不登校が輝く日

子供2人中学時不登校でした。

byウパリン

思わぬ再会

2016-04-29 18:02:31 | 日記
 美容院に行ってきました~

 気分転換

 子ども達も幼稚園からずっとお世話になっている近所の美容院。

 お店に入っていったら、懐かしい顔が目に入り、思わず「アッ!」と声が出た。

 長男の幼稚園から中学までの同級生で

 不登校の時も学校に行けてた時もいつも迎えに来てくれた友達が!

 パーマをかけてもらっていた

 この春から遠くの大学に行っている彼

 GWで実家に帰ってきてるんだって。

 出てくる前、長男が家で暇そうにゴロゴロしていたので

 「今、美容院に□□ちゃんがいるよー!」

 と電話したら、すぐに飛んできた。


 「おお-!」

 と二人で手を振り合い

 「久しぶりだな~」

 彼はパーマをかけられながら、

 長男は空いている隣の椅子に座って 会話しだす。

 小さい頃から親分肌で面倒見がよかった彼。

 顔は中学生の時と変わっていない。

 あの頃は本当にお世話になったよ。

 彼が迎えに来ても玄関の外へ出られず

 親子共々苦しかった日々を思い出す。

 今こうして、一緒に笑いながら話せているなんて

 何て素敵なんでしょう

 

 彼の髪型が仕上がるまで長男は店で待っていて

 その後も店でしばらく話し込んでいた。

 その美容院のお嬢さんも同じ幼稚園から中学校までの同級生で

 美容師夫妻は事情を知っているので「会えてよかったね~~」と、とても喜んでくれた。


 実は次男も今日美容院の予約を取っていたのだけど

 眠くて起きられずキャンセル(午後2時の予約なのに・・)

 お店の人には風邪を引いたと言い訳しておいた



 次男は私立に行っているので、長男みたいに近所の友達が呼びに来てくれることはない。

 私は近所の目を気にしなくていいので気楽なのだが

 やっぱり朝呼びに来てくれる友達、いるといいよね~





 

登校刺激

2016-04-27 20:47:11 | 日記
 専門家からみたら適切じゃないかも知れないが

 ここのところ登校刺激している。



 昼夜逆転が治っていたのに、また昼夜逆転。

 夜中に私を起こしに来て

 週1回 保健室しか行かないという。

 しかも、その代わりゲームで課金させろというので

 いい加減腹が立ってきた。


 夜中にごちゃごちゃ言ってきたので、こっちは眠くて理性が働かず

 「学校は行かなきゃ駄目」

 「学校へ行けないのを人のせいにするな」

 「今の学校が嫌なら転校しなさい」

 「いつまでも逃げてちゃだめ」

 などNGワードをたくさん言った。

  次男が「無理矢理学校へ行かせるなら物を壊す」と言うので

 「それなら家から追い出す」と言ってしまった。

 次男「勝手に子ども作っておいて無責任だ」

 私「あんたはわがままだ」

 と朝まで続き、寝不足で仕事へ。

 次男は朝から眠りにつき夕方まで眠る。

 

 4ヶ月待ったけれど、次男は何も変わっていない(ように見える)

 不登校を受け入れて見守っていたけれど、それだけでは何も変わらない。

 自分から動こうとなんてしない。


 マニュアルどおりに

 不登校なんて大した問題じゃないよって顔して

 学校へ行けなくても大事な子なんだよって言い続けてきたけれど

 次男は本当にこのまま学校へ行かなくていいとでも思っているのか

 まだエネルギーが貯まっていないのか?

 じゃあいつまで待ったら貯まるのか?

 待ったら自分から学校へ行くようになんてなるのか?


 長男が不登校だったときは休んでいても本当に辛そうだったが

 次男は辛そうに見えない。

 長男は悲観的で次男は楽天的という性格の違いもあるし

 親の受け入れがいいせいだと思うが

 不登校生活を満喫しているように見えなくもない。
 


 長期間休んでいたので学校へ行くのはとても勇気がいるだろう。

 でも、一歩踏み出さないと

 このままではいけないでしょ!!


