これってやはり化石? 私のライフスタイル!

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着物衿のコート 2枚目 … 母の古い 古い大島のリメイク

2010-04-23 | 着物
大島紬のリメイク 衿肩布

亡くなった母の洗い張りした大島紬 … 20年ほど前に 今の母から

「二部式の着物にでも仕立て直したら」と渡されたものです。

当時 胴裏や裾回しを準備する余裕がないまま 今日まできてしまいました。

何回か 広げてみて リメイクのイメージを膨らませたものの、

何を作ったらいいのか 思いつかずじまいでした。

去年 やはり母の大島紬を 単衣の着物衿のコートに仕立て直したところ、 とても重宝しているので 

似たようなものを作ることにしました。


ところが、いざ仕立てようと ハ縫いを解きだして 気付いたのは 

単衣の着物だったということです。

ハ縫いの中に 画像のような 衿肩布も入っていました。

そして 袖丈が長いのです。

母が娘時代に 仕立てたか 仕立ててもらったもののような気がします。

随分古いもののようだと思うのは、 今作られている大島紬と違い、糸にあちこち節もあるから。

亡き母は 戦争中は 学徒動員で 名古屋の戦闘機を作る三菱の工場へ行っていました。

その頃 すでに もんぺさえ作る反物も手に入らず、

大島紬の着物をほどいて もんぺに仕立てたことなども聞いていました。


さらに 戦後間もなく 終戦後の混乱に加えて 家庭の事情で 

大変な苦労と貧乏をしたことは 母からも 父からも 何回となく聞いていました。


そういう話から 推測するに この洗い張りした大島は もんぺにならずにすんだ

戦前に仕立てたもののような気がします。

戦後は 手にした給料が 次の日には一円も残らないほどの暮らしが しばらく続いていたと聞いていたからです。

祖母が 掛け買いをしていて 母の給料が出るのを待って 支払っていたとか。

そんな状況が 数年続いていた中で 贅沢品の大島を 単衣で作ることなど 出来なかったはずです。


随分古いもので しかも いいものでもないのに(と 思うのですが) 

母が五十を過ぎても このような大柄の大島の洗い張りを手放さず 持っていた気持ちが

なんとなく わかるのです。

そんなことを 思って手にしていると どうしても もう一度 形にして 着てみたくなりました。

大島のリメイク 単衣のコート

どうにか 衽を縫って 縦の縫い代のくけが 終わりました。

単衣の着物類は 裏の始末に手間ひまがかかります。

こんな 民族衣装 日本以外 世界のどかにあるのだろうかと そんなことを思いながら くけています。

また 母のものを 仕立て直していると ついつい 母との思い出に浸ってしまいます。

そんな気持ちもうれしくて 

他人様からみたら どうしようもないような古いものに 手間ひまかけているこの頃です。

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