「満月の夜に…
盤代の浜松が枝を引き結び 真幸くあらばまた還り見む」
【STORY】(シネマ・トゥデイ様より引用させていただきました。)
殺人事件の死刑囚と、その被害者の婚約者だった女が刑務所の面会窓越しに出会い、互いに求め合う姿を描く衝撃作。北野武、竹中直人、行定勲ら、これまで多くの才能を見いだしてきた製作の奥山和由が、詩人の御徒町凧を監督に抜てきして、互いに決して触れえない死刑という期限付きの禁断の純愛を紡ぐ。主演は、『殯(もがり)の森』の尾野真千子と、映画初主演の久保田将至。初の音楽監督となる歌手・森山直太朗が手掛ける音楽も必聴。
カップルを殺害した南木野淳(久保田将至)のもとを、クリスチャンの薫(尾野真千子)が訪れる。薫は淳が殺した男性の婚約者だったが、薫は婚約者の不実を暴いた淳に惹(ひ)かれ、愛を知らずに育った淳も薫によって生きる喜びを知る。互いに求め合う二人は、聖書に小さな文字で書き込み、思いを伝える秘密の通信を始める。
「goo 映画」こちらから
真幸くあらば - goo 映画
万葉集に収められている有 間皇子が戦に向かう前に詠んだとされる。
磐代(いわしろ)の浜松の枝を 引き結んだ。 もし願いが叶い、幸いにして無事でいられたら、またここへもどって眺めることにしよう。といった意味である。
生きることへの希望を詠んだこの歌。
主人公で死刑囚の淳は、死を前にする身であるが故か、この歌が好きであった。
しかし、彼には「真幸く」はないのである。
淳が殺した男は彼の元を尋ねる殉教者の薫の元彼。
他の女との逢引き中に殺害された。
薫にとっては、殺害されたといえ裏切られたのだ。
そんな二人が心かよわす純愛の物語である。
しかし、肉欲的でもある。
それは、月を介しての自慰。
満月の夜にと約束した二人は、その月を見ながらの純愛なるSEXにふけるのである。
生きること=SEX。
こんな単純な構図を作ってしまうことは、少々安易のようにも感じる。
何でこんな方向に話が進んでしまう?と思ってしまう。
確かに、生と性は深い結びつきはあると思う。
しかし、生きる望みはそればかりではないであろう。
生殖能力が無くなってからも、何十年と寿命がある生物は、人間だけ。
そんな、人間にとっての生きがいを単純にSEXとだけ結び付けてしまう流れには、少々いただけない気分だ。
生きること。
それは他者とかかわりをもつことであると思う。
この点に関する描き方はとても好きだ。
お互いを認め、心を通わせあう。そして審判の日を迎える。
そんな姿には、涙したし何とか生きる術は無いのかとも思った。
殺伐とした現代。
今の若者は、人と心かよわすことが下手であるように言われる。
しかし、若者だけに限ったことではないであろう。
そんな現代人の一人であった淳。
自分自身にけじめをつけたかったから、死刑判決を受け入れた。
その潔さに、薫も惹かれていった。
そこから生まれた心のつながりは、心惹かれる物があった。
とにもかくにも、幸いにも無事でいられたならば私は…!の映画に出会ってしまった。
だから映画好きはやめられない。
盤代の浜松が枝を引き結び 真幸くあらばまた還り見む」
【STORY】(シネマ・トゥデイ様より引用させていただきました。)
殺人事件の死刑囚と、その被害者の婚約者だった女が刑務所の面会窓越しに出会い、互いに求め合う姿を描く衝撃作。北野武、竹中直人、行定勲ら、これまで多くの才能を見いだしてきた製作の奥山和由が、詩人の御徒町凧を監督に抜てきして、互いに決して触れえない死刑という期限付きの禁断の純愛を紡ぐ。主演は、『殯(もがり)の森』の尾野真千子と、映画初主演の久保田将至。初の音楽監督となる歌手・森山直太朗が手掛ける音楽も必聴。
カップルを殺害した南木野淳(久保田将至)のもとを、クリスチャンの薫(尾野真千子)が訪れる。薫は淳が殺した男性の婚約者だったが、薫は婚約者の不実を暴いた淳に惹(ひ)かれ、愛を知らずに育った淳も薫によって生きる喜びを知る。互いに求め合う二人は、聖書に小さな文字で書き込み、思いを伝える秘密の通信を始める。
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万葉集に収められている有 間皇子が戦に向かう前に詠んだとされる。
磐代(いわしろ)の浜松の枝を 引き結んだ。 もし願いが叶い、幸いにして無事でいられたら、またここへもどって眺めることにしよう。といった意味である。
生きることへの希望を詠んだこの歌。
主人公で死刑囚の淳は、死を前にする身であるが故か、この歌が好きであった。
しかし、彼には「真幸く」はないのである。
淳が殺した男は彼の元を尋ねる殉教者の薫の元彼。
他の女との逢引き中に殺害された。
薫にとっては、殺害されたといえ裏切られたのだ。
そんな二人が心かよわす純愛の物語である。
しかし、肉欲的でもある。
それは、月を介しての自慰。
満月の夜にと約束した二人は、その月を見ながらの純愛なるSEXにふけるのである。
生きること=SEX。
こんな単純な構図を作ってしまうことは、少々安易のようにも感じる。
何でこんな方向に話が進んでしまう?と思ってしまう。
確かに、生と性は深い結びつきはあると思う。
しかし、生きる望みはそればかりではないであろう。
生殖能力が無くなってからも、何十年と寿命がある生物は、人間だけ。
そんな、人間にとっての生きがいを単純にSEXとだけ結び付けてしまう流れには、少々いただけない気分だ。
生きること。
それは他者とかかわりをもつことであると思う。
この点に関する描き方はとても好きだ。
お互いを認め、心を通わせあう。そして審判の日を迎える。
そんな姿には、涙したし何とか生きる術は無いのかとも思った。
殺伐とした現代。
今の若者は、人と心かよわすことが下手であるように言われる。
しかし、若者だけに限ったことではないであろう。
そんな現代人の一人であった淳。
自分自身にけじめをつけたかったから、死刑判決を受け入れた。
その潔さに、薫も惹かれていった。
そこから生まれた心のつながりは、心惹かれる物があった。
とにもかくにも、幸いにも無事でいられたならば私は…!の映画に出会ってしまった。
だから映画好きはやめられない。
詩人監督だけに情実的な表現が多くて、好みは分かれる作品かなと思いました。
なるほど。そうかもしれませんね。
その立場におかれてみないと分からないこともたくさんあるかもしれないです。
人も生き物ですから、その本能の部分が如実に表れてもおかしくないですね。
全体の雰囲気等は、好きな作品でありましたよ。
こういった作品なのですね。
多分、各自が持つ感想は違ったものになるのでしょう。
自分も観て、自分なりの感想を持ちたいと思います。
人によって感じ方が違う作品だと思います。
ぜひ、観にいってください。
物静かで、素適な作品であることに違いは無いと思います。