DEEPLY JAPAN

古い話も今の話も、それでもやっぱり、ずっと日本!
Truly, honestly, DEEPLY JAPAN!

大岡昇平のいない日本を憂う埴谷雄高

2018-09-21 15:42:19 | 参考資料-昭和(後期)

youtubeにあがっている1990年代、1980年代のNHKの特集を見ると、現在の日本の劣化ぶりは恐ろしいほどだと思わざるを得ない。

そして、戦後の日本は戦前の国体を引きずっているなどというものではなくて、戦後の日本の指導者層はそのままでしたという最近の白井聡さんなどの指摘が、よく考えれば80年代までに生きていた知識人にとっては自明だったのだよな、などと思ってみたりもする。

白井さんが珍しく思えるのは、それだけ過去30年か40年の日本が哀れなほどガラパゴスランドになっていたからとも言えるのかもしれない。

というわけで、最近の発見としては、大岡昇平シリーズ。

戦後日本で最も重要な作家の一人は紛れもなく大岡昇平なのではなかろうか、など書いてみたいと思う。

俘虜記 (新潮文庫)
大岡 昇平
新潮社

 

それは別にスタイルとか思想とかいう話ではなく、この人そのものがもたらしたインパクトが静かにすごい。上述した、背広に着替えただけのファシストレジームにとっては、隠しておきたい話を背負った憎むべき存在であったのじゃなかろうか。

言うまでもなくそれはフィリピン戦線についての著作のことを指す。

これを語る人間は一人の作家ではなく、彼の背後にはフィリピン戦線という地獄に投入された何万、何十万の人間がいた。彼は類似の体験をアジア、太平洋地区でさせられた何百万という兵隊を背負った何者かだった。

野火(のび) (新潮文庫)
大岡 昇平
新潮社

 

この不特定多数の怨念を秘めた見えない集合体を前に、憲法改正して日本も軍備持って世界制覇合戦にもう一度邁進しましょーなどとはさしもの日本の支配者層も言えなかったということなんだろうと思うわけですよ。

大岡昇平 時代へ発言 第二回 死んだ兵士に 1984.8 NHK

 

で、この、大岡昇平へのインタビューは3回シリーズで、1984年に行われている。そしてその中で、不沈空母などと言い出す人もいるわけですからね~みたいなことを言っているところがある。

例の中曽根の不沈空母発言のことであるのは明白でしょう。

不沈空母発言は1983年。wikiによればこんな感じ。

1983年(昭和58年)、日本の内閣総理大臣であった中曽根康弘は、アメリカ合衆国を訪問した際にワシントン・ポスト社主との朝食会に臨み、ソビエト連邦からの爆撃機による攻撃の脅威に対抗し、アメリカ合衆国連邦政府を支援するため、日本は太平洋における「不沈空母」にすると発言した[8][9]。 

 

ここから考えるに、中曽根が対ソ戦略に積極的な役割を引き受けるなどと言い出したことで、これを再軍備というより外征路線と捉えて、これはどうなんだろ・・・と考えた人たちがいて、一つの抵抗として大岡昇平インタビューをNHKが行ったということではなかろうか。度胸なしのNHKらしく、一度も論点を出さず、大岡さんの影に隠れて疑問を出す、みたいな作りといっていいかもしれない。

しかしそれでも十分に間に合ってしまうのが大岡昇平が持つインパクトと言えるかもしれない。兵を語りながら小さな嗚咽をもらすところがあるが、同じように目に涙を浮かべながら1984年から40年ほど前の日本に思いを致した人たちはテレビの前に多数いただろう。

一方で、戦後の日本というのは、最近ようやく人口に膾炙しつつある日米合同委員会組織が代表するように、大日本帝国が責任も取らなかったなどという生易しい話ではなく、カッコだけは戦後にしたものの、根幹にどっしり残るのは米軍の軍政下に入った大日本帝国というべきもので、ざっくり言えば、表面ではいかにも新しくなったような恰好だが、その実、軍、治安組織、報道組織という統治の基本的ユニットが密約だらけで縛られていたし、今もいる。

で、それにもかかわらずストレートに西側の属州化しなかったのは、結局、肉体を持った数多くの人間が有形無形に抵抗を試みていたからということなんでしょう。

大岡昇平はその強力な例。

で、その後90年代を超えて、いよいよ1945年の敗戦を肉体を持って知る人たちがいなくなってくると、強かった大日本帝国、立派だった大日本帝国みたいな浅はかな映画だの本が出回り、ネット上には粗製乱造したデマが登場し無知な人間によって増殖され、現在がある。

特にこの20年ほどの日本というのは、振り返ってみれば悪い冗談のようだ。

 

それはともかく、大岡昇平がいなくなることの大変さを、亡くなった直後に指摘した人はきっと多いんだろうとは思うけど(そう思いたい)、埴谷推高が直後のNHKで指摘していたのを見てちょっと驚く。

