歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

蓄積されない

2016年06月23日 | 日記
蓄積されないんです、

全くと言っていい程に。

さてはて困りました。



いくら本を読もうと、

オピニオンリーダーの話を聞こうと、

自分でいろいろ考えようと、

結局自分の中に蓄積されていかないのです。



どれだけ頭を悩ませて至った結論も、

時間が経つとその実感はするりと消えてしまい、

かろうじて手元に残るのはメモ帳に残した文字列だけ。

さてはて困りました。



新しい知識を詰め込むと、その分きちんと忘れていくのです。

もっともインテリと呼ばれる人たちは違うのでしょう。



自分の中に残っていると覚しき言葉たちは、

「なんとなく」という弱々しい糸で繋がっているだけで、

それを直視することは怖くてできません。

私がいい加減だからでしょうか。



私の頭はいつまでたっても「勘違い」に包まれたカラッポのまんま。

そういう意味ではいつまでも初々しくあれる可能性があるのかも。

あ、だから同じことで何度も悩むのか。



人を頭や心だけでなく身体全体で捉えるのであれば、

他のパーツの方が記憶に対して忠実なように思います。

味覚はちょっと自信ないけど、臭覚とか聴覚とか視覚とか触覚とかね。

具体的な出来事は思い出せなくても、「実感」を再生してくれます。

それらは人為的には引き出すことの出来ない記憶だけれど、

同じ体験に遭遇することで体全体がその「実感」に共鳴するのです。

香水の匂いとか、住んでいた町の景色とか。

記憶する時に言葉を介さない分感覚的な記憶が残り、

思い出す時は言葉では表現しにくいかわりにその時の感覚が蘇るという感じ。

何とも言えない感覚、例えば全身の毛穴が広がるようなこそばゆい感覚とか、

訳も分からないまま胸の辺りが締め付けられたりとか。



ものを覚える時に人は反復するけれど、それもやっぱり肉体的行為なわけで、

人の脳というのは思っているよりぽんこつなのかもしれません。



さてはて、自分にいろいろ蓄積されない話、

このままではいつまでたっても確固たる自分はつくれないでしょう。

まぁいいです。

身にならなくてもきっと本は読むし、話は聞くし、考えるんでしょう。

ロスト マイセルフ上等です。



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