新しい元号が発表された。されるまでの数日間のテレビのはしゃぎようは異様だったというか、馬鹿だった。
私としてはもう、大日本帝国パート2のから騒ぎフェーズなんだろうなといった感じで見ている。
去年書いた話の続きだなといったところ。
サブカル化なのかクーデターなのか知らないが壊れてることは確か
で、思うに、日本会議という集団は、ある意味、マッカーサーでさえできなかったことをやっていると言えると思う。彼らは、天皇に対する権威をこれでもかと地に引きずり降ろしている。
今回は元号制定が天皇またはその存在を生み出すところの朝廷勢力みたいなところから、本格的に奪われたのだなといった感想を持つ。
天皇に関するものは既に歴史の中のモノであり概念なんだから、遠慮なく書いたり批判したりすべきだと頭ではわかっていても、多くの日本人は、何かしら躊躇して、あるいはそこにある秩序への漠然とした敬慕の故に、なんとなく軽く頭を下げて通り過ぎる的に対処してきた。
この態度が、よく言えば日本人の慎み深さをもたらし、悪くいえば上には逆らわない異常な従順をもたらす一つの原因だったのではないかとも思う(これがすべてではない。江戸時代までの統治の方法からもたらされた圧迫的な要因も多々あると思う)。
日本会議は、大笑いのうちにこれらをサブカル化し、地べたに下ろしてる。
その前には国記編纂も馬鹿なものにひっくるめられた。
しかも、百田とかいう別に歴史家でもなければ、研究者でもない、尊敬を集める人物でもない、そして重要なことには国(天皇)が頼んだわけでもない男が、「日本国紀」を書いて大量に配布するに及んでは、識者は不敬である、不敬であると泡を吹き、新しい秩序を建てようというのか、すなわち国体を変革することを目的として結社したる者ではないのかと日本会議に治安維持法の適用が検討されたとしても不思議ではない。ああ、おもしろい。
この状況は日本原住民にとっては侮辱されているような居心地の悪さをぬぐいきれないわけだが、しかし、そうはいっても畳のないうちも増え、あちこち歩くと立派な瓦屋根のお家も減って、それどころか葬儀の習慣も非常に変わってしまった。死がパーソナルなものになるのは良い側面もあるが、これによって共同体のミニマム単位が崩壊していったのも事実のようには思う。
嘆いてみても、そもそも箱膳囲んで暮らしてた人からすればもう十分に変化し尽くしているとも言えるわけで、今さら、ではある。
どうなるのかわからないですが、もしこれからも日本という集団でやっていこうと思うのなら、結局はこの変化した私たちの環境の上に立って我々は何者なのか的なことを考えていくしかないんだろうとは思う。
いやいやしかし、他のことはともかく私は元号習慣にはこだわりがあった。もっと早くに、天皇を文化的存在として政治ストラクチャーから切り離して、折々に元号を変えてもらうような、私的年号を存在させる方が日本文化にとってはよかったんじゃないかという気がしてる。もう遅いわけで、残念なことだったなとしみじみ思う。
我々のような旧日本人ですが、左翼や革新的なな有識者だけではなくて、世間から右翼や保守とみられている人々の多くも1945年8月15日の「玉音放送」では西暦の方を使っていた。
矢張り大日本帝国の敗北と同時に、昭和の元号も終わったと認識していたのでしょう。そもそも天皇の詔で戦争が始まっているのですからヒロヒト天皇は間違いなくA級戦犯で、最低でも退位は免れないのです。
8月15日の件、意識したことがなかったです。国民の側はともかく、815ページェントを仕掛けた側は何かが終わったと認識したというより、deep stateに向けて恭順の意を示しているという気もします。