大阪大学長・臨床哲学者 鷲田清一氏の言葉 その1
東京新聞、5/2付け紙面より引用。
大阪大学長・臨床哲学者 鷲田清一氏は阪神大震災を経験した。
「私は阪神の震災後、被災者の話しをひたすら聴くことの意味を考え、それを機に臨床哲学を立ち上げました。討議したり説得したりするのでなく、人の語りをじっと『聴く』哲学がありうるんじゃないかと。
語るとは、自分を整理して客観的にみつめることです。人生は、自分について語り直すことの連続です。今回のような大災害は、人に生活について根本から語り直すことを強います。
聴くとは、人が語るプロセスに同伴し、語り終えるまでじっと待つことです。励ますことはときに邪魔をすることにもなります。被災者が失ったものの大きさを反すうしているときに『そんなふうに考えたらだめ。がんばらなくっちゃ』って言われたら、人は開きかけた口を閉じてしまうことでしょう。」
次回に続く。
東京新聞、5/2付け紙面より引用。
大阪大学長・臨床哲学者 鷲田清一氏は阪神大震災を経験した。
「私は阪神の震災後、被災者の話しをひたすら聴くことの意味を考え、それを機に臨床哲学を立ち上げました。討議したり説得したりするのでなく、人の語りをじっと『聴く』哲学がありうるんじゃないかと。
語るとは、自分を整理して客観的にみつめることです。人生は、自分について語り直すことの連続です。今回のような大災害は、人に生活について根本から語り直すことを強います。
聴くとは、人が語るプロセスに同伴し、語り終えるまでじっと待つことです。励ますことはときに邪魔をすることにもなります。被災者が失ったものの大きさを反すうしているときに『そんなふうに考えたらだめ。がんばらなくっちゃ』って言われたら、人は開きかけた口を閉じてしまうことでしょう。」
次回に続く。