小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

「連塾-方法日本Ⅲ-フラジャイルな闘い 日本の行方」を読んで

2012-05-10 08:56:11 | 弱さへの思考
この本は、松岡正剛氏が講演したものをまとめたもので、春秋社から出ている。

第7講と8講がⅢなので、Ⅰ・Ⅱは別な人が講演したものがある…と思う。よくわからない。

ともかく、この第7講「面影と喪失」がとても面白かった。

私たちが学んでいた「歴史」「日本史」というものが、実は意外と嘘…というか誤った記述であり、それにより理解させられて受験していた、ことがよく理解できる。
少なくとも教科書というものは、ある一定のベクトルで編纂されており、その結果、詳細についてはあまり語られていないように感じた。
今の学生・生徒さんたちは、このような新しい見地での歴史を学んでいるのかもしれない。


日本の「分母」=ナショナリティとジャパン・マザーについてかなり深く考察されており、
今何かと話題の中国は、かつては身近なグローバルであったのである。


時は徳川幕府。(もちろん、この時代以前の話もとても興味深くある)
3つの日本モデルを考えたこと…などが話されている。
それは、
「天皇をベースにした場合、自分たちの立ち位置(武士)が微妙になる」と考えた徳川幕府は、
1.慕夏主義
2.水土主義
3.中朝主義
の3つを考えた。

1.は「慕夏」(ぼか)と言う中国の幻の王朝=過去の偉大な国にモデルを求めていけば、武家王朝ができる、という思想。
2.は「仮によその国のモデルが良くても日本の実際の風土に合わないのでは?だったら自国の風土に合ったモデルを作ろう」という思想。
3.は「世界の中心は日本!当時の中国は明王朝で終わりそうだった。だったら日本が中華をもらって、「日本中華主義」にしちゃったら!」という実に自己中心的ワイルドな思想。

ということで、紆余曲折あり、結局鎖国をした。
ところが、徳川幕府時代には「鎖国」ということは一度も言っていない。

個人的にはここにびっくりで、
どこぞの誰が鎖国と言ったのか?というと、
ケンペルという人の「日本誌」の付録論文を志築忠雄という人が「鎖国」と訳したことから始まっている。
幕府は「海禁」と言っていた。今の子たちは、「海禁」で習っているのかな?それとも相変わらず「鎖国」なのかしら?

私が「鎖国」と習った事は間違いだ。決して排他的に「閉じこもろう」という発想ではなく、できるだけ、各帝国から、自国を守ろうとした…という事が正しい。
実際オフィシャルには長崎で交易していたわけだし、それ以外でも闇(?)で、日本海側の方々や南の方では、海外交流していたに違いない。


また、この国は「負」の日本史をあまり知らない。そこを見ていない、ということも話されている。

徳川幕府が終わる頃、ナショナル・アイデンティティについて考え始める。それは列強に伍するために必要である、と考えたからだ。背景には外交や社会事情がある。

そこでまたいろいろ考えた事は
1.混合民族
2.単一民族
3.日朝同祖説
4.多民族構想
があった。

これまた分岐点で、もし、ここで、たとえば「混合民族」を選ぼうものなら、この国は、多種多様な民族の「日本人」が、隣近所にいるのが当たり前になっただろう。
もしかすると、万葉集とかやっていた頃は、そんな時代だったのかもしれない。実際舶来の方々は、有名人でもいますものね。

長くなったので、この辺で。

オトナの人びとには、日本の歴史を学ぶ上で、またこの国のアイデンティティの成立について知るために、よい本だと思いました。

最後に、

石原莞爾

北一輝

この2人について、ご存知でしょうか?
この2人は、戦前の日本に多大な影響を与えたにもかかわらず、あまり知られていない。

前者は満州事変にかかわり、
後者は2.26事件に影響を及ぼす思想を持っていました。

おそらく、
学んでいない歴史の中に、今の私たちに影響を及ぼしている人々がいる…ということを知らせてくれた本でした。
厚いけれど読みやすいので、結構、お勧めです。