ドミンゴ(土民子)のわくわくランド

自分が感じた面白い、かつ、怒りの話題を提供します。
みなさんのコメントをお待ちしています。

ブログウォチャー新登場・・・

2006-10-31 | Weblog
個人ブログを開設している人はごまんといるらしい。私もその一人である。

しかし、ブログを開設する目的は人それぞれ異なる。ブログは活字と写真の世界、

何が本当で何がウソか解らない。そこでチェックするのが矛盾がないか調べること

である。

私の爺さんは、今の国土交通省から民間人として川の水量の観測とお天気の観測を

依頼され。朝晩の定点観測データを毎月報告し、幾ばくかの報酬を得ていた。

これのお手伝いは孫の我々がやった。和賀川のほとりに住んでいた我が家が一番と

言うことと観測者はウソをつかない真面目な人として推薦されたようだ。

この経験が私には身についている。ウソをつくと信頼を失うことの重要性である。

さて、話はずれたが私はある人のブログを定点観測している。

「気づきプロ」と称している人のブログである。私をコケにしているからである。

この人はスパムが多いのでコメントを停止していると宣言しているのでコメントの

有無をチェックしていた。ところが10月23日の「身近なお医者さんがいない」

と言う記事に3つのコメントがあった。

どんなコメントかなと出歯亀の如く覗いてみたら、アッと驚く為五郎!

次に驚いた事実を紹介したい。彼の記事の紹介の日時とコメントの日時である。

記事の掲載日と時間       : 10月23日 07:30
管理人の返事の掲載日と時間 : 10月24日 07:27?
黒川さんのコメント日時      : 10月24日 12:29(2回目)?
黒川さんのコメント日時      : 10月24日 12:19(1回目)?

ブログは時系列で掲載されます。ウォチャーは時間軸でチェックしている。

管理人は、黒川さんのコメント前の時間に「まさかコメント来るとは?」と恐縮し

た返事を書いている。彼の言い訳は日を間違えてました。本当は25日ですという

だろう。恥ずかしながら「気づきプロ」IS0でなく、USO(ウソ)でした。

ちなみに、黒川清氏は日本学術会議前会長で経歴や功績が立派な人である。

気づきプロと称する人のブログを見るような時間はないと察する。

自分が如何に大きいか他人に見せるための一人芝居をブログでやっているようだ。

私も彼に利用された。監査技研と我が社は兄弟会社であると沖縄で吹聴していた。

自分の都合で他人を利用している。

さて、彼はこの記事を見ているか否かをテストしている。

見ていれば、彼のブログのコメントを消し去る。見ていなければそのままコメント

が残っている。

皆さん賭けましょう。私は消してしまう方に一万ドルを賭ける。受け手はいます

か?信頼と一万ドルを天秤にかけるのは彼だけであろう。

ブログの記事は一日一つと思っていたが被害者が増えないように追加記事を書い

た。明日のブログのタイトル「会社の名刺はどう使いますか?」です。楽しみに!

本を読む人少なくなった!

