小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

「私の違和感 電話番号を教えてはいけませんか」を読んで

2012-05-08 08:40:40 | 弱さへの思考
この記事は、現在発売中の週刊現代という超1流週刊誌に掲載された、
大変優秀でお金持ちのガッチガチのキリスト教カソリック右派の曾野綾子と言うばばぁ…いや素敵なおばさまの文章である。

亀岡市で起きた未成年による事故で殺害・傷ついた、遺族・被害者の電話番号を
警官がエクセルでご丁寧に作成したり、学校のバカ教頭が教えたりして、被害者の父親に渡したことについて述べてある。

この文章でのポイントは2点。

1つは、個人情報保護法というものの扱い方について。
もう1つは、イタリアでは加害者を「赦す」という新聞広告が載ることを踏まえて、赦すことについてである。

前者は「加害者の父親が、どういう非難を浴びようとも、謝罪したいという気持ちがあったのならば、教えてもいいのではないか?」
というような趣旨の文章だった。
以前にも打ったが、被害者宅に行けば「どの面下げて来たんだ」といわれ、行かなきゃ「線香の一本も上げに来やがらない」と、どう振舞っても批判されることは明白だ。
だから、自宅で般若心経を唱えるしかないと私は考える。
筆者は、それを分かった上で、謝罪したいというのであれば、電話番号を教えてもいいのでは、と問いかける。


おいおい、ばばぁ。ぼけたな。早速要介護認定を受けて、市井の人びとと交流すべくデイサービスに行って、アクティビティした方がいい。


この国は法治国家だ。そして、個人情報保護法という法律がある。
これを根本から覆す、この発言は、自分は安全な場所にいて、高みから傍観しながら、情緒に流された発言ということを、本人は理解していない。誰か教えてやってくれ。

個人情報を利用するには、本人・家族の了承を受けた上で、限られた条件でのみしか、提供できない。
これに触れると刑罰が下る。
そんなことも知らんのか?このエライ作家さんは?
そして、この法律が制定されたとき、著者は、どのような意見を持っていたのか?反対?賛成?

いずれにしても、この法律がある限り「電話番号は教えてはならない」。

そういう国にしたのは、曾野綾子、あんたにも責任があるんだよ。



後者は「赦す」ということについて滔滔と述べているが、
そりゃぁ、筆者のように、慈悲深ければ、家族が殺された直後でも、即犯人を赦すだろう。たぶんそうだろう。
ためしに、息子の「太郎」くん一家を殺してみようか?→もちろんしない。

被害者家族としては「気持ちの整理もつかず」「死を受け止められず」「葬儀の予定も計画中」「犯人の名前も分からない」状況で、「赦す」ことができるか?
「赦し」には時間がかかる。もしかすると一生赦さないかもしれない。
事故直後、「詫びたい」という言葉と行動は、加害者の父親のわがままであり、自己保持の為にしたいと思う身勝手な行動である。これ自体が、被害者と遺族に対する思いやりの欠如である。その行動に加担するような発言は、断じて許容できない。
加害者の父親は、じっと偲び・耐えて、1人では耐えられないような重荷を背負ったまま、生きていくしかない。苦しかったら、素敵なカウンセリングでも受けるしかない。



というように、
もはや、曾野綾子は老害でしかない。とっとと、引退して欲しい。
でも、この記事を読んで、共感する人もいるのだろう。需要があるのならば、無視するに限る。