スーパーコンピュータとスーパーカー、どちらも柴田が好きな物で、憧れる物である。柴田の場合、どちらも身の丈程度でしか手に入れられないが、それでもいつかは両方を手に入れようと、コツコツ努力している。
共通しているのは、どちらも速度を第1目的にしている事である。どちらも日常生活では体験できない、異常なまでの速さを実現することを、その使命にしている。日本が誇るスーパーコンピュータである地球シミュレーターでは40TFlopsという計算速度で、1秒間に40兆回の計算を実行してしまう。一方、高速道路の制限速度が100kmの世の中で、スーパーカーは時速300kmを超える速さで走る事が出来る。
ただ、両者には大きな違いがある。それは、コンピュータの計算速度が仮想空間で実現されているのに対して、スーパーカーの走行速度が現実空間で実現していることである。コンピュータの本質が、仮想化、抽象化、モデル化、を基本に構成されているので、この違いは決定的である。
この違いは、速度を実現する原動力と抵抗力のせめぎ合いにも現れている。
コンピュータ: 原動力=プロセッサ ⇔ 抵抗力=冷却装置
スーパーカー: 原動力=エンジン ⇔ 抵抗力=空気抵抗
それで、スーパーカーの空気抵抗に打ち勝つために、流体力学的な滑らかな曲線をまとったボディーが作られ、スーパーカーたる存在を作っている。一方、コンピュータの冷却装置は、単なる大きな鉄の箱を並べるのがせいぜいで、地球シミュレーターでは建物全体が冷却装置みたいになって、それなりにデザインされているが、スーパーカーのようなかっこよさは、残念ながらない。
その大きな違いは、スーパーカーの開発には、デザイナーの存在が中心にあるのに対して、コンピュータの開発には、エンジニアの存在しかないからであろう。あえて強気の発言をすれば、デザインをするのはデザイナーしか出来なくて、エンジニアが出来るのはエンジニアリングである。だから、コンピュータをスーパーカーのように、憧れるかっこ良い存在にするためには、絶対にデザイナーがデザインしないといけない。Appleのコンピュータが、シェアとしては無視されるほどしか無いのに、その存在を確固たる物にしているのは、あくまでそのデザインであり、外形のデザインから展開するソフトウエアや使われかたまでをデザインした存在であるはずである。
スーパーコンピュータのデザイナーがいるとは思えないので、柴田は、世界初のスーパーコンピュータデザイナーになりたいと思う。是非、柴田にそのチャンスを下さい。
共通しているのは、どちらも速度を第1目的にしている事である。どちらも日常生活では体験できない、異常なまでの速さを実現することを、その使命にしている。日本が誇るスーパーコンピュータである地球シミュレーターでは40TFlopsという計算速度で、1秒間に40兆回の計算を実行してしまう。一方、高速道路の制限速度が100kmの世の中で、スーパーカーは時速300kmを超える速さで走る事が出来る。
ただ、両者には大きな違いがある。それは、コンピュータの計算速度が仮想空間で実現されているのに対して、スーパーカーの走行速度が現実空間で実現していることである。コンピュータの本質が、仮想化、抽象化、モデル化、を基本に構成されているので、この違いは決定的である。
この違いは、速度を実現する原動力と抵抗力のせめぎ合いにも現れている。
コンピュータ: 原動力=プロセッサ ⇔ 抵抗力=冷却装置
スーパーカー: 原動力=エンジン ⇔ 抵抗力=空気抵抗
それで、スーパーカーの空気抵抗に打ち勝つために、流体力学的な滑らかな曲線をまとったボディーが作られ、スーパーカーたる存在を作っている。一方、コンピュータの冷却装置は、単なる大きな鉄の箱を並べるのがせいぜいで、地球シミュレーターでは建物全体が冷却装置みたいになって、それなりにデザインされているが、スーパーカーのようなかっこよさは、残念ながらない。
その大きな違いは、スーパーカーの開発には、デザイナーの存在が中心にあるのに対して、コンピュータの開発には、エンジニアの存在しかないからであろう。あえて強気の発言をすれば、デザインをするのはデザイナーしか出来なくて、エンジニアが出来るのはエンジニアリングである。だから、コンピュータをスーパーカーのように、憧れるかっこ良い存在にするためには、絶対にデザイナーがデザインしないといけない。Appleのコンピュータが、シェアとしては無視されるほどしか無いのに、その存在を確固たる物にしているのは、あくまでそのデザインであり、外形のデザインから展開するソフトウエアや使われかたまでをデザインした存在であるはずである。
スーパーコンピュータのデザイナーがいるとは思えないので、柴田は、世界初のスーパーコンピュータデザイナーになりたいと思う。是非、柴田にそのチャンスを下さい。