アゴラにこんな記事があがっていた。面白いです。
長期停滞の本当の理由はニコラ・テスラの大発明にあった
知民 由之
もう電気の普及のような大変革は起こらないだろうから、つまり後はそんなに大躍進の時代が来るわけないだろう、ということですね。
アメリカを主な舞台として1920年から1970年まで見られた高成長は、“電気の普及”によるエネルギー革命の貢献が最も大きかったが、もう、その成長はとうの昔に終わってしまったので、1970年以降の成長率の鈍化は “鈍化” では無く “正常化” であるという、ロバート・J・ゴードン教授の説が、経済学会で多くの支持を得ている。
ゴードンさんは1870年から1970年という1世紀を大躍進、大成長が可能な時代と捉えてたので、1920年から70年代は後半ですね。
だから、
この説では、今、先進国が低成長を嘆いているのは、“ニコラ・テスラ” という天才発明家が発明した “交流電力と 誘導電動モーター” による高成長の既視感に捕らわれていることが原因なので、あの頃の成長率に戻らないからと嘆くばかりではなく、今の成長率でやっていける社会を目指すことが重要ということになる。
私もこれは非常に納得させられてる。大躍進の1世紀というのは電気による生活改革みたいなもので、これがあらかた終わったら後はそのサブのチェンジしか起こってないし、起こることもないんだろうな、と思ってる。
そして、2000年以降のイノベーションは殆どの場合生活の変化まではいってないものばかりないんじゃないかとも思う。つまり、便利になった、変わったことができる、ぐらいの調子であって、画期的でもはや後戻りできないといったものではない。
多分、人の暮らし方に与える最後の画期的な変化はパーソナルなコンピューターの普及でしょう。しかし、もちろん電灯の普及には負けるし、洗濯機にもかなわないと思うな。
これ以降のものは、単なる便利の程度問題。電気がつかない、洗濯機がない、ネットに繋がらないというのに比べたら、スマホなんて明日捨てても無問題。実際、携帯電話と普通のPCの時代でよかったのにと思ってる人は結構いる。
リモート診断がどうした、スマートシティーがどうした、番号つけて人を管理すると効率化してみんながハッピーみたいな話というのも、好みと利便性の問題。
それだもの、モノが爆発的に売れることはないし、何が何でも電線引かないと、みたいな需要は発掘されない。
だけど、地球上にはまだここまで行ってない地域が残されているので、そこはもうあんまり儲けず、なんならキャップかけて、ほどほどの利益で電線引っ張ってやってよ、とか思ってる。この差は、あまりにも不公平で、なにかこう、これを放置するのは道徳的によくないと思ってる。
■ そこでエネルギー
で、そう考えてくると電気の安定供給がいかに大事かということになる。つまりどうやってエネルギーを供給するかという問題。
前世紀に、火力だけでは足らなくなる可能性を補って余りあると多くの人が原子力に希望を見たのは無理もないと思う。
原爆なんてどうでもいい、原発だ、原発だ、って感じでしょう、本当のところ。ところがこれはそれほど簡単でもなかった。その理由は技術的なものもあるが、技術分野を仕切ってる政治の問題も巨大だった。
直近で残されたブレークスルーは、核燃料サイクルを閉じることでしょう。これはロシアさんが地道にやっているので、お願いすることにする。
アメリカの様子がおかしいのは、もってこの分野で勝ててないからだろうというのが私の考えですね。ロシアが古いけど実用目途がついているものを仕上げようとしていて、さらに中国がこの分野で急速に追いついて、その先で金のかかる、人が必要といったものを担っていくであろうと思われるのが現状。
もうね、人類の未来を思えば、ソ連の人たちに研究しててもらってた方がずっとよかったと思う。BN-800(ナトリウム冷却の高速実証炉)の顛末なんかを読むと、ソ連崩壊で10年ぐらい遅れてそこからやり直すのがホントに大変だったとか言ってるわけで、なんという無駄なことをしたのかと思った。
再生可能エネルギーももちろん重要。だけどこれしか使えない世の中というのは、多分来ない。持ってるもの使って何が悪いと各地で自前の資源を使おうと開発していく未来を閉ざせるわけもない。
■ テスラ再び
テスラに戻って、冒頭の記事では、
