小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

「上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 僕らの介護不安に答えてください」を読んで その3

2012-05-22 09:07:04 | 弱さへの思考
上野先生は、このようにおっしゃいます。

「介護保険は『足りないように』できている」
そして、
「介護サービスの利用者とは『高齢者ではなく家族』」

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「足りないようにできている」それは、家族介護支援が政策の目的である、と。子どものうちの誰かが「お金」か「人手」を出すならば、なんとかなる。しかも、ぎりぎりである。そして、高齢者がサービスを受けているようで、実は家族が受けているという事実。


このあたり、業界の皆様には、家族介護経験者の皆様には、理解いただけるのではないでしょうか?

たとえば、要介護高齢者がデイサービスに行く理由は、ただ一つ。「家にいると家族が面倒見なきゃだし、疲れるから」ですよね。決して、本人の希望により、喜んで(いやごくまれにあるかもしれない)デイサービスに行っているわけではない。もちろん現場では高齢者本人と関わるので、直接援助になるのですけれど、実は間接的に家族支援をしている。

同じようにヘルパーさんも。家族がすること=入浴・排泄介助や環境整備や買い物など、を、代行してもらっている。その間、家族は、その時間を、別なことに使える。

じゃぁ独居の高齢者は?

という発想もありますが、ケアマネジャーの皆様は、お気づきでしょう。

まず、お金。
独居の場合、区分支給限度額に足りなくなるケースが多々あることに。オーバーする人、いませんか?
絶対的に「足りない」。そして、そのとき、ケアマネジャーは頭を抱える。
毎月の場合、アセスメントしなおして、サービスの構築をしなおして、そして、なんとか限度額に収まるように「工夫」する。生保の方だったら、なおさら、なんとかしようと苦悩しませんか。

次、家族。
天涯孤独の人は、おられますけれど、ほとんどいない。
甥や姪とか遠縁の人とか、探せばいくらでも、出てきます。その人びとを遠まわしに「支援」しているのです。ぜんぜん繋がっていないようで、実は関わっている。
そして、ケアへの登場人物をチームとしてみた場合、それは「家族」にも等しい。上野先生は「ケアする・されるというのが家族」ということもおっしゃっていました。


というように、
制度の欠陥があるのです。
前提が「家族介護支援」ですから。高齢者の自由・自立・尊厳なんて、これっぽっちも、ない。
ましてや独居高齢者のことなんて考えていない。ついでに言うなら認知症とか高次脳機能障害とかもまったく視野に入っていない。

あらゆる家族会が声を上げていますが、変化は望めないような気がします。そうでなくても給付制限が如実に表れているのに。

介護サービスの真の利用者は「家族」なのです。
そこを踏み違えるから、「専門家」と平行線をたどってしまう。

悲しい現実です。
高齢者の主体性は、どこに?