岩瀬が打たれ、藤川が抑えた。蒸し暑いナゴヤの夜。竜虎相打つ戦いは、首位・
阪神が痛快な逆転勝ち。落合中日を遙か彼方に蹴飛ばした。新井がいないことで、
苦心惨憺(さんたん)の毎日だが、それでもこうして勝ちを拾える。負けるときは
完封負けでも、連敗しないのだから大したものじゃないか。
さて、前回の続きだ。あの野茂がプロ野球界から身を引いた。思えば、彼を最初
に取材したのは、1990年の正月だから、かれこれ18年前か。近鉄担当になり
たてで、8球団競合のスーパールーキーをどうやって「自分のもの」にするか、毎
日考えていた。新人合同自主トレを境に、毎日寮に通い、彼としゃべった。そのほ
とんどはもう忘れたが、とにかく「ハングリーだ」という印象が今も強く残ってい
る。社会人・新日鉄堺時代の貧しさ(月給はウン万円だったと聞いた)が根底にあ
り、ここに人一倍の上昇志向が加わった。野茂を見ていて「野球が好き」「ピッチ
ングが好き」ということはあまり感じなかった。いつも無愛想で、ぶっきらぼう。
だが、時折見せる笑みが、何とも子供ぽく、愛嬌があった。
いろいろあって、日本からアメリカにその拠点を移した。95年にメジャーデビ
ューをしたのだが、そこでも2カ月間取材をした。そのころは、日本人記者を見る
目が違っていた。「俺を日本から追い出したヤツら」という感覚だったのではない
か。都合のいいときには持ち上げ、悪くなると叩く。我々取材班は、そんな目で野
茂に見つめられていた。近鉄時代にも「選手とマスコミの在り方」を論議したこと
があったが、わかってもらえなかった。今想えば、野茂がメジャーに固執するよう
になったのは、我々が原因だったかもしれない。
思い出が多すぎる。彼はこっちの存在すら忘れただろうが、こっちは生涯忘れら
れない。いろんな感情がありすぎて、一口には言えないが…。第2の人生、どのよ
うに生きるのだろう。何をやるにせよ、愚直なほぼ真っ直ぐな彼だから、きっと成
功するに違いない。とりあえず、ご苦労様、か。俺なんぞに言われたくないだろう
が、そう言わせてほしい。
阪神が痛快な逆転勝ち。落合中日を遙か彼方に蹴飛ばした。新井がいないことで、
苦心惨憺(さんたん)の毎日だが、それでもこうして勝ちを拾える。負けるときは
完封負けでも、連敗しないのだから大したものじゃないか。
さて、前回の続きだ。あの野茂がプロ野球界から身を引いた。思えば、彼を最初
に取材したのは、1990年の正月だから、かれこれ18年前か。近鉄担当になり
たてで、8球団競合のスーパールーキーをどうやって「自分のもの」にするか、毎
日考えていた。新人合同自主トレを境に、毎日寮に通い、彼としゃべった。そのほ
とんどはもう忘れたが、とにかく「ハングリーだ」という印象が今も強く残ってい
る。社会人・新日鉄堺時代の貧しさ(月給はウン万円だったと聞いた)が根底にあ
り、ここに人一倍の上昇志向が加わった。野茂を見ていて「野球が好き」「ピッチ
ングが好き」ということはあまり感じなかった。いつも無愛想で、ぶっきらぼう。
だが、時折見せる笑みが、何とも子供ぽく、愛嬌があった。
いろいろあって、日本からアメリカにその拠点を移した。95年にメジャーデビ
ューをしたのだが、そこでも2カ月間取材をした。そのころは、日本人記者を見る
目が違っていた。「俺を日本から追い出したヤツら」という感覚だったのではない
か。都合のいいときには持ち上げ、悪くなると叩く。我々取材班は、そんな目で野
茂に見つめられていた。近鉄時代にも「選手とマスコミの在り方」を論議したこと
があったが、わかってもらえなかった。今想えば、野茂がメジャーに固執するよう
になったのは、我々が原因だったかもしれない。
思い出が多すぎる。彼はこっちの存在すら忘れただろうが、こっちは生涯忘れら
れない。いろんな感情がありすぎて、一口には言えないが…。第2の人生、どのよ
うに生きるのだろう。何をやるにせよ、愚直なほぼ真っ直ぐな彼だから、きっと成
功するに違いない。とりあえず、ご苦労様、か。俺なんぞに言われたくないだろう
が、そう言わせてほしい。