ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2002年6月16日、重岡駅を訪れた

2015年03月01日 00時04分13秒 | 旅行記

今回は、2002年6月16日に訪れた重岡駅を取り上げます。

 当時、大分県の南部、宮崎県との境に南海部郡宇目町がありました。2005年3月3日、南海部郡の他の町村とともに佐伯市と合併し、現在は佐伯市の一部となっています。私が大分市に住んでいた頃には、宇目町は「ととろの里」としても有名な町でした。「ととろの里」は、重岡駅からかなり離れた国道326号線沿いにあり、「ととろ」というバス停もあります(ちなみに、「ととろ」は宮崎県延岡市にもあります。日豊本線の土々呂駅です)。

 国道326号線が整備されたこともあって、大分市から延岡市、宮崎市の方面に向かうルートは、そちらのほうがメインになりつつあります。野津町(現在は臼杵市)、弥生町および直川村(いずれも現在は佐伯市)を経由する本来の幹線、国道10号線は、宗太郎峠付近の急勾配、急カーブがネックとなっているため、国道326号線経由よりも所要時間が長くなります。ちなみに、合併によって(新)佐伯市が誕生するまで、国道10号線は(旧)佐伯市を通っていなかったのでした。

 その国道10号線は、番匠川付近から日豊本線とほぼ並行しています。かつての直川村にある直見駅と直川駅の前を通り過ぎ、かつての宇目町に入り、しばらくすると重岡駅に着きます。同線の佐伯~延岡は、2002年6月当時には普通電車が一日5往復しかなかったのですが、2008年3月のダイヤ改正以後では朝1往復、夕方2往復、計3往復にまで減りました。しかも、電化区間であるにもかかわらず、現在はディーゼルカー1両のみのワンマン列車となっています。

 この他、市棚~延岡に1往復があるのですが、市棚~延岡は宮崎県ですので、佐伯~市棚に限定すれば3往復だけなのです。この区間は、大分県で、否、JR九州の鉄道路線で、最も普通列車の本数が少ない区間になっています。これでは通勤にも通学にも使い難いでしょう。

 あくまでも普通列車の本数が少ないのであって、日中にこの駅を通過する特急電車を加えればそれなりの本数にはなります。しかし、特急は途中の駅(全て無人駅)に停車しません。

 本当は、大分県最南端の駅、やはり宇目町の宗太郎駅を撮影したかったのですが、同駅は国道10号線から少し離れており、細く、少々わかりにくい道を入らなければなりません。分岐点を見逃したため、あきらめたのです。

 写真でもおわかりだと思いますが、重岡駅は、最近、映画「なごり雪」(大林宣彦監督)の舞台ともなりました(主なロケ地は臼杵市です)。映画にはほとんど興味も関心もないので、見たことはありません。おそらく、ロケの時には多少とも賑わったのでしょうが、普段は乗客もほとんどいないと思われる駅で、撮影時もホームには電車を待つ人は皆無でした。

 なお、上の写真に登場する駅舎は、2006年に解体され、それとともに看板も撤去された、とのことです。

 この日、私は当時の愛車日産ウイングロードXで大分県南部を走り回っていました。その折、重岡駅前に車を停め、駅の中に入ってみたのです。駅舎があるホームが下りホームで、あと何時間かすれば延岡行か南延岡行の普通電車が来るはずです。あるいは、現在は列車交換を行っておらず、上りと下りの共用ホームで、上りの佐伯行か大分行の普通電車かもしれません。

 無人駅で、乗降客もかなり少ないはずですが、交換駅となっています(日豊本線の大分~鹿児島は単線です)。直川駅まで10キロメートルほど、宗太郎駅まで7キロメートルほど離れているためでしょう。現在、ここで列車交換などをやっているかどうかはわかりませんが、かつてはこの駅を寝台特急富士号や彗星号も通過していたのでした。 また、かつては現在よりも本数が多かったのでしょう。現在では特急電車すら本数が少なくなっています。

 反対側にある上りホーム(?)には、この駅が海抜219.416メートルの場所であることが示されています。隣の宗太郎駅のほうが高い場所にあるはずですが、よくわかりません。大分県内の駅の全てに海抜を示すような標識は立てられている訳ではありませんから、この駅は大分県内ではかなり高い場所にあるということなのかもしれません。

