ドミンゴ(土民子)のわくわくランド

自分が感じた面白い、かつ、怒りの話題を提供します。
みなさんのコメントをお待ちしています。

娘の卒業式に参加した

2007-05-31 | Weblog
今から5年前娘がアメリカのカレッジを卒業した。日本の高校を卒業しアメリカに一人で渡った。カレッジの卒業式を迎えた。卒業式に私に来てもらいたいとの希望であるが仕事が忙しく無理かも知れないと伝えた。彼女は苦労して卒業したのに身内が誰もいないのは悲しいと泣かれた。しばらく考えたが行くことを決めた。忙しいのは言い訳である。反対の立場であったら私はどう思うだろう。これは決して娘の甘えでない。スポンサーの私への感謝の気持ちと思ったからである。娘が予約してくれたホテルはヨットハーバーに面した公園の中にあった。一人で歩ける街中である。朝起きてハーバーを見ていたら海面にオットセイーが泳いでいる。餌を探して泳ぎまわっている。ハーバーの手すりにはペリカンが沢山止まっている。やおら舞い上がると魚を見つけダイブしている。目の前に繰り広げられる自然動物の営みに感動した。海水の中には小魚が沢山泳いでいる。地元の人は当たり前のように特別な関心を示さない。私から見ると驚きである。アメリカでは人間と自然の動物が共存している。当たり前のように。公園の木々には野鳥が巣をつくり子育てをしている。木の下には卵の殻が落ちているのですぐ解る。穏やかで余裕の生活、今も続いているだろう。オックスナードはカリフォルニアでもイチゴの大生産地、毎年大々的にイチゴ祭りが開催されている。このイチゴの摘み取りはメキシカンの人々である。腰をかがめ朝早くから夜まで働く重労働である。これら人々は不法移民ゆえ低賃金で働かざる得ない。美味しいイチゴの裏には彼らの汗と涙と悲しさを感じる。さて、卒業式には家族が集まりお祭り騒ぎである。私も会場の入り口で娘の卒業祝いに大きな花束を買って用意した。司会者の案内でまず最初に軍の兵隊が国旗と州旗を持って登場する。兵隊の厳かな卒業式のセレモニーで始まる。ちなみに州旗のマスコットはカリフォルニアの熊である。兵隊が退場したのち教授連が登場し壇上に着席勢ぞろい。そして男性が国歌の斉唱、音量が豊富で音楽もなく一人で謳う。咳一つもしない。全員立って胸に手を当て聞いている。終わると爆発的に熱狂する。声を上げたり、音を出したり大騒ぎ、その後学長のお祝いの言葉、「君たちの卒業には家族はじめ、友人、恋人が支援してくれた。これを忘れてはいけない。諸君はここで学び多くの友人を得た。そして、社会人としての常識と専門の知識を学んだ。この大学は全米でも高く評価されている。ここを卒業したことを誇りに社会人として活躍して欲しい。ここの卒業生の中に多くの有名人がいる。・・・」とスピーチしていた。私の拙いヒアリングにそのように聞えた。そして卒業生一人一人に卒業証書の授与、名前が呼ばれていたその中に「Kaori Mita!」の名前も聞えた。胸を張って壇上で卒業証書を受け取っていた。親子二人の卒業式に思わず涙した。そして彼女はUCSBに編入し、1年半で卒業した。
UCSBの卒業式には親子4人参加した。
息子の卒業式はマイアミである。これにも親子二人で臨んだ。アメリカの大学の卒業式に3回参加し、移民の国の文化を経験した。もう少し若かったら私は反対の立場になっていたに違いない。歴史には若しかはない。今が全てであろう。今に全力尽くすことが私の生きる道ではなかろうか。私は孫のことを考えて子供を育てている。孫の姿に爺さん婆さんの姿が現れると言われるからである。死んだ後には言い訳ができない。だからこそしっかり子供を躾けることが大事ではなかろうか。

ワニの肉を食べた!

