ロシア関連で奇妙な「進展」が見られる今日この頃ですが、もう一発、 なんか、怒涛の寄りの続きが来てた。2月7日の、駐日ロシア大使と産経の論説顧問のお話。
「北方領土」で露大使に再反論 本紙・斎藤論説顧問「降伏後の占領は国家犯罪」
https://www.sankei.com/politics/news/190207/plt1902070029-n1.html
で、産経論説委員が、
北方領土については紛争ではなく、独裁者スターリンの指令による国家犯罪だ。日本のポツダム宣言受諾後、四島に入り込み、火事場泥棒的に強奪した。
という、日本の右派の代表的な主張を述べたところ、ガルージン駐日大使は、
あなたは1945年に対日参戦したソ連を非難するのか。完全に合法的に行われた南クリール獲得を「犯罪」と呼ぶのか。あなたには歴史の教科書を開き、注意深く最後まで読むことをすすめたい。
そうすれば、第二次世界大戦時に日本がナチスドイツの同盟国であったことを思い出していただけるだろう。そう、日本は最も罪深い犯罪者であるヒトラー政権と同盟していたのだ。
と切り返した。これをネットをちらっと見ると、大使は反論になっていない、困ったものだみたいな意見がちらほら見える。
それはどうでもいいのだが、私が思ったのは、よーーーーするに、とどのつまり、日本が70年間、わけのわからない右派を総動員して否認してきたのは、だいたい東京裁判の部分否定に集約されるのだろうということ。ああそうか、という感じ。
この間、
要するに、戦後は戦前と違ってちゃんとやってるはずだ、と多くの日本人は思ってるらしいんだけど、実はそうではない。かなり足りてない、いやそれどころか、戦後は戦後でまた別の大本営的捏造史を作ってきたというべきかもしれない。
ガラパゴスランドの空中遊泳とその先のお楽しみ
などと書いたけど、まさしくそこらへんをつつかれていると思う。
で、その中で、上記のようなトークで、日ソ中立条約違反を破ったソビエトは卑怯だという声がつきものだが、その先に、ついには、ソ連は1945年の終結した戦争とまるで関係がなかったかのような、私にいわせりゃスゴイ説が日本にはそこはかとなくある。上の、論説委員があれはスターリンの犯罪だという意見の前提になっているのは、ソ連がアメリカと共に第二次世界大戦を終結させていたという視点が一切ないことでしょう。
前から何度も書いてるけど、終結させるために、満洲をどうにかしないとならない、では誰がやるのか、アメリカはそんな陸軍もってない、ではソ連に、というのは別にヤルタ会談がなくたって、他に考えようがない。
関特演と1945年ソ連満洲侵攻作戦
そして、第二次世界大戦のクロージングに向けて、欧州方面で肩組んでた米ソの兵隊は、千島の島を取るために一緒にトレーニングに励んでいた。
今更なぜか「プロジェクト・フラ」
で、長々問題となっている日ソ中立条約については、これは軍事的には成り立っておらず、1941年からの戦争期間中日ソ間は有意に対立しているだろう、ってのは私が前から指摘している話だが、これは別に私が思うだけでなく、東京裁判でもこの条約は、第6章「対ソビエトの日本の侵略行動」の中で、結構なスペースを取って考察されていて、結論として、一方が第三者に侵略された場合他方当事者は紛争の期間中立を維持するという中立条約の趣旨は貫徹されてない、との結論になっている。
理由としては、誰でも目につく50万もの兵隊をわざわざ満洲に持って行ってソビエトに対峙させていたことだけでなく、実際関東軍は、ドイツの出方を見ながら、ドイツが有利になったら自分もソ連を攻めようというつもりがあり戦略プランもあった。そして、日本の軍は散発的にではなくてしっかり体制としてソ連情報をドイツに送っていた、日本の海軍がソ連の軍艦を攻撃したことがある、連合国がソ連に補給する艦船の邪魔をした、といった理由も挙げられている。
だから、中立条約違反だ~というのは、まぁ満洲に攻めてこられた時に日本国民向けに日本の当局者が言うのはいいとしても、基本的に意味のある反論になったことはないと思う。
というか、日本人が日本で言っているだけで、他に誰かに言ったんだろうか? ソビエトに本気でくってかかっても却下されていたのではないのかと想像する。
また、東京裁判の事実認定の部分では、そもそもこの中立条約の意図が怪しまれていたことも、考えてみればまだ日本史としても確定していない部分かも。
