くればハッピー。 こなけりゃ凹む。
っと、言ったぐあいに、
新年のご挨拶にかかせない『年賀状&お年賀メール』というのは
年に一度、出す側にとっても貰う側にとっても
以外と人間関係においての『縁』に重要な役割を果たしています。
例えば。
『去年出したから出しとくか...』
という中途半端な相手に
『出したのに返事こねーよ!』
っと、憤慨するよりも
『あっ、やっぱりね。』
っと、確認するかのごとく
その年を境に年賀状リストから外す、というこの行為。
この行為こそ、
それまでかろうじて繋がっていた『縁』がキレル瞬間だったりするです。
縁がキレルという響きはあまり気持ちのよいものではありません。
しかも、せっかくのご縁を断ち切る行為というのも
一見、残酷な気もしないでもありません。
でもです。
相手に
『まっ、今年も出しとくか』
ぐらいの中途半端な気持ちでいる行為そのものというのは
ひからびた鉢植えを
意味もなく
『何かの役にたつに違いない』からと、
悪臭が漂いはじめているにも拘らず、
そのまま放置している状態と『次元』が同じなのです。
未だにリストラや、いじめ、弱肉強食といった
せちがらい社会の中で生きていると
『みんな誰にも平等に』
っと、幼稚園で習った事をすっかり忘れ、
芥川の小説『クモの糸』のように
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と、足もとで人を蹴散らすかのように
人をそろばんのタマではじくような感情が
涌きあがる事は、少なからず誰にだってあるのです。
ですが、
その感情が涌いた時点で既に心がキシミ初めている証拠でもあるです。
そんな時。
たかがカミキレ。たかがメールといえども
『年賀状』という媒体を利用して
中途半端な関係を思い切って『一掃』することにより、
自分にとってほんとに大事な『交遊関係』がしっかり見えてくるのです。
そもそも、
自分にとって大事な交友関係に
『いつか何かの役にたつに違いない』
などといった『損得勘定』など働くはずがないのです。
交友関係に大事なのは『数』ではなく『質』。
人に損得勘定が働く時は『社交辞令』程度の関係。
だからこそ。人間関係を円滑に進めて行く為には
ひからびた鉢植えには水ではなく、
新しい土と種を入れる事も必要なのです。
っということを踏まえて。
2007年のmomoseは、
公私共々、新しい花をさかせる為に必要な事は惜しみなく、
そしてできるかぎりその花に見合った器を『見極める』ことに
力を注いでいこうと思う所存にございます。