そして、その高成長から50年たった今、再びイーロン・マスクによって、 “ニコラ・テスラ” の誘導電動モーターを搭載した電気自動車が作られ、それと組み合わされたAI自動運転技術が、新しいイノベーションを起こして、これからの世界の成長率を押し上げてくれるのではないかという、夢を、人類に再び見せてくれるという “テスラ” の世代は、まだ、終わっていないと、感慨深く気づかされる。
確かに、電気自動車は素材や製造工程から燃料までいろいろと革命的だなと思う。だがしかし、全部がEVに置き換わる必然性はないでしょう。つまり、電気そのもののような必然性となってしまうような爆発力はない。
でも何か、すごいことが起こった~と言いたいムードの方の方が先行してる。新しい世界が来るのだと思いたい妄想の方が先に立っているとでもいうべきか。
ついでにいえば、EVじゃなくても、70年代のどこかでもっと公共交通機関を発達させる方向に向かっていれば、もっとエネルギー効率の良い社会だったかもしれない。が、現実には1家に1台どころか1人に1台でも車が必要な住み方を推奨してた。
思えば、大昔の未来都市構想の漫画みたいなものでは、ハイウェーみたいなところに個人のプライベートの乗用車じゃない車がぐるぐる回ってるみたいな、そう、今でいうモノレールみたいなものがあった。ああいう都市設計だってあり得たわけだけど、現実は細い路でも走れる軽自動車は便利だね、の方向に行った。
この間、昔卒業した小学校の近くを通ったら、大昔に作られた歩道橋が著しくボロっちいままで存在していて、小学生の時に本を見ながらなんとなく思い描いていた未来は来なかったんだなと思った。
EVの夢もこうなるんじゃなかろうかと思ったりする。
■ もう1つのテスラ再び
二コラ・テスラは、アメリカの躍進、あるいはアメリカを中心とする1世紀において大きな役割を果たした人だけども、アメリカ人ではない。アメリカで育ってもいない。
1856年生まれの、オーストリア・ハンガリー帝国内のセルビア人。そして、グラーツの工業大学とプラハのカレル大学を出てブタペストで働き始める。天才にありがちな話だけど、その才能とそれがもたらす意味が理解されなかった(というほどでもないと思うけど)ため、アメリカに行っていろんなお金持ちたちの中で才能を発揮していった。
アメリカの1世紀にはこうした、他国で優秀な発明やひらめきを持ったがその場で大きく膨らますことができずアメリカにいって成功するという人がたくさんいる。マンハッタン・プロジェクトだってアメリカ人だけのプロジェクトでは到底ない。
今のBig Techの伸長もまた、アメリカ生まれのアメリカ人だけの仕事では全然ない。
アメリカは、二コラ・テスラが向かってくれる先でなくなるであろう将来を見ないとならない。
■ オマケ
🕯1875年12月12日、ロシアの技師パーヴェル・ヤブロチコフが「電気ろうそく」を発明しました。
— 駐日ロシア連邦大使館 (@RusEmbassyJ) December 12, 2022
🔥「ヤブロチコフのろうそく」は、初の電気による光源となりました。
🇷🇺ロシアの発明は、外国でも「北の光、ロシアの光は、現代の奇跡」、「ロシアは電気の故郷」と、高く評価されました。 pic.twitter.com/Q55uELGmb4
アゴラの記事、面白い。
高成長の既視感故、何をやっているかと言えば、超低金利政策で株式、不動産へカネをジャブジャブ流し、やれダウが市場最高値だとくる。
現金で持っていても目減りするだけなので、一般庶民も株に投資、永遠に株価が上がり続ける幻想を見ている。
不動産なんか、もっとひどいですよ。
国民への持ち家政策が経済対策の一環だったのは、昔の話。超低金利でだぶついたカネが不動産へ流れ、不動産の高騰が常軌を逸している。結果、何が起こったかというと、持ち家世帯と、借家世帯との保有資産額の差が大きくなるばかりで、今や、親の遺産でもなければ、若い世代が家を買えない。アメリカンドリームなんて、死語。
オカシイでしょ。
なんだかね、弱った心臓に強心剤を打ち続けているような気がしますよ。ホント。
私も昔のフリップ型携帯とPCで全然OK。なんなら携帯もいらない。こっちの都合に関係なく、かかってくる携帯なんかうざったい位。
後は気象を人工的に操ろうとする研究を各国で競ってしている様ですが、これは使い方次第かな。