 朝、キッチンへ行くとシンクにまたカップ麺の中身が空けられていた。

 保健室に週1回と決めただけでも大きな進歩なんだと

 英断を褒めてあげなきゃと

 反省、、、、



目からウロコ

2016-04-25 22:11:21 | 日記
 長男の時に不登校関連の本はアマゾンで検索してたくさん読んだけれど

 5年経った今、アマゾンで検索すると新しい本がたくさん出ているので

 3冊ピックアップして買ってみました。

 一番よかったのは 不登校から抜け出すたった1つの方法 菜花俊 著

 読み終えたときには優しく前向きな気持ちになっている、、そんな本です。


 この本の最終章にはこう書いてあります。

 「親が子供のためを思ってすることの99%は、子どものためになりません。

  親が自分のためにすることの99%が子どものためになるのです」

 ちょっと、目からウロコでした。

 まず、お母さんが元気になること!

 
 そうなんですねー

 長年不登校で悩まれているお母さんにぜひお勧めしたいことは、子どもを置いて海外旅行へ行くことだそうです。

 なるほどねー


 うちはまだ数ヶ月なので、海外旅行とはいかず、コンサートのチケットを申し込みました!

 なんか、元気出るー
 


 ちなみに他の2冊は、5年前に読んだ本とそれほど変わらず、普通でした。

 
 今日の次男は不機嫌です。

 ま、いつかはなんとかなるさ、、、




 

落胆

2016-04-24 09:31:27 | 日記
 今日は電車でおじいさんとおばあさんの家に遊びに行くと約束していた次男

 昨日の夜までは本人も行く気でいたと思うのだが

 朝になると起きれず。

 「おじいさんが楽しみに待ってるよ!」と声をかけても、

 首を横に振って布団をかぶってしまう。

 
 昨日の夜は明るくて、居間で一緒にテレビを観て会話もはずんで非常にいい感じで

 夜も12時過ぎには寝たのに

 残念。。。

 

 学校と関係ないところなら大丈夫かと思ったけれど
 
 いきなり電車に乗ることはハードル高かったようだ。

 

 
 約束が果たせなかったことで、一番落胆しているのは本人だと思うので

 今日はフォローに回らないと

 
 まず外に出ることができなければ、学校には行けないので

 登校刺激はまだ早いのかな


 ここは焦らず

 ゆっくり、ゆっくり、、、

 




 

褒める

2016-04-22 20:59:12 | 日記
 今日は一日仕事が休みだった。

 家で1日中ゲームばかりしている次男がふがいなく

 ボルダリングの体験行ってみようよ~ とか

 サイクリングしようよ~ とか

 車でどっかに出かけようよ~ とか言ってみたけれど

 首を横に振るのみ。


 教科書に名前書こうよ~

 カウンセリング受けに行こうよ~

 お兄ちゃんの元家庭教師のお家に遊びに行こうよ~

 エアロバイクやりなよ~

 庭に出てラジオ体操しようよ~

 母さんとプロレスごっこしようよ~

 etc.

 
 全部拒否。


 

 

 夕方に担任から電話。

 電話には出られる次男。

 担任が家庭訪問したいと言ってくださるのに、拒否。


 
 今日はチクチク登校刺激してしまった。

 だめだねえ。。。

 仕事に行っていた方が自分の精神状態はよい。

 家に一日いるとつい次男に色々言いたくなってくる。

  

 拒否しまくられたが

 日曜日におじいさんとおばあさんの家に遊び行くのだけは承諾してくれた。

 おじいさんとおばあさんは不登校のこと知らないからいいのかな。

 
 「いい子だね-。おじいさんとおばあさん喜ぶよ」

 と、取りあえず褒めておいたが

 「いい子なんて思ってないくせに」

 「そんなことないよ、いい子だよ」
 
 
 不登校中は子供をよく褒めろと言われるが、なかなか褒めることが見つからない。

 
 「お風呂毎日入るから偉いね」
 
 「昼夜逆転が治って偉いね」
 
 「あんたはお兄ちゃんみたいに『死にたい』って言わないから偉いね」・・・
 
  最後の行は、本当に心からそう思う。

 

 

 