つまり、中立条約を結んだのは1941年4月で、同年6月22日にドイツはソ連に侵攻する。細々とした侵攻ではなくて300万人で一気に押す大戦略なんだから、2カ月前には既に準備は相当できてる。ドイツ側が日本の誰だったかに、俺らは絶対勝つと自慢している文書も残っている。
だったら日本の側がそれを知らないわけはないだろう、という話。
現在まで日本では、松岡が日独伊+ソ連にしたら、アメリカもかかってこないだろうと思った、という話が流布されている。
が、東京裁判の記録では、松岡は独ソ間に紛争が起きれば日本は中立ではいられない、なぜなら三国同盟の方が主要な方針だからとドイツ大使に答え、ドイツ側は駐日ドイツ大使オットーからの連絡を受けてる(日本の意図を確認した、ということ)。
また、ドイツがソ連に侵攻した3日後に、駐日ソビエト大使に対して、日本はどうするのかと尋ねられて松岡は直接的な表現を避け、ただし、日本の外交方針の基本は三国同盟だと強調した、とある。
The Japanese policy towards the U.S.S.R. and the Neutrality Pact is revealed by Smetanin's talk with Matsuoka on the 25 June 1941, three days after Germany had attacked Russia. Matsuoka, being asked by Smetanin, the Soviet Ambassador to Japan, whether Japan would remain neutral in accordance with the Neutrality Pact between the U.S.S.R. and Japan of 13 April 1941, evaded a direct answer, but emphasized that the Tripartite Pact was the basis of the foreign policy of Japan, and if the present war and the Neutrality Pact happened to be at variance with that basis and with the Tripartite Pact, the Neutrality Pact "will not continue if force".
http://www.ibiblio.org/hyperwar/PTO/IMTFE/IMTFE-6.html
ということで、同裁判では、日本が対ソ連で結んだ中立条約は誠実なものとは見えないと結論されている。
It has certainly been established that the Neutrality Pact was entered into without candour and as a device to advance Japan's aggressive intentions against the U.S.S.R.
考えてみれば、ドイツもソ連と中立条約を結びながらソ連に侵攻したので、日独間がそれと同じ形を作って、どこで出るかを考えていたとしても不思議ではないといえばない。
平たくいえば、ドイツと日本で東西から挟み撃ちをしようとしていた、と。
しかし実際にはうまくいかなかった、と言いたいところだが、私は、結局日本軍としてはあれで精いっぱいだったんじゃないかと思ってる。そしてそれを一番よく知っていたのも実は陸軍だったんじゃないのか? だってハサン湖、ノモンハンとソ連と実地にあたってみたわけだから、実地にできることと出来ないことを理解したのでは、といったところに興味を持っているのだが、これは別の話。
■ 原文を読もう
ということで、改めて夕べ東京裁判の記録の該当部分を読んでみたが、これはこれで今でも大枠については普通に説得力あるよなぁとか思った。これ以降にわかった、各人の意図などや秘密の行動などは別として、大枠はこんな感じじゃないの、だって、って感じ。
そもそも、1948年ごろというのは、現実に行動した人たちが生きてるわけだから、そう素っ頓狂なまとめにはならない。敵味方の区別なく、あの時、あの場面ってのを記憶している人がいる中でまとめたんだから、なるほどと思えるものができるのも無理はないんじゃなかろうか。