2006-10-31 | Weblog
団塊の世代は、通学や通勤の電車の中で単行本をよく読んだものである。

私も本の虫、週に3冊位は読んでいた。本から得た知識が多くあり、小説や歴史本

のなかに入り込み、あたかもその本の主人公やその時代に生きているような想像を

して楽しんだ。

これが本を読む醍醐味、活字中毒のような習慣が身につく。この癖が直らず出張の

時は2冊本をかばんに入れ、移動中は夢中で読む。好きなジャンルは特になく手当

たり次第の雑読である。

しかし、携帯電話が普及し始めてから電車の中で本を読んでいる人をほとんど見か

けない。むしろ、一斉に携帯電話を取り出し、コリコリとメールしている姿を見る

と異様な光景である。

たいした内容でもないメールを打ったり、受けたりしているのだろう。

携帯電話は便利だが暇つぶしに使い、頭が空っぽになるのではないかなと心配して

いる。私も携帯電話を持っているが本当に必要な時以外使わない。

昨日の夜、地下鉄に乗って家に帰る途中、携帯電話に夢中になっている集団が回り

に沢山いた。周りを観察するでもなく、携帯電話の画面に心が吸い込まれていた。

「秋の夜長に本を読む」の言葉は遠くになりにけりかな?・・・・・

我が家の家族4人はよく本を読んでいる。だから語彙も豊富で会話が面白い。

ミミズッチー!腐葉土の生産

2006-10-30 | Weblog
当社のお客さんである旭川の花本建設さんでは、材木のチップや廃材を利用して、

腐葉土の生産工場を建設し、花壇や畑の土として販売している。

この腐葉土の名前を「ミミズッチー」と称し、インターネット販売している。私も

農家の出身、土作りが農業の一番の基本である。

全国の建設会社とお付き合いしているが、今後の建設業の方々、農業が新しいビジ

ネスのチャンスだと吹きまくっている。作物でなく土作りに大型機械を使って土の

生産工場をやったらどうか?提案していた。

くしくも花本建設さんが魁として始めており、成功例として見本になれば続々全国

に普及するのでないか感じている。

いつの時代も先駆者は苦労して「俺がやらなきゃ、誰がやる。」の気概を持って先

陣を果す。社長さんとお会いしてお話したが、経営者として先の時代の変化を捉え

ていた。

こんな寒い旭川でミミズを利用した土作りの発想を誰がしたであろうか?

発想の転換である。

公共事業費の減少に伴い、建設業は苦しくなっているなか、生き延びるためには、

従来の考えを大転換していかなくてはならない。

これは建設業だけでなく、どんな業種にも当てはまる。

当社のようなコンサル会社でも事業の大転換を図らなければ生きていけない。

会社もそうだが人間一人一人も同じである。先輩が切り開いてきたことをそのまま

やっていては進歩も発展もなく、給料も減っていく。社会や人々が求めているニー

ズを早く掴み脱皮していくことが大事なことであろう。

「義」をとるか?「理」をとるか?

2006-10-29 | Weblog
大阪夏の陣、山内一豊は豊臣側につくか?徳川側につくか?両陣営の狭間で悩んで

いた。秀吉には「恩義と義理がある」し、家康には「理」がある。

「義」をとるか「理」取るべきか。ハムレットの心境である。

一豊が家康に拝謁したとき、家康は一豊が迷っていることを見抜き、一豊にこうい

った。

「損得を考えて判断する者は裏切る。武士(もののふ)として戦場で戦うことがあ

っても、恨みはしない。ゆっくり悩みなされ~」この一言で一豊の心を掴んだ!

