聴く哲学その2(その1よりの続き)
同時に、放射能被害や停電によって被災地外でも都市機能がまひしたことで、経済効率や「快適さ」を第一に考えてきた文明についての語り直しも迫られています。
神戸の震災で、がくぜんとしたのは、都市圏で最大が起きると、原始生活どころか、それ以下になることです。
人間には、生き続けるためにしなければならない「命の世話」がある。食べる、育てる、看病する、そして地域の世話をすることなどです。みなが力を併せ、それをコミュニティーの中でやってきた。ところが近代化すると、快適さを重視するあまり「命の世話」を社会サービスとして専門職や行政のプロに任せるようになった。そして、市民一人ひとりのケア能力が減衰していった。今回の東京も、そうでしょう。目の前に川が流れているのに、ペットボトルが届かなければ、水も飲めないのですから。(鷲田清一氏)