青渭神社
鎮座地 沢井3-1060
祭神 大国主命(おくにぬしのみこと)
旧格式 郷社
別当寺 宮野氏持ち
例大祭 4月18日前後の日曜
解説
「延喜式・神名帳」に記載のある青渭神社に比定される古社。
惣岳山の山頂に本殿があり麓に拝殿があることから、惣岳大明神ともいわれた。
創建年は不明で、平安時代の武将、源経基や戦国時代の三田氏・北条氏から信仰された。
社名についてはいろいろ伝説があり、
山頂には真名井という霊泉があるため、その別名「青渭の井」からきているという。
また、源経基が平将門を征討する際、
当地に立ち寄り多摩川の流れも見たところ、水色が藍色となっていた。
奇異な事と思いしばらく見ていると、
近くの祠から童女が出てきた。
彼女が言う事には霊神の守護があるので戦いには必ず勝利するとの事であった。
その後将門を討ち取った経基はこの祠を崇拝し、
社名が無いので先の奇瑞により青渭神社と名付けたという。
もっとも平将門の乱は延喜式ができた後の事なので信憑性は薄い。
またかつて当社に「いちこ」という美貌の巫女がいた。
気立てもよくて村の若者の憧れの的であったが、若くして死んでしまった。
あまりに美しかったため彼女は惣岳大明神の化身であろうと言われた。
その後も当社の巫女は美女ばかりであったが、なぜか若死にするという。
青渭神社の狛犬


・奉納年 昭和15年(1940)
・右 阿形 子取り
・左 吽形 玉取り
・記事 紀元2600年記念の奉納とある
鎮座地 沢井3-1060
祭神 大国主命(おくにぬしのみこと)
旧格式 郷社
別当寺 宮野氏持ち
例大祭 4月18日前後の日曜
解説
「延喜式・神名帳」に記載のある青渭神社に比定される古社。
惣岳山の山頂に本殿があり麓に拝殿があることから、惣岳大明神ともいわれた。
創建年は不明で、平安時代の武将、源経基や戦国時代の三田氏・北条氏から信仰された。
社名についてはいろいろ伝説があり、
山頂には真名井という霊泉があるため、その別名「青渭の井」からきているという。
また、源経基が平将門を征討する際、
当地に立ち寄り多摩川の流れも見たところ、水色が藍色となっていた。
奇異な事と思いしばらく見ていると、
近くの祠から童女が出てきた。
彼女が言う事には霊神の守護があるので戦いには必ず勝利するとの事であった。
その後将門を討ち取った経基はこの祠を崇拝し、
社名が無いので先の奇瑞により青渭神社と名付けたという。
もっとも平将門の乱は延喜式ができた後の事なので信憑性は薄い。
またかつて当社に「いちこ」という美貌の巫女がいた。
気立てもよくて村の若者の憧れの的であったが、若くして死んでしまった。
あまりに美しかったため彼女は惣岳大明神の化身であろうと言われた。
その後も当社の巫女は美女ばかりであったが、なぜか若死にするという。
青渭神社の狛犬