一豊は秀吉に恩義はあるが、豊臣側の参謀である石田三成には恩を受けていない。

「理と義」を秤にかけて、熟慮に熟慮を重ね、家康の「理」に身を奉げた。

その結果は皆さんが歴史で学んだようになった。

一豊のような立場を私は経験した。14年前、17年間お世話になった藩を去る

か残るか、一年間一人で悩んだ。誰にも相談しなかった。というより誰かに相談で

きるものでない。そして出した決断は脱藩すると言う厳しい道を選んだ。

このためにしたこと脱藩後、後ろから矢玉が飛んでこない策を講じることである。

新しい改革を立ち上げようと決心をして藩主や大老を説得し、しぶしぶの許可を得

た。藩主の説得に一年費やし、改革の立ち上げに一年、ようやく改革が完了、後は

時間がこの改革を成功させてくれると確信。改革の厳しい山を越した。

脱藩一ヶ月前、藩主に脱藩願いを提出した。藩主は突然の申し出にビックリ

し、再三再四慰留された。幕府の役人にも毎晩説得された。しかし、貧乏していて

も私の先祖はもののふ、男に二言はない。切腹しろと言われたら従う覚悟がある。

そして1994年3月円満に脱藩をした。12年前の出来事である。

以来、多くの藩主から信用され、小さい藩を起こして12年間藩の運営している。

私が脱藩した後、各藩の足軽たちは土民子足軽は成功し、多くの米を手に入れてい

るらしいとの噂が立ち、多くの足軽が藩の恩を忘れて藩を逃げ出した。いさかいも

あった。この調停にも仲立ちをし、両者の全面戦争を未然に防いだ。

しかし、藩を逃げ出したら世間の風は冷たい。たいした武功も立てずして食い逃げ

である。人望も信用もない足軽たちは別な藩に草鞋を脱ぐしか飯の食い扶持はな

い。そうした足軽たちはそれぞれ、能率藩、イギリス藩、韓国藩や沖縄藩で録を食

んでいる。なかには脱藩したが先方の藩主に嫌われ、元の藩に出戻った足軽もい

る。この世界観察しているとおもろい。

しかし、足軽の中に複数の藩の台所に出入りし、下女を騙して米を盗んで食ってい

るねずみ男の足軽がいる。

ところがあるとき、盗み食いがバレ出入り禁止を喰らった。このねずみ男の足軽は

韓国藩に未練があり、追い出されても勝手口から韓国藩の米びつを狙ってチョロチ

ョロとシッポを出している。韓国藩主を脅迫し、怒りの反撃を受けてそんなつもり

でない。と言い訳していた。どんなつもりか・・!「謝る勇気」もないねずみ足軽

である。このねずみ足軽は当藩で録を藩でいた。突然脱藩し、当藩が開拓した新田

の米をくすねている。自分で新田を開拓せず、当藩が開拓した米を今でも食ってい

る。私は知っているが餓死するのは偲び得ないので見てみぬ振りをしている。

しかし、最近目に余ることをしているので罠を仕掛けた。

家来は一人もいないが、足軽が藩主と自称している。巷では、バカ殿と呼んでい

る。知らないのは本人だけである。

こんなねずみ男の足軽は同じようなねずみ足軽を集めたがりインナーサークルを作

り、お世話になった藩主を非難している。

そのうちに自分で仕掛けた罠にかかり、最後を遂げることになるだろう。

とまれ、私が脱藩した藩の新規改革は年間12憶両の商いになっていると風の

便りに聞えてきている。

この策を講じたお陰で私の後ろから矢玉が飛んでこない。

私が新規改革に取り組んでいたとき、あの野郎失敗すれば良いと笑ってみて

いた足軽人達は私が脱藩したら、われ先とこの改革に参入したと聞えてきた。

鎧・兜は立派だが頭はカッパ・・・?

私は円満に脱藩したので元の藩の会合に堂々と顔を出せる。

ところが会合に出ても、昔私の悪口を言ったであろう足軽たちは私に近づいてこな

い。むしろ避けている。私が脱藩したあと、おかしな家老と徒党を組み毎晩ドブロ

クを飲んでおだを上げていた足軽達であろう。

こんな足軽人生を歩みたくない。反面教師である。この意味ではよい手本となって

いる。心底から感謝したい。

「義理や人情」忘れては世の中、生きていけないことを悟るべきだろう。



コメントコーナーはわくわくランド!

2006-10-28 | Weblog
今年の3月から「ドミンゴブログ」を開設し、見たこと、感じたこと拙い文で書

いて来た。

よくも毎日かけますね。と声がかけられることもある。

私にとっては苦痛でなく、楽しんでいる。

我々は毎日違う日を過ごす。と言うことは何か感じることや見ることがある。

これを電子日記に書き込んでいると思えば楽しい。

普通、日記はあまり人に見せないが、公表することにより、外からの反応がある。

この反応がコメント欄である。

記事にコメントを戴き、コメンテーターから色々学ぶことや気づかされることが多

い。この醍醐味を味わうと癖になる。

もちろん、ブログの記事に自分の心の動きを書くこともあるが敢て自分を曝け出し

ている。

自分の身を安全なところに置き、評論記事を書くことを極力避けている。

評論記事を延々書いても意味がない。そんなものは、新聞、週刊誌、ラジオ・テレ

ビを見て誰もが知っている。

そんな記事を書いて、俺は何でも知っているごとく大きく見せても所詮、張子のト

ラでしかない。

スパムが多いのでコメント欄を閉鎖しているとのブログもある。

自分に都合悪いのは、スパムと称してコメントを拒否するなどフェアでない。

たこ壷から口だけ出して言いたいことを言いまくり、人の話は聞かないと言う姿勢

である。ブログを開設すればこんなリスクはあること承知で腹を括るしかない。

私はトラックバックを閉鎖している。

おかしい人がリンクを張ってくる。エロサイトやオカルトサイトが自己PRに他人

のプログを使うからである。

言うならばコメントコーナーは表玄関、トラックバックは裏の勝手口。裏口から入

ってくるのは泥棒のような悪意を持った人である。

ドミンゴブログのコメントコーナーは賑々しくなってきている。

「健康な体には健全な精神が宿る」健康な記事には、健全なな人が集うと読み替え

ても間違いはない。

スパムが多い人のブログの公表者は、その人をよく知っている人がブログに書い

ていることとやっていることの違いにコメントしているのだと思う。

こんな人はやっぱり自分のことしか考えない。

スパムが多い人はそれだけ自分が人から信用されていないと言う証明である。

「ドミンゴのわくわくランド」のコメントコーナーは「お祭りマンボ広場♪」にな

ってきた。今日の東京は日差しが暖かく、風もなく穏やかな朝を迎えた。今日は骨

休みの一日である。








カツオ節は食えるけど・・・?

2006-10-27 | Weblog
日本で一番短い手紙のコンクールを開いて、全国的に有名な町があるという。

短い手紙にその人の思いを込めて両親に伝えると記憶している。

このもとのきっかけは「山ノ内一豊」が戦場から妻に送った手紙である。

「一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな 馬肥やせ。」と言う有名な言葉である。

若い人々はほとんど知らないと思う。現に今日、当社に来た配送業者の社員に聞い

たら「そりゃなんですか?」といわれた。いよいよ私も翁になったのかと残念・無

念、明治・大正・昭和は遠くになりにけり~~~~?