2007-05-30 | Weblog
5年前にマイアミを訪問した時、息子が変わったものを食べようとの提案で変わった肉を食べることにした。出てきた肉は鶏肉に似た歯ざわりと味である。たぶんダチョウの肉であろうと思って食べていた。結構いける。脂身が少なくヘルシーである。ところでこの肉は何かと聞いたらニヤニヤ笑っている。彼も食べているので問題はないだろう。何の肉か想像出来る?ダチョウだろう!違う。ではカンガルーかな?違う。では何だ!と聞いたらワニ肉のステーキと言う。へぇー意外といけるね。好き嫌いのない私には美味しいと思った。地方に行っても変わったもの食べている私にはワニ肉などは驚きには値しない。若しかして日本でも受けるかも・・
愛知万博で世界各国の食べ物も振舞われていた。その一つに鳥のから揚げのように見えるものを試食していた女性群にテレビのレポーターがインタビューしていた。
うんうん美味しいね。鳥のから揚げのようだと試食していた女性群、レポーター、実はワニ肉のから揚げよ!と紹介していた。女性群は驚きもしない。
美味しいを連発していた。この様子を見た私は沖縄である会社にワニの養殖を提案した。しかし、反応は今一ダメかなと思っていたら沖縄電力が新規ビジネスのプロジェクトとしてワニの養殖に着手したらしいと風の便りに聞えてきた。
地域興しに自分が経験したことを提案することは大事なことである。
最近ではスッポンの養殖と沖縄の気候にぴったりのペピーノの栽培を提案している。これを受け止めて実行する感性があるかが課題だ。何処でも同じだが成功した事例を真似する人が多い。こんなことではワニ肉も食えないであろう。
ナマコやホヤを最初に食べた人にならなければ新しいビジネスは生れないであろう。

ゲゲの鬼太郎の世界?

2007-05-29 | Weblog
「ゲッ!ゲッ!ゲゲのゲ夜は墓場で運動会、楽しいな楽しいなお化けの学校は~♪」お化けのイメージは夜と墓場が主役の環境である。昔からお化けと言うと夜のイメージである。今日は久しぶりに驚いた。電車と人ごみの新宿である。電車の中に「髪の毛お化けとおしゃべり女のお化け」が沢山見かけた。髪の毛を茶色に染めた男女のお化けや声だかにおしゃべりの女学生お化けの連中である。平面顔に茶髪の構図は大変失礼ながらオーストラリアのアボリジニが電車に乗っていると勘違いした。西洋人を真似た茶髪は日本人の顔に合わない。しかし、夜に出るべきお化けには昼の世界はわからないようだ。若し私の息子や娘がお化けの格好をしたら私は親として延髄切りの足蹴と卍固めできめて失神させてやる。新宿ではガングロの娘達が屯している。これらも同様失神の憂き目に会う。世界の常識、お化けは夜に現れるのに日本では堂々と昼に歩いている。この国は不思議でおかしい国になった。お化けは夜にひっそり現れよ!そして夜遊びしている人を驚かせ正常な生活するように戒めていた!自由と言う靴を左右履き違えた日本の将来に希望があると思えない。こんなお化けは格差を主張し始める。何にもやれないのに格差を主張し、票の欲しい人を誑かすことになる。日本ではお化けが昼に出てくると言ったら発展途上国の人々からも笑われるだろう。恥を知れ!この言葉も死語かな・・・?悲しい日本になってしまった。○○と××に外出禁止令を発令中である。怒りのために今日も寝不足になってしまった。こんなお化けを作ったのは心のお化けの両親である。
修学旅行の季節、学校の先生が子どもの化粧に注意をしたら親からの電話、何故私の娘だけに言うのかと抗議してくるらしい。他の人もやっているのに私の娘だけが言われるのは心外と言うことらしい。こんな言い分が通るなら社会は崩壊する。極端な例え話、あの人も泥棒している。何故私の娘が泥棒して何が悪いのか?といっているのと同じであろう。どうでしょうか?

