中村正直の「頑張れプロ野球」

ベテラン野球記者の本音ブログです。

快勝のナゴヤで、再び「野茂」を想う

2008-07-18 22:54:56 | Weblog
 岩瀬が打たれ、藤川が抑えた。蒸し暑いナゴヤの夜。竜虎相打つ戦いは、首位・

阪神が痛快な逆転勝ち。落合中日を遙か彼方に蹴飛ばした。新井がいないことで、

苦心惨憺(さんたん)の毎日だが、それでもこうして勝ちを拾える。負けるときは

完封負けでも、連敗しないのだから大したものじゃないか。

 さて、前回の続きだ。あの野茂がプロ野球界から身を引いた。思えば、彼を最初

に取材したのは、1990年の正月だから、かれこれ18年前か。近鉄担当になり

たてで、8球団競合のスーパールーキーをどうやって「自分のもの」にするか、毎

日考えていた。新人合同自主トレを境に、毎日寮に通い、彼としゃべった。そのほ

とんどはもう忘れたが、とにかく「ハングリーだ」という印象が今も強く残ってい

る。社会人・新日鉄堺時代の貧しさ(月給はウン万円だったと聞いた)が根底にあ

り、ここに人一倍の上昇志向が加わった。野茂を見ていて「野球が好き」「ピッチ

ングが好き」ということはあまり感じなかった。いつも無愛想で、ぶっきらぼう。

だが、時折見せる笑みが、何とも子供ぽく、愛嬌があった。

 いろいろあって、日本からアメリカにその拠点を移した。95年にメジャーデビ

ューをしたのだが、そこでも2カ月間取材をした。そのころは、日本人記者を見る

目が違っていた。「俺を日本から追い出したヤツら」という感覚だったのではない

か。都合のいいときには持ち上げ、悪くなると叩く。我々取材班は、そんな目で野

茂に見つめられていた。近鉄時代にも「選手とマスコミの在り方」を論議したこと

があったが、わかってもらえなかった。今想えば、野茂がメジャーに固執するよう

になったのは、我々が原因だったかもしれない。

 思い出が多すぎる。彼はこっちの存在すら忘れただろうが、こっちは生涯忘れら

れない。いろんな感情がありすぎて、一口には言えないが…。第2の人生、どのよ

うに生きるのだろう。何をやるにせよ、愚直なほぼ真っ直ぐな彼だから、きっと成

功するに違いない。とりあえず、ご苦労様、か。俺なんぞに言われたくないだろう

が、そう言わせてほしい。