これの17分ぐらいから。

大岡昇平さんをしのぶ  埴谷雄高 大江健三郎 1988.12.26 NHK

ドストエフスキーはシベリアに流刑されてそこで民衆を見て真に偉大なドストエフスキーになった、これは天の配剤だ、これと同じように大岡はフィリピン戦線に行った、と言い、

大岡がいたから、どっしりと真ん中に立っていたから、イデオロギーだのなんだのでは説得力を持たないものも、大岡が言うから、それでよかった、が、大岡がいなくなる、この喪失感云々

みたいな言い方なのでこれでは何を言ってるのかわからないような気もするので、解釈するに、背広を着た無責任な大日本帝国そのものである戦後日本の指導者層(あるいは枠組み)に対して、そんなキレイごとを言っても俺は知ってる、どんな仕組みで動いているのか、どんなに卑怯未練、無知、残虐であったかを知ってる、と見ている人が大岡という存在で、これが指導者層に突きつけられていた。

だから、その大岡が亡くなったことによって、それが可能でなくなる。他方、大日本帝国は整理されていない、つまり、次の日本は制度化されていない状況だ、どうするんだ、という意味だろうと拝察する。

そして、大江健三郎が一緒に出ているからでもあるだろうけど、大江君はいろいろ頑張ってる、が、「これから大江君は大変になりますよ」とも言ってる。

これはつまり、現前していた、もう戦前には戻さないという肉体を持った不特定多数の集団がいなくなれば、隠れていた「国体」勢力の歯止めはなくなるだろう、というのを予測していると思う。

卓見でしょう、これは。

埴谷雄高という人は私の世代以下ではほとんど知る人もいない人だと思うけど、60年代ぐらいまでには相当な心酔者を出していた人らしい。私はほとんどちゃんと読んだことがないが、パースペクティブが長いことが非常に特徴的な人であるように思う。それはつまり知的だということ。voyantという語を思い出させる。見る人、ということ。

 

■ 関連

123便を思い出す季節・小日本主義 vs 世界支配主義

1945年の気の毒な若者たちが消えたことを思い起こしてみる

 


 

 


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 実存的危機なのだが人々は笑... | トップ | イラン、軍事パレード中に襲... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
イギリス領インドカースト社会帝国方式でのアメリカ軍占領日本 (ローレライ)
2018-09-21 17:06:32
イギリスがインドカースト社会を利用してインド帝国を支配した方式を採用して天皇カースト社会の上に支配するアメリカ軍の占領する日本。民主主義も主権もない日本特別区。
返信する
南へ行ったものは... (ローシャン)
2018-09-23 14:18:53
1924年生まれの私の父の同級生(男子)は約3割戦死しています。その父が生前、「北へ行ったものはほとんど生きて帰ってきたが、南へ行ったものはみな死んだ」とよく言っていた。北で戦った相手は中国とソ連で、南は英国と米国、フィリピンはその最たる戦場で一割も生きて帰ってこなかったのではないか。今の日本人の一番嫌いな国は朝鮮はおいておいて、1中国2ロシア。皆殺しにされた米国が一番好きな国とはこれいかに。
返信する
ありがとうございます (ブログ主)
2018-09-23 15:41:25
ローシャンさん、

エピソードを書いてくだってありがとうございます。

陸と海の違いが大きいわけですが、北でやってのは戦争、南でやってたのは(上手く敗戦するまでの日本にとっての)時間稼ぎだから兵を「消費」したという話なんだろうと思ってます。

ローレライさん、

カースト込みで支配すると一般民衆と支配者層が分かれてるから、アウトサイダーにとっては実はやりやすいというのは、軍政でも同じ。よくできてる。経験値から来るんでしょうね。
返信する
父と戦争 (チャイロ)
2018-09-28 22:49:44
 私の父は戦争最末期に二十歳そこそこで通信兵となって戦争に参加し短い間の戦争体験だったようですが、晩年に「みんな死んじゃった」と小さく叫ぶように一回だけ声を放った事があり、穏やかな父のあの時の声と顔を忘れることができません。実際の経験がどのように過酷な経験としてその人に刻まれるのか、私は推測する以外にありませんが、どんな経験も実体験と伝聞には雲泥の差がありどんなに想像を働かせても体験者の思いを共有することはできない、と思うのです。
 戦争はある一握りの集団の利権により引き起こされることが最近は理解されてきていますが、これほど多量の命と悲嘆を食い物にして「戦争」を行いたい者がいることに気が狂うような怒りを感じます。
 人は賢くならねばなりません。情報をみずから探って世界の動きの意味を知らねばなりません。戦争を起こす者は「人間 」ではない、とこの頃思っています。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

参考資料-昭和(後期)」カテゴリの最新記事