小野神社
鎮座地 一ノ宮1-18
祭神 天乃下春命(あめのしたはるのみこと)
瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)、他
旧格式 郷社
別当寺 真明寺
例大祭 9月第二日曜
解説
安寧天皇18年武蔵国造、兄武日命が祖神を祀るため創建したという。
戦国時代にさいたま市の大宮氷川神社が一宮とされるまでは武蔵国一宮であった。
宝亀3年(772)の太政官符に引用のある天平勝宝7年(755)の記事に、
武蔵国の中で幣帛を授ける社の中に当社が入っており、
元慶8年(884)には神階を従五位下から正五位上に上げられた。
江戸時代は一ノ宮大明神といわれ、朱印地15石を徳川将軍より賜る。
代々新田氏・太田氏が神主、森田氏が社家を勤めたが現在は日野市の滝瀬氏に代わっている。
府中市にも小野神社があり、
本来そちらにあった神社が多摩川の洪水によって当地に遷ったという説があるが、
こちらには洪水に関する伝承はない。
また、境内より平安時代の布目瓦が出土しており、
元応元年(1319)因幡法橋応円・権律師丞源らによって奉納された隋神像を伝えている事から、
当地では小野神社はもともとこの地にあったという見方が有力である。
鎮座地 一ノ宮1-18
祭神 天乃下春命(あめのしたはるのみこと)
瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)、他
旧格式 郷社
別当寺 真明寺
例大祭 9月第二日曜
解説
安寧天皇18年武蔵国造、兄武日命が祖神を祀るため創建したという。
戦国時代にさいたま市の大宮氷川神社が一宮とされるまでは武蔵国一宮であった。
宝亀3年(772)の太政官符に引用のある天平勝宝7年(755)の記事に、
武蔵国の中で幣帛を授ける社の中に当社が入っており、
元慶8年(884)には神階を従五位下から正五位上に上げられた。
江戸時代は一ノ宮大明神といわれ、朱印地15石を徳川将軍より賜る。
代々新田氏・太田氏が神主、森田氏が社家を勤めたが現在は日野市の滝瀬氏に代わっている。
府中市にも小野神社があり、
本来そちらにあった神社が多摩川の洪水によって当地に遷ったという説があるが、
こちらには洪水に関する伝承はない。
また、境内より平安時代の布目瓦が出土しており、
元応元年(1319)因幡法橋応円・権律師丞源らによって奉納された隋神像を伝えている事から、
当地では小野神社はもともとこの地にあったという見方が有力である。