 駅名標です。JR九州の場合、ほとんどの駅の駅名標にはイラストが描かれています。写真が少々ピンボケであることもあって、イラストのデザインがわかりにくくなっていますが、中の青い部分は海で、右側の緑色の部分が島、左側の緑色の部分は九州の海岸線ではないかと思われます。しかし、この駅は山の中にあり、海へ出るとするとかなりの移動距離を覚悟しておかなければなりません。

 現在は佐伯市になっていますが、2002年には南海部郡の宇目町でした。そのため、大分県南海部郡と書かれています。塗装が剥げ落ちている部分もあり、かなり痛々しく感じます。

 またピンボケの写真になってしまいました。駅舎のそばから宗太郎側(つまり、延岡側)を撮影してみました。8両編成まで停車できるホームです。長さだけなら大手私鉄と比べても遜色はありませんし、首都圏のJR路線でも、重岡駅よりホームが短い駅は少なくないでしょう。しかし、すぐにわかるように、雑草がホームにも生えているところが、いかにも利用客の少ない無人駅という感じがします。

 私が大分市に住んでいた頃、この区間を走る普通電車は3両編成か4両編成でした。大分~佐伯の普通電車はワンマン運転が多かったのですが、重岡駅を通る電車は車掌も乗務していました。しかし、本数があまりにも少ないので、果たしてどれだけの利用客があったのでしょうか。1日あたり100人以上とは思えません。隣の宗太郎駅に至っては1日あたりで数人とも1人未満とも言われています。

 かつて、私の自宅から最も近い駅であった豊肥本線敷戸駅がそうでしたが、大分県内の駅には、たいてい、このように「名所案内」が立てられています。竹中駅にもありました。ただ、観光案内になっているのかそうでないのかがよくわからないのです。

 改めて、上の写真を御覧下さい(クリックすれば拡大します)。名所案内とありますが、この駅から歩いて30分以内の場所など案内されていません。現在はどうかわかりませんが、当時、たしかにこの駅のそばに大分バスの重岡駅前バス停があり、大分バスと大野交通のバスが通っていました。しかし、これも極端に本数が少なく、しかも距離が長いだけに乗車時間もかかります。従って、バスの運賃もかさみます。

 傾山まで34キロメートルとあります。この山は佐伯市、豊後大野市、そして宮崎県西臼杵郡日之影町の境界にそびえる山でして、豊肥本線の緒方駅からバスで行ったほうが楽なのではないかと思われます(但し、私は一度も行ったことがないのでわかりません)。34キロメートルと言えば、中央本線の東京~国立とほぼ同じです。同じ中央本線の新宿からであれば、豊田までよりも少し長いということになります。東横線の渋谷~横浜で24.2キロメートル、田園都市線の渋谷~中央林間で31.5キロメートルです。当時の宇目町の東端から西端までが34キロメートルなのですから、かなりの距離であることがわかります。

 もう一箇所、藤河谷渓谷が案内されていて、ここから32キロメートルと案内されています。渋谷~中央林間とほぼ同じです。木浦まではバスがあるというのですが、前述の通り、(当時でも)本数が極端に少ないのです。この渓谷にも行ったことはないのですが、地図で見ると、木浦から南のほうに向かい、宮崎県の東臼杵郡北川町との境に近い場所です。

 2003年5月31日、 私は木浦から重岡まで車で走りました。木浦から国道326号線に出るまではかなり悪い状態の道を走らなければならず、時間ばかり食ったことを今でもよく覚えています。たしかに30キロメートル以上を走っていました。さらに佐伯市街地まで走ったので、45キロメートルほどになりました。2003年には合併の話が本格的になっていましたので、ウイングロードを走らせながら「本当に合併してよいのだろうか。ただでさえ人口稀薄地帯で大変なことになっているのに、合併して佐伯市の面積が広大になったら、福祉サービスなど一体どうなってしまうのか」と考えていました。大分大学大学院福祉社会科学研究科に院生として入学された方から、この宇目町の事情などを度々うかがっていましたので「合併によって宇目町の地域が切り捨てられたりしなければよいが」と思っていたのです。そして、「合併推進派の連中は、一度でいいから宇目町から佐伯市まで、自分で車を運転してみるといい」と、本気で思っていました。

