まってくる。

話題も豊富で全然偉そうな態度をとらない人である。この人柄がビジネスを大きく

しているのでなかろうか。

1994年会社を創立し、今では年商100億円の企業に育てた。

兎に角、彼と話していると時間を忘れてしまうほど引き込まれる。

二人で夕飯を食いながら色々なことを話したが苦労した話は一切しない。

常に夢を語っていると彼のパワーに圧倒されてしまう。

彼との出会いは一橋大学の関教授が仕掛けた大学でのゼミ生の集まりである。

当日は成城大学の大講堂で「ベンチャー企業の経営者から何を学ぶか!」題して吉

田氏と私が基調講演をした。

その後、ゼミ生とパネルディスカッションである。

ゼミ生のアンケート調査によると日本の大学生の80%はいい会社に就職すること

を希望し、起業したいは20%と発表していた。

アメリカの大学生はこの反対である。独立精神が強いのか、はたまたアメリカンド

リームの機会があるのか?

私の子供達はアメリカの大学で学んだが、その国の文化であるように感じた。

日本では親が安定した企業に就職することを望み小さい頃から言われ続けられてい

る。安定した就職口は公務員が代表的である。他との競争原理がなくよっぽと悪い

ことをしない限り首にならない。

これを安定した職業とは、夢がない。

息子が日本に帰国して就職したいとの申し出があったが、私は楽な道を選ぶなと言

って起業することを薦めた。

彼はコネも金もなくスタートしたが、いまだに苦しんでいる。

苦しめばそれを乗り越えた時、大きなチャンスが訪れると励まし、私の人脈を紹介

している。

彼も明るい男で夢を語り、いい友人が沢山集まっている。

「明るい人には人が集まり」いい人生を歩めるだろう。

人を評価するにはその人が付き合っている人を見ればすぐ解る。

ターシャー・テューダーの世界・・・

2006-12-26 | Weblog
アメリカのバーモント州コーギビルに住んでいるターシャー・テューダーは現在9

1歳アメリカでも有名な人形作家でもあり、絵本作家である。

子供は4人、孫、曾孫総勢10人家族である。

彼女は57歳の時、この土地に引っ越してきたと言う。東京ドーム20個分の広さ

であると言う。

この土地は私の生れたところと同じような環境である。半年は冬、この広大な土地

に自分でガーデニングした庭が自然と共に創られている。

自分一人で34年かかつて造り上げたようである。

彼女の生活を映像でみた。私が夢見た世界が広がっている。

彼女にとってガーデニングは人生そのものだという。

子供や子供の奥さんに「人は好奇心、感謝の心と想像力」が大事、しかも目標を立

てたら「あきらめず、最後まで遣り遂げる強い意志が必要だ!」と教えていた。

ガーデニングは最低10年やらないと結果はわからない。続けることが大事だよ!

とのメッセージを述べていた。

この地域はリンゴの生産地、秋に一家でリンゴを収穫し、ジュースを造っていた。

12月25日家族全員がターシャーを囲みクリスマスを祝っていた。

私の夢を実現していた家族を拝見し、感動した。

昨日の私の誕生日素晴らしい贈り物を頂いたような感じがする。

日本にサンタ・クロースが住んでいる。

2006-12-25 | Weblog
23年の付き合いのあるドイツ人の友人がいる。

彼は私のことをサンタさんと呼んでくれている。今は、一年に一回しか逢えない。

今から23年前、前職時代に始めてであった。彼の会社は全世界に支店があり、職

員数は9万人、一方、私の勤めていた組織は200人巨像とアリの違いである。

このドイツの会社と私が勤めていた会社の業務提携を私が仕掛けた。

最初に会った時には歯牙にかけてもらえない。以前に当組織も接触したようだが相

手にされなかったようである。

私はこれにファイトが湧いた。業務提携のために個人的な信頼関係を築くことが一

番である。

彼とは何回もあった。昼飯や夕食を何回も重ねて私の気持ちを心底から伝えた。

彼と私が同じ歳であることが解り、私はジョークで名前と誕生日を合わせて「私は

サンタ・クロース」であると宣言した。

「卑しくもキリストの生まれ変わりの私をないがしろにすると貴方の会社は不幸に

なる。」と伝えた。

彼はキョトンとしている。こいつは頭が狂っているのではないか?

そこで私は「サンタ・クロース」の意味を説明した。

「三田(サンタ)・苦労す(クロース)」貴方との交渉で苦労している。

これを聞いていた彼は大爆笑!チャンバラ映画の好きな彼と意気投合し、業務提携

が成立した。私の誕生日12月25日の今日である。

名前と誕生日をウイットにして伝えて交渉が成立した。

彼は今でも私と初めて会う人に対して「サンタ・クロースさんです。」と紹介して

くれる。

これによって私は彼の会社の職員や友人と瞬間で友達になれている。

私は語学はほとんど未熟だがコミニュケーションにはほとんど不自由しな

い。

年末はアメリカ、入国審査でいつもトラブル、「お前は何しにアメリカに着たの

か?」「観光です」「観光で何処に行くのか?」・・・・・

アルカイダの残党と疑われる。「そんなことアルカイダ!」と言いたいが入国拒否

に合うことを恐れて「お願いですだ~」と平身低頭している。

連れがいるとうまく行くが一人では疑われる。服装と顔が日本人に見えないようで

ある。「私は三田苦労すであるぞ、控えろ!」と一喝してみたいものだ。



白菜漬けて35年!

