小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

なぜ?

2011-05-24 09:20:31 | 弱さへの思考
東京新聞、筆洗(5/13付け)より一部を引用。

-----
イタリア人を父に、日本人を母に持つ千葉市の少女が少し前、大震災について、イタリアの国営放送の番組で、ローマ法王にたずねた(略)。

「なぜ、こんなに悲しいことになるのか、神様とお話ができる法王様、教えてください」。まったくだ。教えてほしい。なぜ、あんな大地震や大津波が起き、あんなにたくさんの命が失われなければならなかったのか。

ベネディクト十六世は言った。「私も同じように『なぜ』と自問しています」。そう。神は答えを教えてくれない。私たちはこの一番痛切な「なぜ」を、問いのまま抱えていくしかない。

-----
これを読んで、感じた。

ローマ法王は神様ではないので、答えることはできないだろう。

神様とお話しができたとしても、それは答えることができないだろう。

重要と思える言葉は、「私も同じように『なぜ』と自問しています」という部分だ。これを抱えたままで生きていくことの大切さである。

でも、こう言えるのは、大震災により「自宅が崩壊もせず、家族や親せきや友人を失っていない東京生活者である」からだと、思う。
未だに、被災地は、何も変わっていない。少しでも微光が見える、と思うのであれば、自ら赴くがよい。本当に何も変わっていない。マスコミの情報を鵜呑みにしてはならない。



以前、とある牧師から聴いた言葉を思い出す。

「この(私たちの)苦しみを、神も同じように苦しんでいる」

神でも仏でも、共に苦しんでいる…とするならば、何かをすることができる。
各々の場にいながら、この苦しみを分かち合い、「なぜ」を抱えつつ、何かをしていきたい。

神も仏も、共に苦しんでいる…はずだから。