変化している。

2007-05-28 | Weblog
ブログを開設して記事の書き方を3回変えた。最初は絵文字と字の大きさと写真を備えた。しかし、手間隙がかかり疲れてきた。そして絵文字の廃止、その後、文書読みやすくするために行間を入れた。しかし、読み手からすると長すぎる。そして3回目の変更である。書いた記事をそのまま掲示することにした。シンプルイズベストにたどり着いた。このように変化させることは考えているからである。そして変化は人を成長させることになろう。同じことを考えもせず継続するのは思考停止である。今、やっていることがいいことか悪いことか常に考えなければ変化しない。バカの一つ覚えも大切だが先頭に立つものは常に変化を考えないと生きて行けない。毎日が変化している。私のブログにはカウンターをつけている。この理由はPRするためでなく記事に対してどんな反応があるのか分析するためである。このためカウンターの数はIP数を掲示している。アクセス数ではない。アクセス数はカウンター数の3倍である。毎週分析して自己反省である。クチコミでカウンター数が増加している。ドミンゴのブログは注目されてきている。これからも黙々と思いついたことや気がついたことを発信しますがおかしい記事があったらコメント下され・・・!大歓迎です。コメンテーターの人々でお祭りマンボを期待してます。よろしくお願いします。最近、ベランダでパッションフルーツを育てています。人生は情熱、パッションですね。今日の夜は明日に備えて湯船に浸かりゆっくり休みたい。

大旅行

2007-05-28 | Weblog
先週は大旅行、23日から25日までいわき市で仕事をし25日の夜、東北支店に沖縄への転勤の車をピックアップ、大雨の中を那須研修所に向った。距離は約320キロである。高速道は雨のため速度80キロに制限されている。しからば一般道を走ることにした。高速道が開通していなかった時はこの道路を走ったことがあるのでどう変わったかの楽しみもあった。
ビックリした道路は整備され周りの町並みも綺麗になり、昔の面影がまったくない。街中の道はバイパス化され真っ直ぐになっている。下り線の路には大型トラックが列をなして走っている。高速料金の節約であろう。夜中ゆえ一般車はほとんど走っていないので時間に余裕があれば高速を使う必要はないようだ。
私が走っている上り線はほとんど車が走っていない。難は信号機があることだけで
これに阻まれて時間がかかる。那須に着いたのが26日朝の3時、疲れているが興奮していて眠れない。2時間ほど起きていたら外が明るくなってきた。こうなると百姓の血が騒ぎ出す。サンデッキから周りを見たら5月の連休に退治した雑草がまた生えている。また、寝ないで雑草とりに励む。夕方ようやく雑草退治が終りたっぷりお湯を入れた湯船に浸りながら疲れを癒していた。お湯から上がったら近所の方からBBQのお誘い、ビールを飲みながらBBQ、明日の朝は早いので8時に家に帰った。部屋に入ったらそのまま床に倒れこみ寝ていた。寒さに目が覚めたら27日の朝の3時部屋の片付けや掃除をして朝の5時に東京に向った。途中で朝ご飯を食べたら睡魔が襲ってきた。車の中で1時間の仮眠、目が覚めたので車の積み込み先の川崎港の東扇島に向う。頭が朦朧としている。やっと目的地について手続きが終わったのは昼の12時である。バスに乗り川崎駅まで来て帰宅した。
早めの夕食をとったらそのまま眠ってしまった。こうして大旅行が終わったがこれを経験してトラックの長距離運転手の大変さを垣間見たような気がする。

農業とは雑草との戦い!

