ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

津軽線の一部区間、復旧断念か

2024年05月23日 14時30分00秒 | 社会・経済

 このブログでも津軽線の話題を取り上げてきました。

 「津軽線の一部が廃止されるか?」(2022年12月19日23時35分付)で記したように、この路線は1980年代の国鉄改革において特定地方交通線に指定されるはずでしたが、除外要件に該当するということで指定から外されたところです。青函トンネルの開業のために同線の青森駅から新中小国信号場までの区間は電化され、JR北海道の海峡線とつながり、本州と北海道とを結ぶ大動脈に変わりました。しかし、残る新中小国信号場から三厩駅までの区間は、悪い表現を使えば「取り残された」路線であり、余程の好転がなければ、いつ廃線論議が始まってもおかしくない状況であったとも考えられます。

 そのため、2022年8月の大雨は、或る意味において廃線論議のための機会に過ぎなかったとも言えるでしょう。「津軽線の単独維持は困難である、ということは」(2023年4月4日0時0分0秒付)で記したように、JR東日本は津軽線の蟹田駅から三厩駅までの区間について単独維持は困難であると表明していました。

 2024年に入ってからどうなったのだろうと思っていましたが、2024年5月23日、今別町長が鉄道としての復旧を断念する旨を表明しました。共同通信社が、5月23日13時30分付で「JR津軽線『復旧断念』 地元表明、廃止議論が加速か」(https://nordot.app/1166222924848546706)として報じています。

 今別町は、今回問題となっている蟹田駅から三厩駅までの区間の沿線にある市町村で唯一(と記しましたが、今回の議論の対象となっている区間では、他に外ヶ浜町しかありません)、廃線に反対していました。津軽二股駅(北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅のすぐそばにある駅)、大河原駅、今別駅および津軽浜名駅の所在地でもあるだけに、反対するのも当然ではあります。また、今別町は、鉄道路線を廃止したとすると冬季や災害時などに「バスなどの安全性に懸念がある」旨を述べていました。しかし、青森市内で5月23日に行われた検討会議(沿線自治体の首長によるもの)において、今別町長が「今別町が鉄路にこだわり続けても議論が進展せず、沿線や町のためにならない。苦渋の決断だ」という旨の発言をしたとのことです。

 こうなると、津軽線の一部廃線は確定の方向に進むことになります。JR東日本はバス転換を主張しているので、ここに落ち着くこととなるでしょう。


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