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ハマス vs イスラエル9日目:アーミン・フサイニーを思い出してみる

2021-05-19 17:03:50 | WW1&2
イスラエルとイスラム過激派民兵ハマスの軍事紛争は9日目に入った。

この騒動について非常に特徴的なのは、なんでも騒ぎたがる西側主要紙が何かおとなしめであること。ナワリヌイやらスクリパルだと、連日一面トップで騒ぐわけだが、ほんまもんのミサイルの撃ち合いについての報道に過激さがない。

そして、静かに目を引いたのは、オーストリアが、ほとんど唐突にイスラエルの旗を政府機関に掲げてイスラエス支持を表明したこと。



これは何だろうと多くの人が首をかしげてる。当然、イスラム過激派のシンパの人たちはオーストリアはシオニストの手先とかいって騒いでいるようだ。

多分、1つは、欧州各地に入った中東からの難民の人たちが通りに出て、イスラエルはシオニスト、シオニストを殺せ、シオニストは敵だ云々を叫ぶという騒ぎに飲まれたくない、ということなのかなと普通に思う。ドイツ人にとって恐ろしすぎる。

そしてもう1つは、私が思うに、この問題は、従来言われていた通りのレベルで終わらず、アミーン・フサイニーあたりまで到達すると想定しているのではなかろうか・・・? わからないけど、これまでいろいろ書いたように、近年主にロシアの働きによって、従来言われていた「ホロコースト」は否定され、ユダヤ人殺し大作戦の様相はもっと広げられている。


エルサレムの有力な名家フサイニー家の人で、反シオニスト、反ユダヤを主張するのみならず、自分の力を使ってユダヤ人殺しに熱狂していた人として、知る人ぞ知るって感じの人。

第一次、第二次共にドイツに接近して、ヒトラー周辺にももちろん会って、ユダヤ人殺しをお願いしたい、って感じで中東・北アフリカにおけるユダヤ人一掃をヒトラーに確約させ、ナチ側も短波放送を作って中東地域でのナチ基盤を作っていった。

要するに、フサイニーの根底にあるのは、反イギリス、反アングロ&シオニストだと言ってしまえばそうなんだけど、それだけでは到底解決できないほど、ユダヤ人殺しを主張しまくってるし、自分でも1920年代のパレスチナでユダヤ人大量虐殺事件を画策して起こしてるから、なにかもう渾身の反ユダヤの人。

イスラエルには中東地域からもユダヤ人が移住してきているわけだけど、こうしてみればそりゃそうなるわな、というところはある。

フサイニーさんは、地中海東岸に落ち着いてるだけでなく、欧州にも乗り込んで、ああしろこうしろ言ってる。


ボスニアでナチが作ったムスリムの武装親衛隊を閲兵して、とってもうれしそうなフサイニーさん。

この隊は、本筋のドイツとその子分 vs ソ連の戦いの帰趨には、殆ど関係なく、ひたすら惨たらしくスラブ人、ユダヤ人を殺している、と多くの人がこれまでも主張しているが、今一つ解明されていない部分だと思う。

そこにこの人の影響がどれぐらいあったのか、というか、なぜそんなにエライのかってのも明確になってないと思う。

またボスニアのムスリムで編成された第13SS武装山岳師団の設立に関与。このSS山岳師団は、バルカン半島におけるユダヤ人狩りを行っている。戦争末期にユダヤ人移送中止の動きがあるとフサイニーはこれに反対し、ユダヤ人移送を強硬に主張し続けた。

ユダヤ人移送を主張した、ってことは、バルカンとかギリシャにいた現地のユダヤ人をドイツ側に連れ出して、結果的に殺してしまえってことです。


最終的に、ドイツが負けて、ユーゴスラビアがこの人を戦犯にしろと主張したが、フランスに投降し(イギリスという説も見る)、エジプトに逃れて、戦犯を逃れた。

またかよ、といった仕様ですね。


■ ネタニヤフを笑いものにしてた

で、アミーン・フサイニーが一躍脚光を浴びたのは、2000年代初頭だと思うけど、その後、ネタニヤフが、ヒトラーというより、このフサイニーがユダヤ殲滅を教唆したのだ云々と言い出して話題になった。イスラエル、追い込まれてるぜ~みたいにして。

あった。2015年だった。

イスラエル首相がホロコーストは「パレスチナ人のせい」 ドイツ首相は「いや我々の責任」と


ヒトラーのせいでない、は言い過ぎとしても、フサイニーぐらい一貫して見境なくユダヤ人は死ぬべしと叫んでいた人はあまりいない、ぐらいは言えるかもしれないと思う。

そして、諸々の第二次世界大戦の戦線の話に殆ど登場してこなかった。

1974年まで生きているので、それまでアラブ世界ではタブーだってことなのではなかろうか? またかよって、感じ(日本でもこれはある)。


■ 奇妙なまでにいい加減だった

ユダヤ人関連でいえば、この出来事はとても大きいと思う。

2020年1月に、プーチンが、「ホロコースト」の犠牲者の4割はソ連市民でした、だから「ホロコースト」は我々にとっても悲劇なのです、と世界ホロコースト会議で語った。

「ホロコースト」犠牲者の4割はソ連市民

ユダヤ人として殺された人々の圧倒的多数は、ポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト3国にいた人々で、このうちポーランド以外は当時はソ連なのでそこが4割とすると、全数で7、8割がポーランド以東って感じではなかろうか。残りがバルカンと西欧その他。

つまり、昨今語られるドイツを中心として捉える見方とか、アンネの日記でイメージするようなものとは相当違いまっせ、とプーチンは明らかにしたわけですが、西側主要紙は無視した。