長期戦

2016-04-21 05:31:37 | 日記
 2年生になって1週間半経ったら学校へ行くと言っていた次男。

 さて、1週間半経ちました。

 次男がやったこと。

 食卓のいすを無言で倒す。

 私が元に戻すとまた無言で倒す。

 冷蔵庫のペットボトルを出して床に投げつける。

 私が冷蔵庫に戻すとまた出して更に思い切り投げつける。

 冷蔵庫の牛乳パックを開けて中身をシンクに全部流す。

 ストックしてあるカップ麺のふたを開けて中身をシンクに放り込む。

 お兄ちゃんのためにテーブルに置いてあった1万円札をはさみで切る。



 そして、夜になって「明日学校行かない」と言う。

 ここで、不登校のカウンセラーなら「じゃあ行かなくていいよ、気が済むまで休みなさい」と言うのだろうか。

 でも私は普通の母親なので「なんでっ。行くって約束だったでしょ!」と言う。

 「学校行くの、こわい?」と聞くと黙ってうなずく次男。

 「でも、そんなこと言ってたらずっと行けないでしょ。勇気を出して行ってみようよ。お兄ちゃんだって頑張って学校にもどったんだよ」

 と、ごく普通の母親的発言。

 次男、切れ気味になる。


 夜遅くにお父さんが帰ってきて、明日は無理に学校へ行かさず様子をみようということに。

 今の学校に行けなければお兄ちゃんみたいに転校を・・・と思うが

 次男は転校もイヤという。

 ま、長男も転校を決意するまで長期間かかったので、すぐには無理か。

 どちらにしても本人が行く気にならないと何ともならず。

 時間をかけて様子をみるしかないか。

 でも、時間かけて様子をみたら学校へ行けるようになるのかも分からず。

 
 今のところ、カウンセリングも家庭教師も拒否している次男。

 まずはここからなのか。


 


 長期戦突入。。。



 



 

登校準備・・

2016-04-16 21:58:50 | 日記
 始業式から1週間経った。

 始業式から1週間半経ったら学校へ行くと約束していた次男。

 「来週学校行く?」と聞いたら

 「がんばる」と。

 「ほんと?」

 「でも、保健室な」

 「いつから行く?」

 「まだ決めてない」

 しかし、昼間寝てばかりいる。

 生活リズムは狂ったまま。これで本当に行けるのか?



 昨日の夕方、担任の先生に電話してみたら、部活の指導中とのことで、6時半頃に折り返し電話がかかってきた。

「この前みたいに息子に電話で話しかけてもらえませんか」とお願いすると

 「話したいです!話したいです!」と先生。

 しかし、次男寝ていて電話に出れず。

 今日の夕方に先生がかけ直してくれて、次男は電話口に出て10分くらい話していた。

 

 明るくて気さくな若い女性教師なので話しやすいようだ。

 中1の時の担任のことは嫌がっていたので、担任を替えてもらえてよかった。


 

 同じクラスになりたくない子がいたら考慮すると、中1の終わりに学年主任から言われていたが

 次男は私に「たくさんいすぎて無理だ」と言っていた。

 それでもダメ元で名前を挙げるように言ったが、全然聞き入れなかった。

 そうこうするうちに春休みに入ってしまったので、

 名前を挙げられないなら名簿にチェックするようにと

 学年の名簿のコピーを渡しておいた。

 しばらくそのまま放置してあったが、

 「もうギリギリだから、今日中にチェックしておいて!」

 と言い残して仕事へ行き、帰ると名簿には他のクラスにも渡りいっぱい印がついていた。

 仲がいいと思っていた子達にチェックがついていたのはちょっとショックだった。


 すぐに学校へ出しに行くと、もう次のクラス編成のたたき台はできてしまったとのことだった。

 しかし、「できるだけ希望に添うように考慮する」と、学年主任の有難いお言葉。

 チェックした子達の数が多かったので、数人は同じクラスになってしまったようだが、

 だいたいの望みはかなえられたと思う。

 申し訳ないが担任も替えて欲しいとお願いしておいたら、その通りにしてくれた。

 本当に有難い。

 ここまでしてもらったんだから、もう行くしかないでしょ!!