・奉納年 昭和15年(1940)
・右 阿形 子取り
・左 吽形 玉取り
・記事 紀元2600年記念の奉納とある
天之宮神社
鎮座地 二俣尾5-1610?
祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 無格社
別当寺 高源寺
例大祭 4月15日
解説
平溝地区の人々によって祀られた祠。
かつて祭神は牛頭天王で、天之社・天の宮・天の堂などといった。
本来なら八坂・出雲などと言った社名になりそうだが、
現在の社名になった理由は不明。
享保2年(1717)当社で雨乞いをした記録がある。
鎮座地 二俣尾5-1610?
祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 無格社
別当寺 高源寺
例大祭 4月15日
解説
平溝地区の人々によって祀られた祠。
かつて祭神は牛頭天王で、天之社・天の宮・天の堂などといった。
本来なら八坂・出雲などと言った社名になりそうだが、
現在の社名になった理由は不明。
享保2年(1717)当社で雨乞いをした記録がある。
霞地区の神社概略
旧霞村に相当する地区で霞丘陵といわれる。
霞村の歴史は古く、寺院では国の重要文化財を有する塩船観音寺や古刹天寧寺、
中世の城跡藤橋城や今井城跡があり、
神社では根ヶ布に「延喜式・神名帳」に記載のある古社に比定される虎柏神社がある。
これにて霞地区は終了!
次回より三田地区の神社を紹介予定。
旧霞村に相当する地区で霞丘陵といわれる。
霞村の歴史は古く、寺院では国の重要文化財を有する塩船観音寺や古刹天寧寺、
中世の城跡藤橋城や今井城跡があり、
神社では根ヶ布に「延喜式・神名帳」に記載のある古社に比定される虎柏神社がある。
これにて霞地区は終了!
次回より三田地区の神社を紹介予定。
八雲神社
鎮座地 藤橋2―571
祭神 建速須佐之男命 (たけはやすさのおのみこと)
大国主命 (おおくにぬしのみこと)
旧格式 村社
別当寺 宝泉寺?
例大祭 9月15日
解説
もと白山権現といい文久4年(1864)の麻布製御戸帳が伝われる。
明治3年(1870)現在の社名に改められた。
なぜ白山が八雲になったのか不明だが、牛頭天王社とも呼ばれていたらしい。
鎮座地 藤橋2―571
祭神 建速須佐之男命 (たけはやすさのおのみこと)
大国主命 (おおくにぬしのみこと)
旧格式 村社
別当寺 宝泉寺?
例大祭 9月15日
解説
もと白山権現といい文久4年(1864)の麻布製御戸帳が伝われる。
明治3年(1870)現在の社名に改められた。
なぜ白山が八雲になったのか不明だが、牛頭天王社とも呼ばれていたらしい。
浮島神社
鎮座地 今井1-110
祭神 応神天皇 (おうじんてんのう)
菅原道真 (すがわらのみちざね)
旧格式 村社
別当寺 千寿院
例大祭 4月3日
解説
祭神のうち菅原道真は七国山天神平より遷されたという。
かつては浮島天満社といった。
文禄3年(1594) 平山小十郎等が再建した棟札が残る。
また、ご神体であった懸仏は、
永正2年(1503)造で市指定有形文化財。
社名のいわれは、霞川が氾濫した際、
社殿が島のように浮いて見えるため浮島と呼ばれるようになったとのこと。
鎮座地 今井1-110
祭神 応神天皇 (おうじんてんのう)
菅原道真 (すがわらのみちざね)
旧格式 村社
別当寺 千寿院
例大祭 4月3日
解説
祭神のうち菅原道真は七国山天神平より遷されたという。
かつては浮島天満社といった。
文禄3年(1594) 平山小十郎等が再建した棟札が残る。
また、ご神体であった懸仏は、
永正2年(1503)造で市指定有形文化財。
社名のいわれは、霞川が氾濫した際、
社殿が島のように浮いて見えるため浮島と呼ばれるようになったとのこと。
常盤樹神社
鎮座地 今寺1-528
祭神 伊邪那美命 (いざなみのみこと) 速玉之男命 (はやたまのおのみこと)
熊野日樟命 (くまのひぐすのみこと) 仁徳天皇 (にんとくてんのう)
猿田彦命 (さるたひこのみこと) 宇賀之御魂命 (うかのみたまのみこと)
大宮比売命 (おおみやひめのみこと) 大山咋命 (おおやまくいのみこと)
菅原道真(すがわらのみちざね)他
旧格式 村社
別当寺 報恩寺・常楽寺
例大祭 4月1日
解説
報恩寺境内に鎮座していた熊野権現・山王権現・稲荷大明神・天満天神、常楽寺境内の若宮八幡宮を合祀して、
明治2年(1869)植竹神社が創建された。
そのため祭神がたいへん多くなっている。
更に翌年、境内に樫の老木がある事から常盤樹神社と改名された。
鎮座地 今寺1-528
祭神 伊邪那美命 (いざなみのみこと) 速玉之男命 (はやたまのおのみこと)
熊野日樟命 (くまのひぐすのみこと) 仁徳天皇 (にんとくてんのう)
猿田彦命 (さるたひこのみこと) 宇賀之御魂命 (うかのみたまのみこと)
大宮比売命 (おおみやひめのみこと) 大山咋命 (おおやまくいのみこと)
菅原道真(すがわらのみちざね)他
旧格式 村社
別当寺 報恩寺・常楽寺
例大祭 4月1日
解説
報恩寺境内に鎮座していた熊野権現・山王権現・稲荷大明神・天満天神、常楽寺境内の若宮八幡宮を合祀して、
明治2年(1869)植竹神社が創建された。
そのため祭神がたいへん多くなっている。
更に翌年、境内に樫の老木がある事から常盤樹神社と改名された。
杣保葛神社
鎮座地 藤橋107
祭神 建速須佐之男命 (たけはやすさのおのみこと)
武甕槌神 (たけみかづちのかみ)
経津主神 (ふつぬしのかみ)
大直日神 (おおながひのかみ)
旧格式 村社
例大祭 4月15日
解説
明治43年(1910) 杣保神社と葛神社の2社を合祀してできた神社。
杣保神社はもと愛宕神社といい、
元亀・天正年間(1570~91)藤橋城主、平山越前守重吉が城内鎮護のために祀ったものという。
江戸時代には徳川将軍家より朱印地10石を賜っていた。
葛神社はもと牛頭天王社といい、
同じく平山氏によって祀られた神社で、
もともとこの地に鎮座していた。
鎮座地 藤橋107
祭神 建速須佐之男命 (たけはやすさのおのみこと)
武甕槌神 (たけみかづちのかみ)
経津主神 (ふつぬしのかみ)
大直日神 (おおながひのかみ)
旧格式 村社
例大祭 4月15日
解説
明治43年(1910) 杣保神社と葛神社の2社を合祀してできた神社。
杣保神社はもと愛宕神社といい、
元亀・天正年間(1570~91)藤橋城主、平山越前守重吉が城内鎮護のために祀ったものという。
江戸時代には徳川将軍家より朱印地10石を賜っていた。
葛神社はもと牛頭天王社といい、
同じく平山氏によって祀られた神社で、
もともとこの地に鎮座していた。
神明神社
鎮座地 塩船220
祭神 天照皇大神 (あまてらすおおみかみ)
豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
旧格式 村社
別当寺 神門院
例大祭 1月21日
解説
塩船村の鎮守。
慶安2年(1649)徳川将軍家より朱印地3石を賜る。
現在の本殿・拝殿・鳥居は明治9年(1877)の再建。
神明神社の狛犬


