ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

博多・川端町(2004年8月29日撮影)

2014年10月26日 00時09分15秒 | 旅行記

 (今回は、2004年9月17日から24日まで「待合室」第111回として掲載した記事です。なお、一部を修正しています。)

 私が大東文化大学法学部の助教授となった2004年、ちょうどアテネでオリンピックが開かれていた8月23日(月曜日)の夕方、福岡空港に着きました。翌日の朝から西南学院大学法学部での集中講義を行うためです。

 2003年の8月7日から10日まで、私は初めて、熊本県立大学総合管理学部で集中講義を行いましたが、その時は2単位分の計15コマで4日間でした。西南学院大学での集中講義は4単位分ですので、単純に計算すれば倍の日数となります。半年ぶりの福岡でしたが、大分大学教育福祉科学部在籍中にも何度も行っているとはいえ、仕事のため、しかも一週間以上も滞在するのは、全く初めてのことでした。福岡という場所、とくに天神周辺が好きなのですが、果たして体調を維持できるのかという不安もありました。しかし、実際に行ってみると何とかなるものです。この時には、2012年まで西南学院大学での集中講義を担当し続けることになるとは予想もしていません。最も履修登録者が多い年には240人以上ともなり、こちらも気合いが入りました。さらに、2007年、2009年および2011年には福岡大学法学部でも2単位分の集中講義を担当していますから、1年に2回も集中講義を担当したこととなります。

 一方、8月下旬から9月の上旬にかけてという時期は、台風に注意しなければなりません。2004年の集中講義期間中には、週末に台風16号が接近して集中講義の日程が一日ずれる可能性も出てきました。果たして、8月30日(月曜日)は福岡市も台風の暴風域に入ったために休講となり、31日(火曜日)までの予定であったのが9月1日(水曜日)までとなりました。

 少しばかり時間を戻して、8月28日(土曜日)と29日(日曜日)には講義がなかったので、せっかくのことだから台風が近づかないうちに、と思い、福岡市の何箇所かを歩き回ることにしました。

 大分大学に就職してから、福岡市には何度も行っているのですが、博多区の古くからの中心街である川端などを歩いたことがなかったし、8月は原稿などを抱えていて外出できない日ばかりでしたので、宿泊していた渡辺通から川端まで歩いてみることとしました。

 私は、知らない街などを歩き回るのが好きでして、大阪の難波から心斎橋筋を通って淀屋橋まで行き、船場へ出て千日前を通って日本橋、そして上本町まで、地下鉄もバスもタクシーも使わず、文字通り歩いたこともあります。今回も、天神から長浜の九州朝日放送本社まで北上し、須崎公園の北側を通って那の津大橋を渡り、神屋町の北側から大博通りへ出て呉服町駅の手前の蔵本交差点を右折し、昭和通りに入って奈良屋町を通り、博多リバレインがある下川端町へ出て博多座の横を通りました。ちょうど、中洲川端駅のそばに出た訳です。地下鉄であればたったの一駅ですが、こうして歩き回ると、街の様子などが多少ともよくわかるようになります。

 すぐそばの横断歩道を渡ると上川端通りに出ますが、その入口にありました。明治時代に流行した「オッペケペー節」を唄った人物で、この唄が演歌(そして艶歌)の原型だとのことです。立ち止まって歌詞を読んでみますと、当時から自由、とくに政治的な意味での自由が渇望されていたことがわかります。

 〔但し、最近、明治時代の演歌と現在の演歌は別物であるという見解が強くなっています。この点については、輪島裕介『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』(光文社新書)をお読みください。〕

 川上音二郎の銅像です。彼は、1864(文久4)年、現在の博多区対馬小路にあった藍問屋に生まれ、様々な職を経て(福沢諭吉の書生にもなったとか)当時の自由党に入って政治活動をしたそうですが、中江兆民のアドバイスを受けて芝居活動を始めたといいます。オッペケペー節も自由民権運動と深い関係があります。その後、興行師として「オセロ」や「ハムレット」の上演などに携わったのですが、1911(明治44)年、大阪で亡くなりました。

 上川端通りです。日曜日の午前中だったためか、人通りは少ないようです。

 記すのを忘れるところでしたが、今回は、天神で買った使い捨てカメラを使っています。デジタルカメラを持って行くつもりでしたが、かばんの中に入りきれなかったのであきらめました。久しぶりだったせいか、使いにくく、自分の指まで写る始末で、今回、写真のサイズなどがバラバラなのは、スキャナで読み込んだ写真にトリミングなどの加工を施したためです。

上川端通りの途中にある交差点です。右側に歩くと中州方面に出ます。脇のほうの通りにも色々な店がありましたが、飲み屋ばかりですから、日曜日の午前中はほとんどが閉まっています。

 上川端通りのキャナルシティ博多側(博多駅側)にある櫛田神社です。ここは、7月に行われる有名なお祭り、博多祇園山笠で、各流(西、千代、恵比須、土居、大黒、東、中洲)の山笠のゴール地点となっています。なお、上川端流もあるそうです。

 博多のお祭りといえば、5月のどんたくが最も有名で、ゴールデンウィークの観光客数では長らく日本一を誇っています。一度、天神に行った時にちょうど博多どんたくの最中で、天神が人であふれかえったことを思い出しました 。天神は中央区にありますので、博多でなく福岡ですが、博多祗園山笠の場合は集団山見せの際に福岡地区に入るようです。

 福岡市博多区は、現在でこそ福岡市の一行政区になっていますが、元々は福岡と違う街で、福岡が武士の街であるとすれば、博多は商人の街でした。福岡と博多とでは言葉も違うそうです。市の名前は福岡ですが、鹿児島本線の駅名が博多であるのは、歴史的経緯によるものです〔なお、天神にある西鉄天神大牟田線の駅名は西鉄福岡で、最近になって西鉄福岡(天神)となりました〕。

 ここから少し歩くとキャナルシティ博多で、これは玉屋という百貨店の跡にできた複合商業施設です。そこから西のほうへ歩くと中州、東のほうへ歩くと地下鉄の祇園駅(旧博多駅の近辺)、そして博多駅です。私は、その博多駅まで歩いて行きました。


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