 と思うのだが、次男はどう思っているやら。

 2年生の教科書にはまだ記名もしていない・・・


 来週、もし行けなくても落胆しないようにしよう。

 

   * * *



 今日は花の苗を買って庭のプランターに植えた。


 そして熊本地震被害者緊急支援に少しばかりのふるさと納税。

 大学に入ったばかりで震災に遭って亡くなった学生さん。

 親御さんの気持ちを考えるとやり切れない。

 ご冥福をお祈りします。



 

子供のキモチ

2016-04-11 20:57:29 | 日記
 春休みに入る前のこと、恐る恐る「2年生からは行くよね」と次男に言ってみたら

 「2年生になって1週間半くらい経ってから行く」と。

 母「1週間半~?なんで? 行くんなら最初から行った方がいいんじゃないの?」

 次男「始業式からは嫌だ。そんなキリのいいところから行き始めたら怪しまれる」

 母「は?怪しまれる?何を」

 次男「それくらい理解しろ!怪しまれるだろ!わかるだろう!」と切れ気味。


 母(えーっと、不登校じゃないかと怪しまれるということでしょうか・・・(・o・)

    もう皆にそう思われてるに決まっているのでは・・・・・)

 と思ったけれど、それ以上何も言わず。

 母「でもクラス替わって途中から行くより最初から行った方が行きやすいと思うけどー

   始業式から行きなよ-」

 次男「いやだ。始業式からは絶対行かん」

 母「んー、じゃあ、終業式から行ったらどう」

 次男 「・・・」

 そこへお兄ちゃんが出てきて

 兄「終業式から行った方がいいぞ。その方が絶対行きやすいぞ。終業式から行けよ!」

 母「経験者のお兄ちゃんがそう言ってるんだよ」

 お父さんも出てきて

 父「何、終業式から行くのか?」

 次男「う・・・」

 そして終業式に行くことになってしまった次男。

 逃げられないと思ったのか、制服を着てお父さんの車で学校の近くまで送ってもらい、自分で歩いて門をくぐって行った。

 しかし、教室には入らず、保健室へ直行したそうだ。

 そして終業式にも出ず、皆がホームルームやってる間に早退。

 帰ってから自分の部屋に直行し、制服のシャツを家庭科の裁ち切りばさみで切り刻んでいた(;_;)


 ごめんよ、、、そんなに嫌だったんだね、、、


 春休み中は穏やかに過ごしていたが、始業式の前夜、墨汁を手に持って、「無理矢理行かせるなら今度は制服に墨汁かける」と。

 母「わかった、わかった、行かなくていいから・・・(T_T)」

 

 始業式の日の夕方、学校へ出向いて新しい担任と学年主任と面談。

 クラス名簿と大量の教科書をもらって帰る。

 母「新しい担任の先生、△先生(若い女の先生)だった」

 次男「・・・」無言


 そして、今夜その△先生から電話あり

 先生「係決めをしないといけないんですけど、次男君のやりたい係とかやりたくない係とかの希望があれば聞きたいのですが」

 母「ちょ、ちょっと待ってください」

 母「△先生から電話だよ、出る?」(どうせ出ないだろう)と思いながら一応聞いてみたら、なんと「出る」という。

 そして、次男、電話口で先生と笑いながら普通に話している!(@_@)

 次男「係ですか?基本何でもいいです。あっ、大勢でやる係がいいです。え?得意教科ですか?英語くらいですかねえ」


 え?え?この前学年主任の先生(おじさん)が家庭訪問してくれたときは、部屋から出ようともしなかったのに・・・マジで?何この差は

 


 親としては、『始業式から行けなかったら途中からなんて敷居が高くなって益々行けないじゃん!』と思うのだが

 子供の感覚は違うのか?

 なぜか「1週間半後」、約十日後ってことらしい。

 本当に行くんだろうか。行くと決めても行けないかも知れない。

 無理強いは禁物。

 子供のキモチを尊重しなきゃね。

 親からすると全く理解不能な子供のキモチではあるが(´д`)

 

始業式行けず

2016-04-08 09:04:10 | 日記
 新学年

 始業式は行けず。

 泣ける

 朝から泣ける。

 仕事が休みなので、朝から泣いている。

 次男は夜ずっと起きていて、朝方眠った。

 完璧に昼夜逆転。


 自分の周りのcase report

  知り合いのお子さん、「中1の3学期から突然学校へ行けなくなり、中2からすんなり行けた」2例

 そんな話を聞いて、うちも中2でクラス変わったら行けるだろうと、軽く考えていたが

 甘かった・・・・かな


 夕方に新しい担任に会いに学校へ行ってみようよと声をかけたが

 首を横に振るのみ

 まだ登校刺激しちゃいけないのか???

