小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

「上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 僕らの介護不安に答えてください」を読んで その5(最終回)

2012-05-24 09:01:43 | 弱さへの思考
不安感その1)年金

今の年金制度は「大企業の長期雇用者を標準」として設計されている。
国民年金だけで暮らせるようには制度設計されていない。上乗せ分があって、(企業年金とか基金とか)なんとか生きていけるようになっている。
この仕組みは連合と経団連の共犯関係で作られた、大企業のサラリーマン向け。それを享受できるのは全体の30%。

つまり、

年金だけでは、食っていけないのです。

年功序列・終身雇用という制度は日本型ではなく、1920年代のアメリカでうまれたもの。
日本に導入されたのは1950年代で歴史でも伝統でもないのです。勘違いしないように。


不安感その2)格差

様々な格差があるものの、その中で「情報格差」と「社会関係資本格差」は厳しい。
前者は、選択肢の希薄さへとつながり、
後者は、人は1人では生きていけないという前提を絶つ。

人間関係を作る能力も「資源」の1つ。この能力が欠如すると、生きていくことは厳しい。


若干の解決策として


社会的弱者という意識を持った人びと(年金をものさしにすると、70%となるのだが)は
当事者意識を持つことが求められる。自分が「弱者」と認める事は決して弱さではない。
自分に助けを求める=権利、というよりは、叫びをあげることは、男性にはない。そして若者にも、ない。

かつて、そして今も、叫びをあげた人たちとは「障碍者」や「女性」だ。
この手法を、全国民の70%、そして、若者も、持って実行すること。
もちろん、これは人間関係を作る能力かもしれない。

そして、弱者同士が支えあうこと。強者と弱者のあいだで蹴落としあいをするのではなく。→そんな暇もないのだ。人生は短いのだから。

もう1つは、
百姓ライフ(ひゃくせいらいふ)。
百(くさぐさ)の姓(かばね)という意味である。
1年の気候とか時期に合わせて、ありとあらゆる現物と現金の収入機会を組み合わせて、自分の仕事をコントロールしていく個人事業主になること。
年功序列・終身雇用の導入される1950年代以前はこのような生活であった。そして、この百姓ライフ時代のほうが歴史も伝統もある。

私たちは、人の役に立ってなんぼというスキルと、
金にはならないけれど自分のやりたいことをする、
という複数の活動を維持していく生き方をめざすことも、「選択肢」にいれるべきだろう。

めざそう!百姓ライフ!


そして、上野先生は、最後に古市先生にお手紙を書いています。
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「老後の不安」について語りました。でも不安なのは「老後」だけではありません。老人が不安な社会で、老いる運命にあるすべての世代の者たちが、不安でないわけはありません。逆に、子や孫の世代が不安を感じているときに、老人だけが不安を感じずにいられるわけではありません。
老後の不安について考えることは、この世の中の生きる全ての世代の者たちの不安について考えることです。
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私は、この本を通して改めて思う。
介護不安を切り口にして、一部を除く人びとが、現在全ての面であらゆる世代で不安を感じていることを浮き彫りにしたことを。
そして、それは、この現代において仕方のないことだと思う。
人災であろうが天災であろうが、起きるものは、起きてしまう。
地震が起きれば津波が起きて命を奪い、
原子力発電所は毎日放射能を撒き散らし、
渋谷駅を歩いているだけで刺されるのです。
みんな不安なのだろう。

その中で、生きていくこととは?
人間関係を作る能力を得ることは?
百姓ライフを自分で作り上げるには?
弱者同士が支えあうこととは?
「選択肢」を提示しつつ、増やすこととか?

このblogでいつも言っていること、「考える」ことをしていきましょう。

結局、当分の間、もしくはずっと、「不安」なのです。私も、不安ですもん。