2006-12-24 | Weblog
祖母の漬けてた白菜の味が忘れない。

この味を求めて35年経った。独身時代から結婚をしてまで35年以上白菜を漬け

た。皆んなが美味しいという言葉に励まされ、続けて来たもんだ。

今日も白菜を漬けた。喜ぶ顔を見たいから・・・

料理の一つでもない。

祖母の白菜を求めて35年、孫が白菜の味を求めていたとは、知らないだろう。

白菜漬けに必要な材料は、白菜、塩、昆布、鷹のツメにたどり着いた。

色々な添加物を使ったが、最終は前述のコンブと鷹のツメに落ち着いた。

35年も経ちやっぱり基本に戻ったようだ。

にんにくやたらの塩漬けなど使ったが白菜の基本に戻った。

これは人の生き方と似ているように思う。

人の生き方と白菜の漬物も同じかも知れない。

今日の朝ごはん、白菜の葉っぱに卵をつけてガツンと食べたい。

子供達もこれが好きだった。

生きる力を貰った!

2006-12-23 | Weblog
一ヶ月前、母校の中学校で「先輩に学ぶ」と言うテーマの講師に招かれた。

先輩と言われるほど立派な私でないが、頼まれれば断れない性格、引き受けてしま

った。アホな私は「家族の絆!」と題して自分が生れて生きた家庭と人生をあるが

ままに話をした。

先日、事務所に行ったら中学校の校長先生からお礼の手紙と新聞の報道の記事と生

徒の感想文が送られて来ていた。

私はこれを見て感動した。私ごときの話生徒一人一人に真剣に受け止められてる。

子供より早く死ぬ親の自分が死んでも子供に苦労させない何かを残そうと思った

からである。

子供に残せるのは、土地でも家でもお金でもない。消えてなくなるものでない、

心を残すことである。「美しい日本」という言葉でもない。

子供や後輩に残せるのは消えてしまわない人間としての生き方であろう。

日本史、世界史を教えない日本の教育に「日本の将来」があるだろうか?

人は何から学ぶのか「温故知新」である。

先輩から学ぶ中学生の心を掴むのは講師を努める人次第であろう。

講師が駄目と言う評価なら講師の問題と認識すべきである。

後輩に生きる力と夢を与えるのが先輩の役割ではないでしようか?

役所の人は講師に対して気を使うが、聞く人に気を使わない。だから日本がおかし

くなっていると思いませんか?

私は今回まで7回、中学校と高校で講演をしたが、満足したことは一回もない。

日々反省である。

今朝の東京は、晴れ朝焼けが美しい。


見切り品を求めて・・・

2006-12-22 | Weblog
麒麟児さんこんばんわ、今日スーパーの閉店の時間に江戸に帰ってきました。

電車を降りて直行したのはスーパーである。

見切り品の売り場である。明日は休み、野鳥の餌の確保である。

見切り品は賞味期限が切れたパンや傷んだ果物、野菜が並んでいる。

私の友人へのプレゼント、いくばくかの収入のお裾分けでである。

今日は玄米パンとアボガドをゲットした。180円の値段であった。

玄米パンは80円、アボガドは4個で100円格安に購入した。

女房は私が食べると言い出したが私は、少しねと味見奉行を許可した。

アボガドは熟れすぎているが、ほうれん草のおひたしとの相性が抜群、小鳥のおや

つをくすねていた。美味しいと言っていたのでスポンサーの口に入らないうちにベ

ランダのフェンスに献上した。まさか夜中に起きて食べるとは考えられない。

この時期は私が見切り品を求めて彷徨している。怪しげな親父にスーパーの責任者

は不思議に思っているかも知れない・・・・・

麒麟児さんも恥を捨てれば野鳥のお母さんになれると思う。

見切り品にはノロウイルスはいないね。見栄を張っても何にもならない。

あるがままに生きようよ!給料は安いが施しの精神が大事かも・・・・

格好をつける人は私は好きでない。あるがままの背丈の人が好きである。

足しもせず引きもせず、表裏のない人が大好きである。

武田信玄の領地でISO審査機関の立ち上げに駆り出されているドミンゴ、頼まれ

れば、否といえない性格で苦しんでいる。損得を超えた世界に迷い込んだ。

これも自分の責任である。15年前の経験を今もしている。

15年前、「お前はバカか!」と幹部に罵倒されたことを思い出し、新規ビジネス

の立ち上げを支援している。

私の人生は未知との挑戦である。人が拓いた道は歩かない。新しい道を切り開く仕

事が好きである。困難が好きである。

だから、いつも財布は貧乏である。見限り品コーナーの消費者で私の人生は完了で

あろう。でも、幸せだ!・・・・・・






家族の絆・・・

2006-12-21 | Weblog
家族とは一つの屋根の下に助け合って住んだ人々の集まりであろう。

一つの屋根の下で住み、息子や嫁の折り合いが悪く同じちゃぶ台で食事しない人々

は家族でない。

こんな人々は家族といえない。血のつながった他人である。

こんな人々が多くなっている。このような環境で育った子供達はまともに育たな

い。親が親の仕事をしていない。この親も同じであったろう。

心の絆も無い。家族ごっこを演じているが何か問題が発生するとばらばらになる。

同床異夢の人々である。

家族とは求めることでなく、誰かが困っている時に黙って手を差し伸べる人の集ま

りである。

私も一つの家族を持っているが、こんな気持ちで家庭を運営してきた。

正しいことか間違っていたのか?は生前中には確認できないだろう。

しかし、少なくとも自分が親から学んだよいことをつないでいる。

これしか私には道が無い。親の教えが間違っていたら子孫も同じ道を歩むだろう。

これが私の言う「家族の絆!」である。

先週、中学校の同級生の女性二人、沖縄を訪問した。息子に親父代行を尽くせと言

っていた。二人から私に電話、父さんよりいい男、私たちの息子にすると連絡があ

った。うれしいね。息子は二人の新しい母親を得たようだ!