 わからない。


 春休み中、学校の話題を出さず、勉強もまったくさせずにいたら

 精神状態は落ち着いていて、笑顔で会話ができていた。

 小学校時代の友達とも遊びにいけた。

 (しかし、後から聞いたら、無理に楽しいふりをして苦痛だったと)

 自分から美容院の予約をして欲しいと言い、一人で近所の美容院に行って来ることができたし

 歯医者にも行けたし

 そろそろエネルギーが貯まったかなと思っていたが

 何も変わっていない???

 
 どうも、教室に入るのがトラウマらしい。

 克服するには思い切って学校へ行ってみるしかないのでは?


 途方に暮れる春


 いつまでも泣いていても仕方がない。

 しかし、泣けるものは仕方がない。




 

学校は行かなくていい?

2016-04-07 19:43:38 | 日記
 「学校なんか行かなくていい」

 ひとり先生は長男に言った。

 私は黙って聞いていたけれど、心の中では

 (いやいや、学校は行かなきゃいけないよ)

 と思ったのだった。


 『学校なんか行かなくてもいいよと言って、ゆっくり休ませれば、エネルギーが貯まって子供は学校へ行けるようになる』

 と、ある方からアドバイスされ、本にもそのようなことが書いてあったが

 自分の口から「学校なんか行かなくていい」とは言えなかった。

 学校の先生も立場上そんなことは言えないという。

 だから、親でも教師でもない第3者から言ってもらえたのはよかったのかも知れない。

 しかし、長男自身が「学校は行かないといけないもの」と思っていて

 出会ったばかりのオジサンからいきなりそう言われても、そうとは思えなかったに違いない。

 しかし、長男はそういう考えもあるのかと、少しは心が楽になったのかも知れない。


 私はとにかく学校へ行って欲しかった

 おそらく毎日長男の前でそういうオーラを出していた。

 長男よ、辛かっただろうね、ごめんよ。。。



 毎日毎日、長男が見ていないところで泣いていた。

 不登校に入ったばかりの頃は、長男の友人たちが毎朝迎えに来てくれた。

 「ごめんねー、今日も行けない」

 「毎日ありがとねー、今日も行けないんだ-」

 友達は気まずそうに頭を下げて去って行く。その後は必ず泣けた。

 そしてある日こう言った。

 「ありがとねー、しばらく行けそうにないから、もう呼びに来なくていいからね-。

  また行けそうになったらよろしくねー。ほんとにありがとー」

 友達が去った後、しばらく泣いた。

 学校なんてみんな普通に行けるのに、どうしてうちの子は行けないんだろう。。。
 
 制服を着た中学生を見かけるたびに悲しくなった。そして自然に涙が出ていた。

 
 あの頃、次男は小学校低学年。たまには「兄ちゃんばっかり休んでずるい!オレも休む」と駄々をこねたが

 いつも元気印で明るくて、次男がいたおかげで暗い気持ちがどれだけ癒やされたことか。

 その次男が今は不登校に・・・。

 今は長男が私を気遣ってアドバイスしてくれる。

 しかし、長男のアドバイスはこうである。

 「学校なんか無理矢理行かせればいいんだよ」


 すっかり自分が不登校だったときの気持ちなど忘れているようなのだ。

 お兄ちゃんのアドバイスはあまりあてにならない。

 

 学校は行かなくていいのだろうか

 

 行けたら行った方がいい

 でもそこまで無理して行くこともない

 無理そうだったら、まだエネルギーが貯まっていないんだ

 だから貯まるまで待とうよ・・・


 中2になってしまったよ。

 新学期から行かなかったら、2年生の途中からなんて行きにくいよね・・・

 是が非でも学校へ行って欲しいのが親としての本音

 


