歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

2012年11月29日 | 日記
人はよく「暇」というけれど、「暇」というのは案外繊細な問題なのかもしれない。

基本的に「暇」という言葉は、ネガティブな言葉として使われることが多い。
「明日暇?」であったり、
「今暇なんだけどなんかしない?」であったり、
時には「仕事が暇だ。」といった場合もあるだろう。
埋めるべき空白の時間や、価値の低い空間。

「暇」があるから人は人に会いたいと思うし、「暇」があるから人は忙しさを求める。
もしかしたら「暇」を無くすために人は行動するのかもしれない。
このように考えると、あくまでそれ単体は埋めるべき時間であり空間なのだ。

しかし日本語というのは難儀なもので、「お暇をいただきます。」という表現がある。
これは休暇をいただくというような意で、「暇」がポジティブな言葉に早変わり。
この場合、「暇」を価値のある必要不可欠なもの、かけがえのない時間として捉えることができよう。

どちらも「暇」に変わりないが、日常会話でよく飛び交うのは前者の「暇」だ。
後者は休暇や休養というはっきりした意味がある。
曖昧な言葉の方が使い勝手がいい。


ここでひと呼吸。
なんでこんなことを考えるに至ったかというと、誰かが「暇」について熱弁していたからだ。
その誰かは「暇?」と聞かれるのが苦手だ。
その誰かは持て余す時間が無いから「暇だ」と思うことがほとんどない。
だからといって常に何かに忙しくしている訳でもない。
何もしていない時間がとても大切なだけである。

「何もしていない」の定義も曖昧だが、言ってしまえば一人の時間が大事だということだ。
ただぼーっとしているだけかもしれないし、
音楽を聞いているかもしれない。
映画を見ているかもしれないし、
絵を描いているのかもしれない。
ゆったりと流れるそんな時間を「暇」だなんて呼ぶことができるだろうか。

わざわざそんな誰かと話す時間をつくるのは「暇」だからじゃなくて、面白い時間をつくりたいから。
するといろんなことが前向きな行動に見えてきやしないかい。
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