一豊の豊(とよ)はゆたかとも読む。「谷の底 豊」ここで一句!乾坤一擲の裏技

を披露しょう。

「一筆啓上 事故用心 早ね、早おき、朝ごはん ハルを肥すな 庭肥やせ!」

車での通勤、夜中までの仕事、ペットの甘やかし、庭の雑草を心配しての一筆であ

る。(大笑い)

NHKのプロデューサであった和田勉氏が言った「ベンベン・ベンベン 和田ベン

がはは?」は笑える(中笑い)

ここでトミンゴさんの一言と鹿児島県の放送局の人からマイクが突きつけられ

た。「びっくりしたな もう~~~~!」

「カツオ節は食えるけど ドミンゴ節は食えない!」と断言。(小笑い)

こんなお茶目のドミンゴです。歳をとるたびに子供に帰っていくようです。

子供の眼は純粋で事の本質と人間を見る眼が鋭くなってくる。

歳をとってくると欲や野望や邪心のフィルターが無くなり、人の一言や仕草でその

人の本質や心が観えてくる。弱者は人の心を読んでいることを忘れてはならない。

私は年齢という弱者の部類に近づいているように感じられる。

楽してお金を得ることができない。汗水を垂らして幾許(いくばく)かのお布施を

いただける。人に社会に会社に感謝したい。いかがなモナカ!また、がめったな~

~「喝!!!!」などと考えていると頭はボケないです。

私も皆さんも自分の心に笑いを得よう。「笑う門に福が来る。」笑うことが健康に

なるそうです。「ワッハハ~ワッハハ~ウワッハハ~ド・ウワッハハ

~」・・・・?




メダカの家の大掃除?

2006-10-26 | Weblog
昨日、大阪から遅い時間に帰った。人身事故の影響でダイヤが大乱れである。

早速、ベランダのメダカの様子を見に行くとトロ箱メダカ・マンションは水が汚れ

メダカの姿が見えなくなっている。

こりゃ大変だ!ホースを引っ張り出し、マンションの大掃除に取り掛かった。

トロ箱に水を入れながら、大掃除した。底には水草の根が堆積し、小さい貝が沢山

いた。この貝は清掃人と思っていたが増え続けて水の汚濁源となっていた。

水を注ぎながらトロ箱を洗っていくと水が澄んでいく。

段々水の中にメダカの姿が見えてきた!おお~元気であったな・・・とてもうれし

い。水を入れていると無謀にもトロ箱から逃げていくメダカ数匹が見える。

このメダカは排水溝に吸い込まれていく。

以前は、このようなメダカを助けていたが最近では、ほっていくことにした。

トロ箱の外に憧れているようだ!いい夢を見てみなさい。自己責任の世界である。

メダカはトロ箱の世界でしか生きれない。無謀にも飛び出したメダカは干される

か、別な水槽に入るしか生きる道はない。

トロ箱の掃除しながら人間社会の様相をかい間見ているようだ!

十分な餌を貰っても満足しないメダカはトロ箱から逃げ出し、一人で生きようと無

謀な行動を起こす。その結果は次の朝、息絶えている。

ベランダの向こうに煌煌と灯りがともる六本木ヒルズのタワーが見える。

私には、我が家のトロ箱にしか見えない。どれだけのメダカが住んでいるのかな!

籠に乗る人、担ぐ人、担ぐ人の草鞋を作る人・・・・・

我々、人間社会には、その人に会った役割がある。

その役割りの中で自分の役を知り、役割を懸命に果すことが自分の幸福を掴むこ

とになろう。

ちなみに、私は雑巾掛け役である。汚れを綺麗にする役割を担っているのかな・・

と思っている。人がこぼした雫を黙ってふき取る。「一歩前に!」と張り紙をする

が誰も実行してくれない。

小さい会社の経営者は雑巾掛けの役割であることを悟った。



良い人の基本とは・・・・?

2006-10-25 | Weblog
良い会社には良い人が集まっている。

良い会社は適正な利益を上げて、法人税を納め社会に貢献している。

では、皆さん「良い人」とはどんな人でしょうか?

