いつのまにかブナの林がまばらになり、稜線が痩せ始めてきた。テールリッジももう間近だ。雪が目にみえて軽くなり、パウダースノー特有の粉のような感触が板を通して伝わってくる。これからは今年初のオフピステダウンヒル。さぞかし楽しい下りになるだろう。
だがその前にもう一つ楽しみがある。俺の想像が違って居なかったら面白いものがテールリッジから見えるに違いない。
「逆説的な言い方になるが、無理であればこそチベット仏教は果敢に性的メタファーによる世界把握に挑み続ける。しかしながらすこし視点をずらしてみると、彼等にはその選択しかなかったとも言える。ヒンズーとイスラム二つの宗教の狭間に置かれた後期密教に於いては、スーフィー的色彩を排して行く事が第一義であり、その為にはヒンズー側に擦り寄ることはよんどころない選択だった。
ヒンズーが多用する五感に直接目指したシンボリズムを否定して、より抽象的なイメージを使用すること。例えば、気息を通じての宇宙原理への接近を図るといった事は余りにスーフィー的世界に近づきすぎる。脱線を承知で付け加えれば、スーフィーにおける宇宙接近法は仏教(唯識・華厳そして前期密教)の影響を強く受けたものだと思う。君と最初に出会った講義のテーマだったよね。
インドに於けるイスラム教の攻勢に、壊滅的な打撃を受けた後、ようやくチベットに安住の地を得た彼等にとってスーフィーと並行したアプローチを取る事など論外だった。」
「哲学的にはあれだけ厳密な議論を行なうのに、神学になると万事にアバウトになってしまう、インド世界の枠組みの性ですか。」
「そうだからこそ、イスラムとの神学レベルでの競争は避けたかったのだと思う。勿論そう思った時点で信者獲得競争では負けに決まっている。まあインド・チベット仏教に信者獲得と言う概念が適用できるかどうか難しい所があるがね。」
だがその前にもう一つ楽しみがある。俺の想像が違って居なかったら面白いものがテールリッジから見えるに違いない。
「逆説的な言い方になるが、無理であればこそチベット仏教は果敢に性的メタファーによる世界把握に挑み続ける。しかしながらすこし視点をずらしてみると、彼等にはその選択しかなかったとも言える。ヒンズーとイスラム二つの宗教の狭間に置かれた後期密教に於いては、スーフィー的色彩を排して行く事が第一義であり、その為にはヒンズー側に擦り寄ることはよんどころない選択だった。
ヒンズーが多用する五感に直接目指したシンボリズムを否定して、より抽象的なイメージを使用すること。例えば、気息を通じての宇宙原理への接近を図るといった事は余りにスーフィー的世界に近づきすぎる。脱線を承知で付け加えれば、スーフィーにおける宇宙接近法は仏教(唯識・華厳そして前期密教)の影響を強く受けたものだと思う。君と最初に出会った講義のテーマだったよね。
インドに於けるイスラム教の攻勢に、壊滅的な打撃を受けた後、ようやくチベットに安住の地を得た彼等にとってスーフィーと並行したアプローチを取る事など論外だった。」
「哲学的にはあれだけ厳密な議論を行なうのに、神学になると万事にアバウトになってしまう、インド世界の枠組みの性ですか。」
「そうだからこそ、イスラムとの神学レベルでの競争は避けたかったのだと思う。勿論そう思った時点で信者獲得競争では負けに決まっている。まあインド・チベット仏教に信者獲得と言う概念が適用できるかどうか難しい所があるがね。」
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