 *** 型破りな家庭教師ひとり先生の話の続きはまた今度・・・


家庭教師の思い出①

2016-04-06 00:09:28 | 日記
 長男が2回目の不登校になってしばらく経ち

 勉強面が不安になり、家庭教師をつけようと考えた。

 知り合いの人に相談すると「家庭教師と個人塾をやっている人で、よい人がいる」と紹介され、

 早速来てもらうことになった。


 その人は家にやってくると、いきなり息子の部屋に入っていき

 「二人で話させてください」と私は部屋から追い出された。

 何を話しているのか、2時間くらい部屋から出てこず、

 出てきた彼は「お母さん、ちょっと息子さんをお借りします」と言った。

 「え?」

 「ちゃんと送り返しますから」

 強引に息子が連れて行かれた先は、車で30分のところにある、彼の自宅兼個人塾だった。

 知り合いの紹介とは言え、初対面でいきなり息子を連れて行かれ、

 (人さらいだったらどうしよう)と、帰ってくるまで半ば真剣に心配した。

 どうやらその日は塾の生徒が来る日だったらしく、息子は同じ世代の見知らぬ塾の生徒達と2時間一緒に過ごし

 塾が終わってから無事に我が家へ送り届けてもらったのだった。


 この派手な登場をした人物は、劇団ひとりと大泉洋を足して2で割ったような風貌としゃべり方をしていた。

 ここからこの人物を『ひとり先生』と呼ぶことにしよう。

 
 ひとり先生は全国でも名だたる有名私立進学校のご出身ということだった。

 その進学校でおちこぼれて(自称)三流大学しか入れず

 資格を持つ職業婦人と結婚し、子供ができたときに妻の収入の方が多かったため

 自分があっさり会社を辞めて専業主夫になったそうだ。

 そして凄いことに、子供を背中におんぶしながら自分の家を手作りしたというのだ。

 まるで嘘のような話だったが、確かにその自宅は手作り感があり、「嘘のような本当の話」のようであった。

 
 
 「お母さん、この子に今必要なのは勉強じゃないです!」


 息子の勉強をみてやって欲しいと言う私に、ひとり先生は言った。

 ひとり先生はその後も容赦なく私を批判したので、その後私との関係はだんだんギクシャクしていったのであった。

 そしてそれとは裏腹に、彼は見事に息子の信頼を勝ち得て行ったのだった。

 
 ひとり先生の家には薪で火をおこす暖炉があった。

 息子はひとり先生の家に行くと、まず薪割りをやらされた。

 もちろん薪割りなんて初めての体験で、初めはうまくできなかったがだんだん慣れて上手になったそうだ。


 ある日曜日、ひとり先生は塾の生徒達を引き連れて自転車で1時間かけて突然我が家へやってきた。

 そしてまた「○○君を借ります。自転車ありますよね。」と言って、

 息子を自転車に乗せて、また1時間かけて生徒達を引き連れて自宅兼塾へ戻っていった。

 不登校でほとんど外出もしていない息子だったので、体力もないはずだった。
 
 本当に心配したのだが、無事に塾についたそうだ。

 ひとり先生にはハラハラさせられっぱなしだった。

 「帰りはお母さん迎えに来てください」

 と言われ、夜、車で迎えに行った。

 「お母さん、まあ中へどうぞ」

 手作り感溢れる建物は仕切りがなく、玄関を入ってすぐが暖炉のある居間兼学習室だった。

 他の生徒達は皆帰っていて、暖炉の前には息子とひとり先生と2匹の猫がいた。

 ひとり先生は、パチパチと火の粉を放ちながら燃える暖炉の前で

 中学生の時に自分も不登校だったことや、リストカットをした経験などを息子に向かって語り出した。

 暗い照明の中で暖炉の火がひとり先生を照らし、まるで映画の1シーンのような幻想的な演出となっていた。

 そしてひとり先生は大泉洋のような口調でこう言い放った。

 「学校なんか行かなくっていいんだよ」

 
 