私はこう思います。良い人とは「仕事のイロハはABC」ということを知って実践

している人である。

では、ABCとは何の略かな? 次の通りである。

A:当たり前のこと!(自分に課せられた仕事、新しい課題を)

B:ボンやりせず!(素早く、スピードを持って)

C:チャンとやる!(間違えなく、手直しがなく処理する)

とかく、仕事のできる人には仕事が集まって常に忙しい。終わってホッとするまも

なく次の仕事の依頼で年中動きまわっている。

これには理由がある。仕事を多く抱えている人は、仕事の重要性を素早く判断し、

重要度の高い順から取り組み、早く答えを報告してくれる。

一方、仕事のできない人には仕事が集まらない。この人たちは簡単な仕事から手を

付け、ゆっくり時間をかけてあたかも仕事をしているように装っている。

でてきた答えも出来が悪く、重要性の高い仕事が遅れて問題を起こす。こんな人は

言い訳が多く、権利だけ主張しだす。こんな人を抱えた経営者はたまったものでな

い。

やはり、前者のような人が集まった組織は強い。

良い人をいかに確保するか経営者の課題であろう。・・・・・・






目先の実績を追い求め・・・・

2006-10-24 | Weblog
最近、「小粒になった」「重みがない」企業の役員の人物評は、厳しさを増してい

るという。

ある建設会社で社長を務める人「ウチの役員は一様に情熱とビジョンに欠けてい

る。まして、リスクを背負って何か新しいことをしょうとしない。その消極的姿勢

が、わが社を後退させている事に気づいていない。」

ライバル企業は数年先を見据えて布石を打っている。そんな競争環境にあって、現

状維持に徹していたのでは、将来の発展はありえない。滅びる運命だ!

どんな組織も変化を嫌う自己防衛本能が備わっているようだ。その壁を破り、時代

の変化に順応できる組織に再編するのが取締役の役目だ。

目先の実績を追い求めるだけでなく、将来の発展のビジネスを模索し、経営者に提

案することが求められている。

特に建設業は、公共事業に依存し国の投資が多くなっているときにいい思いをして

おり、夢よもう一度と期待している。

しかし、昔の夢は再来しない。税収が厳しく、インフラ整備も一段落しており、か

つての不動産バブルや公共工事はなくなった。成功体験者は、過去の夢に引きずら

れて、新しい発想に中々転換できないでいる。

私は地方の建設業の経営者に将来、日本の農業に可能性がある。

野菜をつくるノウハウはないだろうから、野菜を育てる土作りを製造業のようなシ

ステムを取り入れてやったらどうかと提案している。

このシステムとは、ミミズや微生物を利用した土の生産工場である。

健康志向の消費者は食の安全に感心が高く、健康によい野菜を高くとも求めてい

る。大型のビニールハウスを利用した機械化の土作りである。

有機栽培の野菜には、大量の腐葉土が必要である。人工的に腐葉土を生産すること

である。需要は大きい。夢が夢を呼び、人が集まる。・・・・・どうだろうか?




あわてず、あせらず、あきらめず!

2006-10-23 | Weblog
「ことをせいては ことを仕損ずる」

仕事を早く処理することは当たり前のことだが、新しい事にチャレンジするには、

早く結果を出そうとし、あわてて取り組んでは失敗する。特に今まで経験したこと

のない分野にチャレンジするときには十分な下準備が必要である。

私は前職時代も今もことに当たっては十分な事前調査をしている。

これだと方向性が決まったら脱兎のごとく飛び出し、一点集中、最後までやりとげ

た。人はこれを見ていて天才的なヒラメキだと言う人もいたが、土の中に深くしっ

かりした根を人に見えないところでやっていた。自宅でも休みの日にどうすればよ

いのか始終考えていた。家族から父さん魂抜けているような顔をしていると言われ

たことがたびたびあった。

前職中も家で基準の原稿を作ったり、仕事のシュミレーションをしたものだ。

この隠れた時間が自分に多くの知識と力を蓄えた。

あわててやった仕事には、いい結果は生じない。

人は普段サボっている。だから突然仕事を指示されるとあせって取り組む事になる

あせると、いい仕事をしょうとして、手当たり次第、場当たり的に動きまわり、結

果として負のスパイラルに巻き込まれる。あせってもいい結果は出ない。

成功するには、しっかりした計画と強い意思を持って最後までやりとげる粘りが大

事である。

しかし、ここで忘れてならないのは人々からの協力である。

協力を得るためには、信用されていないと協力を得ることができない。

従って、普段からの言動に注意を払い、表裏ない姿勢と人に尽くしておく行動が不

可欠である。

自分の利益だけを考える人には周囲からの協力はない。よって、成功はおぼつかな

い。

成功者は常に謙虚であるが「あわてず、あせらず、あきらめず」の三つの「あ!」

が潜んでいるように感じてならない。