2007-05-27 | Weblog
那須の研修所の近くに渡辺さんと言う農家がある。研修所を建ててからのお付き合いで10年以上経つ。野菜は渡辺さんが精魂込めて作った物を季節ごとに色々分けてもらい頂く、渡辺さんのこだわりは有機肥料と無農薬で育てた野菜である。この野菜は土の臭いと甘さがハーモナイズして生でよし、煮てよし、焼いてよし、漬物でよしの命の元と感じられる。これは作り手の顔と姿と苦労を知っているからである。「三田さん、私はこの家に嫁いでから毎日土との戦い、雑草との戦いでした。農家の人は皆んなそうです。」と語る言葉に70歳を超える人の重みを感じる。手を見せて貰ったが長年の職業病、手の指が熊手のように曲がり、雑草との戦いの痕跡をある。私のお袋の指を観ているような気がした。
都会に住む人たちには農家の人の苦労も知らずして高い、安いと言いながら野菜を選択しているような気がする。自分の先祖を辿れば皆んな百姓である。時代の変遷とこれに伴う職業の分担によって第一次、第二次、第三次産業が構築された。
そして人間は原点の食べると言う第一次産業を嫌い離れていった。これが日本の不幸の始まりであろう。今、地球上に65億人の人間がいるという。まともに飯にありつけるのは20%と残りの人々は飢餓に見舞われているらしい。
戦後の日本、都会に住む人が食糧を求めて買出し列車に乗り、田舎に米や野菜を求めていった光景は60年前である。60年と言う月日はつい最近と私には感じるが、物質的に豊になった人々には千年前の話として認識されているように感じられてならない。農家の人は昔も今も雑草との戦いに明け暮れている。少し時間があったら遊園地に行くより、農家のお年寄りから話を聞くのが最高の教育であろう。
教育基本法の改正はピントが外れている。国民を舐めきった人々が赤坂に税金を使った豪邸に住んでいる。「米百表・・・」を唱えた人も赤坂の国会議員宿舎に入居したと噂が聞えてくる。与野党の人達は国民の税金で私腹を肥やしている。
ここにこそ、政治結社が街宣を駆けないでいるとは何事か?
「獅子身中の虫」がいることも知らない政治結社はこの人たちからお金を貰って生きているようにしか私には見えない。お前達の生活費は何処から出ているか白状せい。バカがいるからバカを食い物にする人もでてくる。麻薬女への情報提供で失脚したアホが幹事長とは片腹痛い。農家の渡辺さんから人間の生きる道を聞くと良いだろう。これが教育基本法の改革である。子供より貴方方が基本が解っていない。子供より酷いことをしている。皆さんどう思いますか。コメント下さい。

稼動効率が悪いと転勤させる。

2007-05-26 | Weblog
私のとこでは車も転勤族である。転勤させる主な理由は高い給料で採用しても駐車上で居眠りをこいていると穀潰しと評価して離れ島に飛ばしている。今回はユーノスに引き続き2台目の転勤を命令した。2台目の社員はスバルのフォーレスト駐車上で寝ていた。沖縄監査研の社長がそんな社員は解雇しても一円にもならない。むしろただ飯を喰っているなら転勤させろ、シバいてやる。暑い沖縄でヤキを入れてやる。との剣幕に驚き沖縄に転勤させることになった。
これから夏にかけてグリーンカレーの拡大を狙っている。もう一台の車社員が必要と言うこともあった。初代のユーノス君は私の足として独立してから一緒に働いた仲間であったがよる年なみに勝てず車の病院通いが多くなり、医療費も嵩んできた。本人からもそろそろ養老院にとの申し出があったので泣く泣く手放すこととして年寄りだが若き日の姿を売り物にして中古人(車)の販売店に並んでいる。老後を大事にしてくれる奇特な人が現れるのを待っている。
沖縄は塩害の被害が本土の3倍、新人を買っても油断していると3年ぐらいでサビがでる。それゆえ、新人の高い給料より、旧人の安い給料が人気があって酸化鉄になって滅するほうが良いようだ。今回のフォレスト君は何年持つか解らないが沖縄監査技研の社長の使い方で短くも長くもなると思う。
人間も車も同じ、しっかり躾けないと早くサビが出て使い物にならない。人間のサビは脳みそに現れ、車のサビは下回りや外装に現れる。
私は中古車(人)販売店に並びたくない。卑しくも私には人間としてのプライドがある。渡り中間にいい人はいない。脳にサビが浮いている。
こんなことを書いていたら外が明るくなってきた。