ボトムを知ること

2016-04-02 14:20:27 | 日記
 先月、長男の高校卒業式でのPTA会長の挨拶でこんなお話があった。



    自分の尊敬する経営者は新規採用の面接の時、「自分のボトムはどこか」と聞くらしい。

    「どうして面接でそんなことを聞くのですが?」と聞いたら

    「面接の時に目標や夢を聞けば誰でも答えられる。しかし、自分が最低でどこまで耐えられるか答えられる人は少ない。

    しかし、本当に強い人というのは自分のボトムを知っている人間だ。そういう人は簡単に挫折したりしない」

     ということだった。

     実は、本校の卒業生でもある自分の同窓生が、数年前に自殺をしていたことがわかった。

     どんな辛く苦しいことがあったかわからないけれど、、

     その経営者が言うように、自分のボトムを知っていれば彼は自殺をすることはなかったかも知れない。

     卒業式でこんな話は不謹慎かも知れないけれど、君たちもこれからの人生色々なことがあるだろうけれど

     ぜひ、自分のボトムを知って欲しい。



 卒業生の未来を案ずる、気持ちのこもった、ありがたい祝辞だと思った。

 長男の心にも響いたようで、その後長男はこんなことを言っていた。

  「俺は自分のボトムを知っている。俺、かなり低いところまで耐えられるよ。

   どんな状況に追い込まれても、生きてさえいれば人生何とかなるって、わかっちゃったもん」

  「そうでしょ。お母さんが以前言ったとおりでしょ」

  「えっ、お母さんそんなこと言ったっけ?」

  「中学の時、お母さんに『死にたい死にたい』ってメールしてきたとき、お母さんがそうやって返事したでしょ。忘れたの?」

  「死にたいってメールしたのは覚えているけど、、、、、、。なんかごめんね。俺すごく迷惑かけたね」

  「いいよいいよ。あの時があって今強くなれたんなら」

  「俺、強くなったよね」

  「うん、強くなった」


 どうやら私の言葉は当時の息子の心には響かなかったようだ。
 
 けれど、『生きてさえいれば人生何とかなる』

 その言葉、この先も肝に銘じて忘れないように頼みますよ!


『死ね』と『死にたい』

2016-04-02 06:05:11 | 日記
過激なタイトルですが悪しからず。


  先日、次男が「死ね-、死ねー」と言っていたので

 「誰のこと?」と聞いたら

 「全て」と答えた。




 長男が不登校だったときは「死にたい」とよく言っていた。

 仕事中に長男から「死にたい死にたい死にたい死にたい・・・・」と100回くらい繰り返したメールをもらったことがある。

 ----勘弁してくれ、、、と思った。

 「今は死にたいと思うかも知れないけれど、じっと耐えればそのうち死にたくなくなるから、変な気を起こしちゃだめ」

 と返信すると

 「そんなの嘘だ」

 と返ってきた。

 「とにかく生きていなさい。生きていればそのうち辛くなくなる」

 「そんなの嘘だ。信じられん」

 そんなやりとりを繰り返した。



長男が不登校中、「死にたい」と何百回言われただろう。

 「死にたい」と言われるたびに、ドラクエのゲームにたとえるならば、ダメージを受けて自分のHPが少しずつ減っていくように感じた。

 不登校を診てくれるという小児精神科に電話をしたら3ヶ月待ちだったので、普通の精神科クリニックに連れて行った。

 精神科では「うつ病」と診断され、でもこんな若さで抗うつ剤を飲ませることはお勧めできないと言われた。

 認知行動療法がよいと言われてカウンセリングに通ったけれど、効果があるようには思えなかった。



 「死にたい」と言われても「そんなこと言っちゃダメ!」と叱ってはいけないらしい。

 吐き出すところがなくなって本当に死んでしまうかも知れないから。

 親には全くそんな素振りは見せず、突然自死する子供もいる。

 それを思えば親に「死にたい」と言えることはいいことなんだろうと思うようにしていた。

 「死にたい」と思う気持ちを何とか変えてあげたいけれど、どうすることもできず

 口に出して気持ちを吐き出すことで少しでも息子が楽になるのならと、黙って聞いていた。

 そのたびに自分のHPは減っていったけれど。。。


 
 長男は「リア充死ね-」ともよく言っていた。    (注;リア充とはリアルが充実している人のこと)

 長男は当時を振り返り、「俺、本当にリア充は死ねばいいと思っていた。最低最悪な人間だったよな。何であんなふうだったんだろう」
 
 と言っている。



 
 不登校児の半数は死にたいと思うらしい。

 長男は「死にたい」と言っていたけれど、次男は「死にたい」とは言わない。

 その代わりに「死ねー」と言う。誰に対してでもなく、世界の全て死ねと

 自分に対してか、他者に対してか 破滅的な気持ちになっていることには変わりない。

 

 今時の子供はボキャブラリーの少なさ故か、すぐに「死にたい」「死ね」と言う。

 簡単に「死」を語るのは、ゲームみたいにリセットして最初からやり直せるとでも思っているのか。

 

 長男の「死にたい」は日常茶飯事過ぎて、オオカミ少年のようになっていた。