小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

「子どもが三つになるまで」 カール・ケーニッヒ著 そのだ・としこ訳 葦書房刊(1992) その2

2012-05-16 08:25:52 | 弱さへの思考
直立歩行能力の取得

ケーニッヒはこのように書いている。
-----
私たちが歩くのに主として使うのは足だと考えるのは全く一方にかたよった見方。
直立歩行能力は人間の組織的運動能力全体の1つのあらわれ。
歩行のために使われるのは身体の中の運動器官全体であり、両足同様、両手も動員され、背中や胸の筋肉も、眼球を動かす筋肉も同じように歩行と密接に関係している。

○身体の運動器官全体は機能的に1つながりになっている。運動器官の1つは独立したものとして動くことはありえず、1つ1つの動作は身体の運動システムという世界の中で起こる。
○したがって動いている部分が、休憩している部分と対照的に見えるのは、単に見かけ上のこと。休憩している部分は、すぐにはわからないかもしれないが、動いている部分に劣らず、活発に動作している。

これまで、身体の運動機構が機能的に1つの統合体であると認められてこなかったのは、運動を制御する機能は、神経中枢にあるとする考え方が圧倒的であったため。

たとえば、
1つの文字だけでは単語としての意味を成さない。
1つの単語だけでは分としての意味をもてない。

1つ1つの筋肉がバラバラに動いても手足を動かすことはできない。
-----
これは、理学・作業療法士さんたちにはご存知のことだろう。

子どもが、歩くということは、この条件全てが整っていなければならない。
これはもう奇蹟かもしれない。

高齢者も同様で、
歩行に支障がある人が、足だけの筋トレをしたところで、意味はない。
両手・背中・胸の筋肉にくわえて、眼球で空間認識しなければ、歩行はできない。

また、高齢者本人も「(足を使って)歩けばいい」と思っているが、
それはもしかすると半分は正しいのだが、
それだけではなく、他の部分の筋肉や認知面も同様にトレーニングしない限り、
難なく歩行する事は難しいと、思う。

なかなか納得してもらえないのだが、
懲りずに伝えることが重要かもしれない。

こう考えると、独歩で歩くことのすごさを実感する。