壁に耳あり、障子に目あり

2007-05-25 | Weblog
昔の人はいいことを言ったものだ。謀りごとを相談する時は注意しろと諭した言葉であろう。昔、赤提灯でサラリーマンが会社の悪口や上司への不平・不満を声高く喚いている人を見たことがある。そんなに不平・不満があるなら赤提灯で喚く出なく直接の関係者に申し出たらと回りで笑っていた。そんな勇気もない人が酒を飲んだ勢いで元気出しても「お前はバカか」と見られていることも解らないだろう。こんな人は何処に行っても同じである。だからこんな人には二度と会いたくもないし、会う積もりもない。主義主張があるなら堂々とでて来いと言いたい。
最近、個人情報保護法や国際規格の情報セキュリティーマネジメントシステムの普及に伴い、会社の情報や個人情報を漏洩すると悪くすると首チョンパの仕組みによって職を失うことになる。不用意な発言や情報の持ち出しは命取りになる。口の軽い人には要注意である。自分のことも他に言って漏らしていることは間違いない。
そして信用を失い、自業自得の世界にはまってしまう。
日光東照宮の左甚五郎の作「見猿、聞か猿、言わ猿」猿の彫り物はこれを戒めたものであろう。しかし、時代が変り悪代官が多くなってきた現代では三猿を決め込むと同罪と看做される危険が伴う。不正に対しては内部告発が許され、身が保護される。日本は「本音」と「たてまえ」の二重構造の社会、今でも営々と続いている。何を考えているのかわからない人との付き合いは長く続かない。ある時予告もなく変身する。「貴方だけはと信じてた~♪」バーブ佐竹歌手の歌が思いよぎる。
「壁に耳あり、障子に目あり」は時代が変化しても変わらない。

地方に行けば行くほど・・・

2007-05-24 | Weblog
昨日の夜、東京から福島のいわき市にやって来た。東京は明かりが煌々として繁栄のしるしである。東京から離れるごとに明かりが少なくなってくる。水戸、日立などの駅は駅周辺だけが明かりが多いがちょっと離れると真っ暗である。
地域格差が問題となっているが明かりを見るとその感は否めない。
人工衛星で夜の地球の明かりを観察すると繁栄地は明かるく輝いて見えるという。
これによって各国の繁栄状況も解ると言っていた。
しかし、明るく光っている地域には農地がなく、食糧の生産がない。むしろ、地球上で食糧不足が予想される昨今では暗い地域に未来があると私は思っている。全ての地方は中央にない食糧生産による繁栄の可能性を秘めているのではなかろうか?
全てのことには光りと影があると思う。頑張れ、地方!応援団長ドミンゴからのエールである。


気力・・・

2007-05-23 | Weblog
どうも最近気力がなえてきたようだ。これも年と関係あるように思う。若いときは我武者羅に何でもやり、それなりの結果が生れた。この結果を喜びに気力が充実し、生きる喜びも沸いてきたものだ。ある人から言われた。「ドミンゴさんはマグロのように泳いでいないと酸素が取れないように見える・・・」第三者から見ると私がそのように思えるかも知れない。思い当たる節がある。独立してから3年間手帳を見ると良くも休まず働いたものだ。後から思い出しても驚きのスケジュールを捌いていた。このときは気力も充実し疲れも感じなかった。もう年に合わせた仕事と体力に合った仕事に変化させなければならない。新しい仕事のアイデアは多いが体は一つしかない。これからは若者を育て後継者を育成する仕事にシフトする時期が来たようだ。一人でやれる仕事の限界を身を持ってひしひしと感じてきた。これは私一人でなく、誰でもいつか経験するものであろう。今日は夕方から福島に審査でいって来る。審査を通じて相手からエネルギーを貰いたい。