中村正直の「頑張れプロ野球」

ベテラン野球記者の本音ブログです。

「江夏の21球」余話

2008-07-07 13:24:28 | Weblog
 7日付けのデイリースポーツ・22面に「蘇る記憶」と題した特集記事が掲載さ

れている。まだ未読の方は、自分で買うか、喫茶店に入って見るか、どちらかを選

択して読んでみて下さい。筆者は私で、1979年・近鉄対広島の日本シリーズ第

7戦の模様を書いています。球史に名高い「江夏の21球」であります。

 わざわざこのブログで書く必要がないのだが、一部削除されている箇所があった

ので「補足」をしたい。元近鉄のコーチ、そして管理部長をされていた藤瀬史朗氏

(現 学校法人浪商学園 強化センター・センター部長)の回顧の部分。大阪体育

大学に藤瀬さんを訪ね、いろいろ当時の話を聞いたのであるが、紙面の都合で割愛

となってしまった。藤瀬さん、えらいすんません。

 藤瀬さんと言えば、あの試合のキーマンの1人だった方。九回裏、先頭・羽田が

中前打で出塁し、その代走として一塁ベースに立った。その後、盗塁(実際はヒッ

トエンドラン)を決め、捕手の悪送球で三塁まで進み、最後のあのスクイズ失敗で

本塁憤死する。「江夏の21球」には欠かせないバイプレーヤーだったのだ。その

藤瀬さんは、当時をこう言って振り返っていた。

 「もう何十回も同じ話をしてきたが、そうやって思い出してもらえるだけで、あ

の場面に関われてよかったと思いますね。我々は負けた側だけど“江夏の21球”

でいいと思います。実際、近鉄が勝っていたら、伝説にもなってないでしょう」

 今はプロ野球の世界から身を引き、母校・大体大の学生を指導する仕事に就いて

いる。「プロ野球はあまり見ないですね」と笑ったが、あの日は出来事は鮮烈にま

だ脳裏に刻まれているようだった。「あんな緊迫の場面で代走を告げられ“行くん

かいな”という思いだった(苦笑)。日本シリーズを決しようかという局面だか

ら、本当に緊張していた。マウンドにはあの江夏さんだし…。大きく見えたよね。

目で、背中で自分の動きを制されている感じがした」。藤瀬さんの話を聞くうちに

何だか時間がタイムスリップした感覚になったから不思議だ。。気が付けば、1時

間半が経っていた。

 本紙でも締めに書いたが、あの至高の野球ドラマは今なお燦然と球史に輝いてい

る。関係者に話を聞くたびに、知らなかった逸話が飛びだし、こちらの胸を熱くさ

せてくれる。阪神戦のない日、これを読んでいる方も、かつての伝説に浸ってみれ

ばどうだろうか。