これはこれで事件だと思ってる。

その前に、2017年、

イスラエル、5月9日をビクトリーデーにする

という出来事があり、(つまりイスラエルはあの5月9日のモスクワでのパレードで名高い日を祝ってる。アゼルバイジャンもそう)

2018年2月、ネタニヤフはロシアを訪問し、ユダヤ博物館で、

「我々は、ナチズム打倒においてソ連が果たした役割を決して忘れないだろう。このミュージアムに来れば真実を見ることができる」

と語った。

私がその時、書いたのは、

で、ですね。過去30年ぐらい、世界中の学生は教科書を通じてホロコーストを教えられ、ユダヤ人差別を嘆き、もうあってはならないと教えられるわけです。

であれば、その悲劇の当事者を代表するユダヤ人の集団が、ソ連赤軍がナチを打倒し、反攻に転じた過程で多数のユダヤ人が救われたという事実を喜んでいるのなら、一緒に喜ぶのが筋ではあるまいか?

にもかかわらず、ネタニヤフがこう語っても、世界の主要メディアはそれを伝えないわけですよ。それどころか、曲解して、だからイランの脅威に立ち向かうのだみたいなバカなことを書いているイスラエルの新聞まで出てくる始末。


今でもそう思う。その後の経緯を見ても、ドイツ人(しかもシュピーゲルの編集スタッフ)でさえアウシュビッツはアメリカ人が解放したと思ってたり、全体として、広く書かれているわりに、実は、何かとてもいい加減に扱われているテーマなんだなと思ってる。むしろ、真実を知らせたくないのだな、といった感じ。


その後、エプスタイン事件があって、エプスタインのガールフレンドのお母さんのエリザベス・マックスウェルが、どうやら、私たちが現在知るところの「ホロコースト」を流布するに一役買った人であるらしい、という奇妙なこともわかった。

亡くなった時の記事で、ワシントンポストは、「ホロコースト」についての大衆の教育における第一人者と書いていた。 

エプスタイン事件 (4) マックスウェル家


■ 未解明な戦後史であるらしい

これらが一体どう絡んでくるのか見当はつかないんですが、現状並べてみると、

ソ連/ロシアがいないうちにちゃちゃっと作ったユダヤ人は気の毒でした話が、巷間いわれるアメリカ(イギリス?)主導の「ホロコースト」ものだった。

だが、開けてみると、どうももっとスケールが大きかったようだ。

広げてるわりには、実はいい加減にしか調査していないし、西側は本気ではやってなかった。

とは言えると思う。

そして、ハンガリーがソ連に降伏したのにドイツ軍が出張ってきてさらに赤軍と交戦するという、おかしな「タイムラグ」は、こうしてみると、戦犯を逃すために作ったものだったと見て間違いないんだろう、とも言えそうな気がする。

1945年2月13日、ブタペストついに陥落


いずれにしても、私たちはかなりいい加減なことを教わってきた。それは確か。

■ オマケ

フサイニーは、親ナチだったので、日本とは同じ側。それによって、

1941年にイラクでのラシード・アリー・ガイラーニーによる親枢軸国の反英クーデターが起きるとラシード・アリーを支持・援助するが、イギリス軍が政権打倒のために軍事介入したことで身の危険を感じイランに亡命。しかし、イランにも英ソ両軍が侵攻したことから、同国の日本大使館に逃げ込んで変装してイタリアに亡命した。 

という具合に関わってる。

ということは、後年、日本がパレスチナ側の武装闘争に相当過激に加担して、著しい反シオニスト、反イスラエルを叫ぶ側にいたいう成り行きは、多くの人が信じている、気の毒なパレスチナ人を救え運動も本当だとしても、でもでも、ナチ繋がりもあったの?など思ってみたり・・・。

なんとかしてイギリスを出し抜きたいという日本の中の念願からパレスチナ支援に入ったとか? 彼らは名前は左翼だが中身は左翼ではないという説はよく聞いたが、思えばこれってそういうこと? 

ここらへん、解明されないまま忘れ去られようとしている感じは実際ある。

何か、とっても興味深いことになってる世の中。

■ オマケ2

ひょっとしてこれも関係あるのかな。

エルベ河邂逅の日 & アルメニア人大虐殺問題


■ オマケ3

忘れてたけど、じゃあ、1993年クリントンが仲介したオスロ合意の頃の物語は話半分だったってことになるんだから、あれで合意して終わりにすることは本当によかったのだろうか、とも問わないとならないね。

ちなみに、この一方当事者であるアラファトさんは、上述したフサイニー家の人。


■ オマケ4

巷間言われているアウシュビッツ物語もそうとうおかしかったという印象問題はここ。

1945年1月27日:ソ連赤軍アウシュビッツ解放


■ 関連記事:WW2シリーズ

当面この下にあるものを便宜使いします。そのうち1ページにします。

1945年4月11日:ブーヘンヴァルト強制収容所解放




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3 コメント

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パレスチナ系ナチスフセイニ人脈 (ローレライ)
2021-05-20 11:33:34
パレスチナ系ナチスフセイニの人脈からスラブ系ホロコーストがユダヤ人ホロコーストの真相だと分かる。
Unknown (楽)
2021-05-20 11:50:43
そもそもだけど、何をもってユダヤ人というのかイマイチ良く分からない。
異質なものを殺したがるだけ (ブログ主)
2021-05-20 14:17:52
楽さん

フサイニーがユダヤを何と考えていたのか、わからないですが、1920年代のやり口から考えて、外から来る奴らはみんな嫌い→嫌いだから殺せ→逆らう奴はユダヤ、といったところではないでしょうか。

なぜなら、そもそもオスマン支配下一帯にユダヤ系はずっと前からいるからです。そして欧州側からのユダヤ系、クリスチャン系の流入も別に珍しいことではなかった。交易圏ですから。

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