ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

JR伊万里駅(2009年8月31日撮影)

2016年07月03日 00時00分00秒 | 旅行記

 (以下は、「待合室」第362回として、2010年5月9日から同月16日まで掲載した記事の再掲です。なお、一部を修正しています。)

 伊万里駅は松浦鉄道西九州線の重要駅であるとともに、JR筑肥線の終着駅でもあります。ここから唐津へ向かい、唐津から筑肥線の電車(ディーゼルカーではありません)に乗り、 地下鉄空港線の天神駅を目指します。2004年度から2012年度まで福岡市の西南学院大学で集中講義を担当した時には、大分時代からよく行っていた天神を中心に動いていました(天神付近に宿泊していたためです)。

 こちらがJR伊万里駅で「東ビル」ともいいます。駅と書かれていますが、どう見ても駅には見えず、雑居ビルのようです。かつては松浦鉄道西九州線と線路がつながっていたのに、分断されてしまいました。西ビルと東ビルとを連絡する通路が2階にあるのですが、どちらの線もホームは1階にあり、乗り換えは不便です。そのため、あまり評判は良くないようです。

 松浦鉄道伊万里駅の北側にある建物です。ここにはスーパーマーケットがあったようですが、既に閉店となっています。うっすらと、スーパーマーケットのマークなどの跡が残っています。わかりにくいのですが、ダイエーがあったのでしょうか)。

 1990年代以降、あるいはもっと前からかもしれませんが、九州の各地では市街地にあったスーパーマーケットが次々に撤退し、建物が空き家状態になっています。また、解体される建物も多く、市街地の空洞化は深刻です。私が大分市に住んでいた7年の間にも、ダイエーが大分市や佐賀市などから撤退していますし、佐伯市を発祥の地とし、熊本市に本拠地を置いた寿屋が倒産し、多くの店舗が閉鎖されました。ダイエー大分店は、皮肉にも福岡ダイエーホークスが初の日本一となった年の翌年、つまり2000年になってすぐに閉店となり、ほどなく建物は壊されました。現在はNTT関係のビルが建てられています。また、ダイエー佐賀店は大分店よりも先に閉店となり、その後にヒートアイランドという地元の会社が入居しましたが、2009年6月29日を最後に閉店となっています(「待合室」の第346回で取り上げました。このブログにも掲載しています)。

 空き店舗となり、全く使われなくなった建物は、傷みが速く進行します。私が見てきた中でも、中津市や佐伯市の中心街にあった寿屋の店舗ビルは、閉鎖されたままの痛々しい姿をさらしていましたし、「待合室」第318回で取り上げた唐津市のまいづる百貨店の旧店舗も放置されたままで、廃墟としか表現しようのない姿でした(やはり、このブログにも掲載しています)。

 さて、伊万里のこの建物は、再活用されるのでしょうか。それとも解体されるのでしょうか。あと何年、この状態が続くのでしょうか(2012年9月1日に再訪したら、この建物は既に解体されており、更地と化していました)。

 JRと松浦鉄道の伊万里駅は、御覧のように橋で結ばれています。しかし、両線ともホームは1階にあります。橋の真下に横断歩道がないので、乗り換えは不便です。かつては筑肥線と西九州線の線路がつながっていたのですが、上の写真を見る限り、とてもそうであったとは見えません。もっとも、私が乗車した限りでは、乗り換えの需要がどれだけあるのかは疑問でしたが。

 九州の多くの市と同様に、どうやら、伊万里市の中心部は伊万里駅の近くではないようです。駅前を歩いているとわかります。市の代表駅なのですが、郊外の駅のように思われるのです。

 JR伊万里駅の前が公園になっていて、そこに合唱曲の碑があります。歌詞付きの譜面が刻まれています。4分の4拍子で始まるのですが途中で4分の5拍子に変わり、4分の4拍子に戻り、また4分の5拍子になったと思ったら1小節で4分の4拍子に戻ります。これは少し難しい曲です。チャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番第2楽章(有名な「アンダンテ・カンタービレ」)のように、自然に拍子が変わるような曲は少ないのです。