・奉納年 昭和2年(1927)
・石工 青梅町石工 藤堂音次郎
・願主 霞町大門 須田仙助
・右 阿形
・左 吽形
・記事 青梅で活躍した藤堂音二郎の小型作。
珍しく平面顔ではない。
こちらは銘があるので本物、平面顔が別の作者か?
鎮座地 塩船220
祭神 天照皇大神 (あまてらすおおみかみ)
豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
旧格式 村社
別当寺 神門院
例大祭 1月21日
解説
塩船村の鎮守。
慶安2年(1649)徳川将軍家より朱印地3石を賜る。
現在の本殿・拝殿・鳥居は明治9年(1877)の再建。
神明神社の狛犬


・奉納年 昭和2年(1927)
・石工 青梅町石工 藤堂音次郎
・願主 霞町大門 須田仙助
・右 阿形
・左 吽形
・記事 青梅で活躍した藤堂音二郎の小型作。
珍しく平面顔ではない。
こちらは銘があるので本物、平面顔が別の作者か?
師岡神社
鎮座地 東青梅6-68
祭神 伊邪那美命 (いざなみのみこと)
速玉之男命 (はやたまのおのみこと)
事解之男命 (ことしろわけのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 光明寺
例大祭 9月29日
解説
嘉元年間(1303~05)宝蔵山光明寺開山の際、
光明寺の鎮守として熊野三社権現を勧請。
明治2年(1869)現在の社名に改名された。
師岡神社の御神木

目通り幹周り 5.3m
樹高 12m
樹齢 -
指定 青梅市指定天然記念物
記事 隣接する旧別当寺、光明寺境内より見る。
青梅市内では千ヶ瀬神社の椎に次ぐ巨樹で市指定天然記念物。
かつてはふくろうも営巣していたという。
鎮座地 東青梅6-68
祭神 伊邪那美命 (いざなみのみこと)
速玉之男命 (はやたまのおのみこと)
事解之男命 (ことしろわけのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 光明寺
例大祭 9月29日
解説
嘉元年間(1303~05)宝蔵山光明寺開山の際、
光明寺の鎮守として熊野三社権現を勧請。
明治2年(1869)現在の社名に改名された。
師岡神社の御神木