 考えてもみて下さい。私が木浦から佐伯市の大手町まで車を走らせてみたら、45キロメートルほどの移動距離だったのです。これは、新宿駅から湘南新宿ラインで戸塚駅まで移動するのと同じくらいの距離です。あるいは、新宿から豊田か八王子あたりまでの距離と同じくらいです。佐伯市の場合、これだけの距離の範囲が全て佐伯市ですが、首都圏でしたらいくつの自治体を通過することになるでしょう。新宿から八王子までなら、新宿区、中野区、杉並区、武蔵野市、三鷹市、もう一度武蔵野市、小金井市、国分寺市、国立市、立川市、日野市、八王子市を通ることになります。これだけの範囲が、大分県などでは一つの自治体となった訳です。

 それに、電車で移動するのと自動車で移動するのとではまるで訳が違います。東京周辺と大分県佐伯市とでは道路事情が全く異なりますので、単純な比較はできませんが、買い物や病院などへ行くのにこの距離を往復しなければならないとすると、これは想像以上の負担を強いられることになります。少なくとも2002年の当時、重岡駅周辺を含め、宇目町にはめぼしい商業施設がありません。勿論、雑貨屋さんなどは何軒かあるでしょうが、コンビニエンスストアも少ないところでした。いかに自動車社会とは言っても高齢化率が高い地域にとって、買い物や医療などのための移動は深刻な問題なのです。

 この「なごり雪」の看板は、最初の写真と同じではなく、たしかホーム側にあったものです。今もこの看板が残っているかどうかは不明ですが、特急電車で通過してしまうと、ほんの一瞬にしか見えないはずです。

 映画が公開された当時は、多少はにぎわったのでしょうか。先程にも記したように昼間には特急電車しか来ないので一本も停まらない駅です。

 窓ガラスに、思いもよらない人影が映っています。上の写真の撮影者、他ならぬ私です。こんな所で登場するとは、不覚でした。

 重岡駅には側線があります。今は使われていないのでしょう、線路が赤く錆びています。かつては、ここで貨物の積み下ろしなどがあったはずです。その時には駅員もいて、にぎわっていたのではないでしょうか。撮影当時も、日豊本線の南延岡駅からの貨物列車がこの駅を通過していたはずですが、現在はどうでしょうか。

 奥のほうに黒い車が停まっています。このコーナーにも何度か登場した、当時の私の愛車、日産ウイングロードXです。駅前が広場のようになっており、車を停めておくことができたのでした。

 駅舎に近い側線の粗末な車止めを、もっと近くから撮影してみました。右側にもホームの痕跡らしいものがあることがよくわかります。左側の、ブロックが詰まれて建てられているものは詰所か何かであったのでしょう。

 奥のほうに商店の看板が見えます。駅前にあるのはこの商店だけでした。撮影日には閉まっていたと記憶しています。缶飲料の自動販売機は動いていました。すぐそばの国道10号線も、本当に幹線道路かと思えるくらいに通行量が少なかったのでした。もっとも、撮影したのは日曜日の午後でしたが。

 車止めに近いほうから、再び宗太郎側を撮影してみました。本線には架線が張られているのに対し、側線には架線が張られていないことからも、この側線が使用されていないことがわかります。いかにも山間の小駅であるということが、この写真からでもおわかりになるのではないでしょうか。

 それでも、重岡駅は秘境駅として位置づけられていないのです。周囲に人家などがあるからでしょう。隣の宗太郎駅は、秘境駅というに相応しく、周囲にはほとんど人家がないような場所で、どうしてこんな所に駅があるのか理解できないくらいなのです。一度、金曜日の夕方に大分大学を出て宮崎市まで車を走らせ、その夜に自宅へ戻るという、よく考えると変なドライブをやったことがありますが、大分・宮崎の県境から宗太郎駅付近を経て重岡駅前までは、とにかく民家などが少なく、道路の照明も少なく、真っ暗で、勾配と急カーブが続き、おまけにAMラジオも入りにくいという中をひたすら走りました。過疎中の過疎という表現が妥当しそうな場所です。

 上の10枚の写真を撮影して、およそ1年後、2003年5月31日、再びここを訪れました。「ととろの里」から佐伯市大手町へ向かう途中、寄ってみた訳です。そして、現在のところ、これが最後の訪問です。


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