 九州の所々にカブトガニの生息地があるようです。大分県の国東半島にも、杵築市と日出町の境界付近に生息地がありますが、佐賀県に生息地があるとは知りませんでした。それとも、化石が出たのでしょうか。日本では瀬戸内海と九州北西部に生息地があるといいますから、大分県と佐賀県に生息地があるのは当然ということになります。

 カブトガニは古生代に繁栄した動物で、三葉虫と同じく節足動物に属します。名称とは異なり、クモ類に近いそうです。脚は、前体(半円のような形態の部分)に7対あり、後体(前体と尾の間にある部分)に5対あります。脚の数だけで言えば、クモよりダンゴムシなどに近いような気もします。

 そう言えば、カニと名のつくのにカニではない動物は他にもあります。代表的なのはタラバガニでしょう。これはカニではなく、ヤドカリの一種なのです。タラバガニの脚の数を数えれば、カニではなくてヤドカリであることは一目瞭然です。ちなみに、ヤドカリはカニとエビの中間にある動物なのだそうです。

 松浦鉄道の伊万里駅は「西ビル」(と言ってもそれほど高くないもの)でしたが、JRの伊万里駅は「東ビル」、と思っていたら駅舎はビルとは別にありました。この三角屋根の建物が駅舎で、自動券売機や改札もこの駅舎の中にあります。ホームは駅舎を入って左側にあります。

 少し離れてみます。左側が駅舎で右側が「東ビル」です。昭和自動車の旅行センターが入居しています。 屋根の形などを合わせているため、相似形、とは言わないものの、よく似た外観になっています。上手く造ったものです。駅舎の左側にホームの屋根が見えます。

 駅で唐津までの乗車券を買い、ホームに入りました。タイルで作られた駅名標です。MRは松浦鉄道の略称で、川東(かわひがし)は有田方面に向かう列車が次に停車する駅、東山代(ひがしやましろ)は 佐世保方面に向かう列車が次に停車する駅です。私がこれから乗るのは筑肥線ですので、次の駅は上伊万里(かみいまり)です。ここから、唐津線との乗換駅である山本までが筑肥線で、山本からは唐津線を走ります。唐津に着くと、再び筑肥線と乗り換えることになります。

 現在の筑肥線は、福岡市営地下鉄空港線との接続駅である姪浜から唐津までと、山本から伊万里までとに分断されています。これは福岡市営地下鉄との相互乗り入れ、および呼子線の建設と関係があります。かつての筑肥線は、博多から東唐津に出て、東唐津で進行方向を逆にして唐津には向かわずに山本へ出てそのまま伊万里まで走っていました。しかし、筑肥線の電化、東唐津駅の移転、福岡市営地下鉄との直通運転などという動きがあって、呼子線の虹ノ松原~唐津が先行して建設され、筑肥線に編入されます。そして、筑肥線の博多~姪浜は廃止され、姪浜~唐津(および唐津線の唐津~西唐津)が電化され、福岡市営地下鉄との直通運転が開始されたことにより、筑肥線は分断されます。東唐津~山本の旧線が廃止され、筑肥線は分断されました。そして、山本~伊万里は非電化のまま残されました。ちなみに、呼子線の唐津~呼子については建設が中止され、結局は未開業のまま廃止されました。

 唐津行きのディーゼルカー、キハ125が停車しています。私が大分に住んでいた時には豊肥本線と久大本線でよく乗りました。完全にワンマン運転に対応した車両です。佐賀県では唐津線と筑肥線で走っています。

 伊万里駅はホーム一本、1番線しかありません。そもそもホームに番号がついていなかったかもしれません(阪急などでは乗り場の番号がついていない駅が少なくありません)。筑肥線の山本~伊万里は本数が少なく、10往復くらいしかありません。途中の交換駅は一つだけで、ほとんどが無人駅です(山本も無人駅です)。伊万里には駅員がいますが、本数が少ないのですからホームが一本しかないのも仕方のないことでしょう。

 かつては伊万里にも急行列車が走ったそうですが、現在はこのキハ125の1両ワンマン運転がほとんどであるようです。

 唐津へ向かう前に、上伊万里駅の方向を撮影してみました。何となく、日本のどこにでもあるような風景ですが、いかがでしょうか。しかし、私は、こうした何気ない風景にも何かを感じることがあります。ここから先は山里を走っていきます。


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