目通り幹周り 5.3m
樹高 12m
樹齢 -
指定 青梅市指定天然記念物
記事 隣接する旧別当寺、光明寺境内より見る。
青梅市内では千ヶ瀬神社の椎に次ぐ巨樹で市指定天然記念物。
かつてはふくろうも営巣していたという。
御嶽神社
鎮座地 新町2-28
祭神 広國押武金日命 (ひろくにおしたけかねひのみこと)
日本武命 (やまとたけるのみこと)
木花咲耶姫命 (このはなのさくやひめのみこと)
旧格式 村社
別当寺 羽村阿蘇神社宮川氏持ち
例大祭 9月29日
解説
新町村の鎮守。
元和2年(1616)吉野織部助正清が新町村を開墾した際、
大和国金峯山権現を勧請したのが創建という。
その後徳川将軍家より朱印地3石を賜った。
摂社に塩竈神社と新町天神社があり、それぞれ多くの人々に信仰されている。
御嶽神社の狛犬


・石工 青梅町石工 藤堂音次郎 塩野重蔵
・右 阿形 子取り
・左 吽形 玉取り
・記事 奥多摩・青梅・瑞穂に多いタイプ
石工は藤堂音次郎らしい?
新町の富士塚

新町5-22にある。
現在では富士講も無くなり詳細は不明だが、
御嶽神社に合祀される以前は浅間社の祠もあった。
鎮座地 新町2-28
祭神 広國押武金日命 (ひろくにおしたけかねひのみこと)
日本武命 (やまとたけるのみこと)
木花咲耶姫命 (このはなのさくやひめのみこと)
旧格式 村社
別当寺 羽村阿蘇神社宮川氏持ち
例大祭 9月29日
解説
新町村の鎮守。
元和2年(1616)吉野織部助正清が新町村を開墾した際、
大和国金峯山権現を勧請したのが創建という。
その後徳川将軍家より朱印地3石を賜った。
摂社に塩竈神社と新町天神社があり、それぞれ多くの人々に信仰されている。
御嶽神社の狛犬