国連のサイトにあるのは、原文の紙をスキャンしたものなので、検索できなくて読みづらい。
http://www.un.org/en/genocideprevention/documents/atrocity-crimes/Doc.3_1946%20Tokyo%20Charter.pdf
そんなあなたにということなのか、いくつもテキスト化されたサイトがある。
https://www.legal-tools.org/doc/8bef6f/pdf/
http://werle.rewi.hu-berlin.de/tokio.pdf
http://www.ibiblio.org/hyperwar/PTO/IMTFE/index.html#index
■ ご都合主義から愚か者へ
で、これまでにいろいろ考えたり、調べたりした結果として、なにしろ日本のエスタブなのかエリートなのか知りませんが、学会、外交官、政府 etc.の集合体は、とにかく1945年の敗戦時に満洲を含めることを非常に嫌がっている風ではある。
満洲といえば、ソ連が中立条約を違反した!とこれだけ。この前もこの後もない。
しかし、何十回も書いてますが、なんとしても満洲に拘ってた大日本帝国なわけですよ。そこがどうなるのかを考えない終戦プランなんて意味ないでしょう。天皇が一声発すればすべてが秩序正しく動くなんてのも、まったくの神話。
では一体なぜこうなのか。
いや、まだわかりません、私には。
ただ、おぼろげながら見えるのは、対ソの侵略行動と言われることを完全に拒否しようという意思があるんじゃないのかな。特に、ドイツと組んで東西から挟み撃ちしようとしていたといった意図をなぜだか知られたくないらしい。
戦時中の人たちは、ソ連など最強関東軍にかかればいちころとか言ってたみたいなんですが、戦後になると知らぬ存ぜぬになってる。一方的に、やられた、裏切り者のソ連、みたいな話しかしない。どうしたんだ、あの蛮勇は、などと言ってみたいぐらいだ。
それは結局、ソ連に対して侵略意図をもって存在し、ドイツと一緒になってその意図は継続していたということになると、東京裁判によって、日本に対するソ連の立場が強く確保されてしまうから、なんじゃないですかね。
そうすると占領政策にも影響するかもしれない。そこで、アメリカに対するものはなんでも認めるが、ソ連、中国に関するものはまるで無視という方向を取り、それが今日まで続いているということでしょうか。
ハバロフスク裁判と聞けば、無効だ、無効だ、証言者は洗脳されている云々と騒いでるのも同じ意図。
そして、そういうへんな立場を取ってきたもので、今では、ソ連が第二次世界大戦の最後の最後に突如出て来たみたいな、世界中のどこにいっても「この人はわかってないんだわ」とバカ扱いされる以外にない人々を大量に生み出してしまった、と。
第2次大戦の結果を認められない唯一の国
というより、第二次世界大戦の経緯を見たくない唯一の国、というのが先だと思う。
■ 朝鮮戦争レジームは永遠ではない
あと、前にも書いたけど、ソ連が満洲に侵攻したことによって、朝鮮、中国の人たちは、ようやく念願の日本人の追い出しができたわけだから、彼らにとってはこの侵攻作戦はまさしく「解放」作戦なんです。
この意味を日本人は絶対に見ようとしていないようなのだが、そんなこと言ったって、それこそ日本以外ではまったく無意味です。
で、折から、朝鮮戦争は終結する日が来るんだというモードになってきたので、それにあわせて日本は朝鮮戦争レジームから脱却しないとならなくなる。
すると、今までのような、自己都合の神話に閉じこもることがより困難になる。
ということで、もう少し素直に歴史を解読しませんか、という話なのだが、日本の中では、その糸口すら見えない。困ったもんだ。
しかし、プーチン、ラブロフ、駐日大使がこぞって出動してきて、日本の側では、ちょっとずつ、好むと好まざるとにかかわらず理解しようとする人が、以前との比較でいえば増えたような気もする。多分、チャイナは、自分がやっても話がこじれるばかりだからという感じで見守っていると思う。
朝鮮の解放と朝鮮戦争レジーム
そうそう、わずか20年かそこらの間の展開の結果として1941年が来てるという流れを絶対見せないのが日本の歴史教育。
シベリア出兵と山東問題の結果が満洲崩壊という感じですね。