アベノミクスの出口戦略なるものはどうするのだと昨年あたり言っていたものだが、そこから1年して、それが結局MMT理論に置き換えようというモードが来ているのだなと思っているわけだけど、そんなことで本当にいいのかと。
いやもう、そんなことを言っても始まらないんだろうし、私が何を言おうが、騙す奴の方が力があるんだからもうそれでいいよという気持ちが支配的ではあるけど、いやしかし、さはさりながら、やっぱりちょっとなぁと思う。
いやいやいや、言っても始まらないんですよ。どうせ。
でも言うと、まず第一に、そもそも経済学説に従って何かをやるという発想そのものがおかしい。
社会政策の提示があって次にではどのモデルを、と考えるのが筋でしょう。そこで各種の経済学知見でその理念とするところ、ビジョンとするところが検討される。
そして、最終的には、政府が決める中央の政策が非常に計画的かつ強制的か、それとも方向性の提示程度なのかの違いがあるだけ。前者がいわゆるソ連型、後者がまぁいわゆる自由主義経済型と言ってもいいけど、現実には社会を作って人に規制して成り立っている以上完全な自由経済などない。そもそもない。つか、そうなら別に集団で生きなくたっていい。犯罪者天国または有徳のアナーキスト団にすぎない。
つまり、経済学というのはある場合にどんな道があるのかのモデルの提示をするか、あるいは、個別具体的な事象を説明するための一つのものの見方、といったものでしょう。総合的に何かを指示したり決定したりするものではないだろう、ってこと。
であるなら、リフレ路線がいいか、MMTがいいか、あるいはまたケインズがというのは、本来議論の立て方がおかしい。ビジョンが共有されて、はじめて手続きに移るべきところ、手続き論を語り、各人が同床異夢を見るがごとき対話に何の意味があるというのだろう。
というところに思い至れば、そりゃもうこの動画を見ないとだわ、と思いエントリー。2013年の西部ゼミナールの動画。面白かったので記憶していて、探したらあっ!
エコノミストなる人々がどれだけいい加減、どれだけトンチキ、しかし考えようによっては面白いことを言って来たかについての西邊進さんと東谷暁さんによる手短なスケッチ。
【西部ゼミナール】 5/18 「錯乱腐乱に向かうエコノミックス」
ケインズの弟子筋にあたる、彼女自体非常に優秀な経済学者イギリスのケンブリッジ大学教授だったジョーン・ロビンソン(1903~1982)という人が、経済学を学ぶ目的は経済学者にどうしたら騙されないかを学ぶためと言ったという有名なエピソードが最初の方に出てくるけど、いやほんと、マジでそれだと思う。
経済学者の栄光と敗北 ケインズからクルーグマンまで14人の物語 (朝日新書) | |
東谷 暁 | |
朝日新聞出版 |
多数の人間が生きてる限り終われないから困ってる、と。