12月9日に、ウィリアム・ブルムが亡くなった。
ウィリアム・ブルムは、ベトナム戦争で幻滅して以来、アメリカが行って来た犯罪を次々暴露していったことで知られる作家。(wiki)
日本語版はあるのだろうかと見たら、
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Rogue State: A Guide to the World's Only Superpower (English Edition) |
William Blum | |
メーカー情報なし |
が、
こういうタイトルで翻訳出版されている模様。
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アメリカの国家犯罪全書 |
William Blum,益岡 賢 | |
作品社 |
原題は、「ならず者国家:世界の唯一のスーパーパワーを知るためのガイドブック」みたいな感じなので、だいたいあってるが、やっぱり「ならず者国家」と言えなかったんでしょうか、など思った。
で、この本もいいけど、昨今のことを考えるとこれもいい。
あえて訳せば
「希望を殺す:第二次世界大戦以来の米国の軍事・CIAによる介入」といったところでしょうか。
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Killing Hope: Us Military and CIA Interventions Since World War II |
William Blum | |
Zed Books |
あくなき介入によって、世界各国の国々が何か自分たちにとって良い政体を、あるいはリーダーを選ぼうとすると米軍とCIAが介入していって、あっという間にクーデター、混乱、殺人、破壊的状況に続いて、アメリカが使いやすい奴がリーダーとして落下傘みたいに下りてくるという仕立ての連続が書かれている。
これこそアメリカが第二次世界大戦後ずっとやってきたことで、どの著作もほぼ全部この話だと言って言えないこともないんだが、その中でこのKilling Hopeが、今思えば良い着想ではないかと思う。
歴史的に並べていることと、その結果として、Killing Hopeなんだという着想が今日とても説得力がある。
アメリカの犯罪だ~で終わらせるのではなくて、多くの人の希望を壊していったことまで見ているところが、このおじいさんの人の良さだとも思う。
で、最近亡くなったことをうけてあちこちのブログで静かにこの人の話が語られているのを見て、やっぱり、しかし、ここまで思考的に到達する人はそう多くはないのかもなと思った。
つまり、自分の国がこんなになってるのが許せないとまでは多くの人が思うし、傲慢さ、例外主義、一国だけエライと思い込んでる等々と指摘する人たちはいるが、その波及効果がどれだけ酷いものかまでは考えが及ばないということ。
どうしてそうなるのかというと、自分たちは素晴らしいというプロパガンダを生まれた時からずっと受けているからに他ならない。自分たちのやっていることは素晴らしいんだという強い前提に支配されているから、最終的にどうして、という話まで考えが及ばない。
日本で、ここ20年ぐらい異常な自己肯定感を植え付けているのは、プログラムされているんだろうななどとも思う。
■ 希望がないと変革もできない
さてしかし、希望を殺す、というのは他人に対して向かっていただけではないというのも、今日的には重要だなと思ってみたりもする。
つまり、軍・CIAの他国への暴力を許す過程で、アメリカ人は国内で夢を見ながら、同時に、自分たちの暮らす社会の構築に失敗していったわけです。
トランプが多少、このままじゃダメだ、立て直すのだと革命的だったわけだけど、リベラル&エスタブリッシュメントは、選挙で選ばれた大統領を蹴落とそうと遮二無二向かって来て、ほとんど民主主義停止状態まで引き起こしてもまだ終わらない状態なので、これは結局革命にはならない。
というか、やっぱり革命的ではなかったというべきなんだろうとも思う。だって、正直でないもの。革命というのは、最低限マジョリティーにとってこの方針でついて行こうと思わせる何かがないとできないでしょう。この背後には希望がなければならない。そして、それを実現するためにビジョンを言語化し、最低限守るべきもの、革命にとっての大義がないとできない。トランプ政権はそういうものがあるようなないような、かなりあやふや。
いいとこ、このままではダメだと思ったごく少数者が作った政権というべきなんじゃないかという気がする。そもそもあの膨大な軍事予算に触れないところがなんともなぁって感じ。
とはいえ、アメリカがどうあれ変化はもたらされるから、事後的に「あれは革命的だった」と言われ可能性はある。しかしそれは革命ではないでしょう。
■ バックラッシュより先に行けないアメリカとその他世界
で、思えば、アメリカのイラク攻撃の時分に、それに反対する人たちを中心に、アメリカというのが実にまったくけしからん国で、そこら中に手を突っ込んで来たという話はてんこ盛りに出ていた。
また、バックラッシュという言葉も流行った。つまり、今までやってきたことのツケが回っているんだという話。
それらはそれぞれにおいて正しいし、必要でもあったでしょう。でも、もうそのフェーズは過ぎたというべきだと思う。
なんとなれば、そもそも一極支配もされてないし、そもそも無理だったことを妄想していたに過ぎないのにその妄想から覚めない人たちがいる一方で、その妄想から「自由」な人たちは結局存在していたから。
バックラッシュ論というのは、自分たちは失敗したで止まってる論。問題だったのは、その向こうに人々は存在していたという気づきでしょう。そしてその人々は生きて、彼らなりの暮らしをたてようとする。
こういう人たちは、自分たちの国または集団の話をしている。別に一極支配は完全に壊れたのだと宣言したくて何かをしているのではない。
こういう人たちは誰かが安心して暮らせるように働いている。これはラオスでアメリカがベトナム戦争時代にまき散らしてそのままになってる地雷を撤去するロシア軍の工兵。
こっちはパルミラ遺跡周辺の地雷撤去をしているロシア軍工兵。シリア内の遺跡の修復にはロシアのエルミタージュ美術館がかかわって頑張ってる。
■ 戯言の終わり
で、ここでは触れなかったけど、一帯一路構想も趣旨は同じでしょう。作るための資本の投下と収益にしか興味のない人たちだけが騒ぐテーマじゃなくて、これは作られたものによってそこに住む多くの人がより快適に暮らせるようにしましょうというのも重要なテーマなわけでしょ。
そこが見えなくて、中国が支配権を拡大しておる、けしからん、とか言う人たちは、じゃあ、アフガニスタンの17年戦争をどう考えているのだろう。国を無くしたリビアにも人がいて、ナチス残党に仕切られ経済をずたずたにされたウクライナにも人が住むのだが、これはけしからん、ではないの?
というわけで、まぁその、一極支配妄想あるいは、覇権国になるとすごいことになるみたいな話に迂闊に乗ってる人たちをどうやって落ち着かせるのかというのが、実のところ現在の問題って気がする。
冒頭に戻って、ブルムはアメリカ人は頭っからアメリカは良い意図を持っている、間違いはある、でも良い意図を持ってるんだと信じ込まされている、アメリカの外交方針を立て直すためにはこれを無くさないとできない、と死の直前まで語っていたそうだ。そうだと思う。この思い込みが戯言を支え続け、それが故に一人十字軍国家みたいにさせている基礎だと私も思う。まったくもって実に「不自由」な社会だ。
いやほんとにそうなんですが、でもその俺たちは善意の大物みたいなプロパガンダを朝から晩まで受けてたのはブーマー世代で、対照的に今の若い人たちは最初っからパッとしないアメリカで育ってますので、ここに変化の可能性があるかも。
誰が考えても世界中ところせましと基地作って、自分んちはスラムとホームレスって馬鹿げてますから(笑)。
しかしそうなると、論理的に考えて、多分変化はいわゆる左側からしか来ないように思う。
どうなるものか。