・石工 青梅町石工 藤堂音次郎 塩野重蔵
・右 阿形 子取り
・左 吽形 玉取り
・記事 奥多摩・青梅・瑞穂に多いタイプ
石工は藤堂音次郎らしい?
新町の富士塚

新町5-22にある。
現在では富士講も無くなり詳細は不明だが、
御嶽神社に合祀される以前は浅間社の祠もあった。
三柱神社
鎮座地 今井1-641
祭神 火産霊命 (ほむすびのみこと)
奥津彦命 (おくつひこのみこと)
奥津姫命 (おくつひめのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 真福寺(廃寺)
例大祭 4月吉日
解説
文明17年(1486)当地の豪族、平山氏によって三宝荒神が祀られ、
以後明治まで「荒神様」と言われていた。
また、文禄2年(1593)当地の町田市之介が火難除けのため現在の祭神を祀った。
寛政元年(1789)には町田嘉右衛門が社殿を造営している。
養蚕が盛んだった頃は蚕神として信仰されていた。
鎮座地 今井1-641
祭神 火産霊命 (ほむすびのみこと)
奥津彦命 (おくつひこのみこと)
奥津姫命 (おくつひめのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 真福寺(廃寺)
例大祭 4月吉日
解説
文明17年(1486)当地の豪族、平山氏によって三宝荒神が祀られ、
以後明治まで「荒神様」と言われていた。
また、文禄2年(1593)当地の町田市之介が火難除けのため現在の祭神を祀った。
寛政元年(1789)には町田嘉右衛門が社殿を造営している。
養蚕が盛んだった頃は蚕神として信仰されていた。
蔵主神社
鎮座地 谷野139
祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと)
旧格式 村社
別当寺 真浄寺
例大祭 4月10日
解説
谷野村の鎮守。
もと蔵主大明神といい、真浄寺の鎮守として創建された。
西谷ッ蔵主山に鎮座していたが、
明治3年(1870)現在地に遷された。
社名は蔵王(ざおう)では無いので注意。
全国に2社しかない珍しい社名とか。
鎮座地 谷野139
祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと)
旧格式 村社
別当寺 真浄寺
例大祭 4月10日
解説
谷野村の鎮守。
もと蔵主大明神といい、真浄寺の鎮守として創建された。
西谷ッ蔵主山に鎮座していたが、
明治3年(1870)現在地に遷された。
社名は蔵王(ざおう)では無いので注意。
全国に2社しかない珍しい社名とか。
虎柏神社 根ヶ布1-313
祭神 大年御祖神 (おおとしおやのかみ)
惶根神 (かしこねのかみ)
建南方命 (たけみなかたのみこと)
旧格式 郷社
別当寺 宮崎氏持ち
例大祭 8月26日~28日
解説
小曾木郷の総社。
「延喜式・神名帳」に記載のある虎柏神社に比定される古社。
創建年については崇神天皇の頃という。
あるいは、天慶3年(940)源経基が諏訪上下大神のご分霊を祀ったともいう。
永正年間(1504~21)勝沼城主、三田氏宗が再建した。
天正18年 (1590)浅野長政が正殿に諏訪神、東相殿に虎柏神、西殿に疫神を祀り、諏訪宮と称した。
江戸時代には徳川将軍家より朱印地3石を賜る。
明治3年 (1870)虎柏神社にふたたび改名し正殿と東相殿の祭神を入れ替えた。
本殿は享保19年(1734)青梅村大柳の張海次郎兵衛、
羽村根岸の宮川善右衛門らによって建てられた三間社切妻造の建築で、
東京都指定有形文化財。
境域は史跡に指定されている。
また、毎年祭礼でその年の新しい神様をお迎えするために深夜におこなわらる「御殿入り神事」は無形文化財に指定されている。
なお、祭礼については伝説があり、当社のご神体は実は蛇であり、
普段は近くの天寧寺にある霞池に棲んでいる。
それが祭礼の夜になると当社にやってくるという。
蛇は水神の化身であるため、祭礼の日には雨が降る事が多いらしい。
祭神 大年御祖神 (おおとしおやのかみ)
惶根神 (かしこねのかみ)
建南方命 (たけみなかたのみこと)
旧格式 郷社
別当寺 宮崎氏持ち
例大祭 8月26日~28日
解説
小曾木郷の総社。
「延喜式・神名帳」に記載のある虎柏神社に比定される古社。
創建年については崇神天皇の頃という。
あるいは、天慶3年(940)源経基が諏訪上下大神のご分霊を祀ったともいう。
永正年間(1504~21)勝沼城主、三田氏宗が再建した。
天正18年 (1590)浅野長政が正殿に諏訪神、東相殿に虎柏神、西殿に疫神を祀り、諏訪宮と称した。
江戸時代には徳川将軍家より朱印地3石を賜る。
明治3年 (1870)虎柏神社にふたたび改名し正殿と東相殿の祭神を入れ替えた。
本殿は享保19年(1734)青梅村大柳の張海次郎兵衛、
羽村根岸の宮川善右衛門らによって建てられた三間社切妻造の建築で、
東京都指定有形文化財。
境域は史跡に指定されている。
また、毎年祭礼でその年の新しい神様をお迎えするために深夜におこなわらる「御殿入り神事」は無形文化財に指定されている。
なお、祭礼については伝説があり、当社のご神体は実は蛇であり、
普段は近くの天寧寺にある霞池に棲んでいる。
それが祭礼の夜になると当社にやってくるという。
蛇は水神の化身であるため、祭礼の日には雨が降る事が多いらしい。
木野下神社
鎮座地 木下1-450
祭神 誉田別天皇 (ほんだわけのすめらみこと)
速玉之男命 (はやたまのおのみこと)
熊野樟日命 (くまのくすひのみこと)
伊奘那岐命 (いざなぎのみこと)
伊奘那美命 (いざなみのみこと)
旧格式 村社
別当寺 村民持ち
例大祭 4月3日
解説
江戸時代には熊野大権現といわれ、
寛文8年(1668)の検地帳では境内は見捨地とされている。
明治3年(1870)に現在の社名に改められた。
伝説によると、八百比丘尼が当地に来て山腹に小祠を祀ったという。
その際、野焼きの難を憂い、社地の左右一町ほどに火に備えるための溝を掘ったという。
鎮座地 木下1-450
祭神 誉田別天皇 (ほんだわけのすめらみこと)
速玉之男命 (はやたまのおのみこと)
熊野樟日命 (くまのくすひのみこと)
伊奘那岐命 (いざなぎのみこと)
伊奘那美命 (いざなみのみこと)
旧格式 村社
別当寺 村民持ち
例大祭 4月3日
解説
江戸時代には熊野大権現といわれ、
寛文8年(1668)の検地帳では境内は見捨地とされている。
明治3年(1870)に現在の社名に改められた。
伝説によると、八百比丘尼が当地に来て山腹に小祠を祀ったという。
その際、野焼きの難を憂い、社地の左右一町ほどに火に備えるための溝を掘ったという。