不登校が輝く日

子供2人中学時不登校でした。

byウパリン

ボトムを知ること

2016-04-02 14:20:27 | 日記
 先月、長男の高校卒業式でのPTA会長の挨拶でこんなお話があった。



    自分の尊敬する経営者は新規採用の面接の時、「自分のボトムはどこか」と聞くらしい。

    「どうして面接でそんなことを聞くのですが?」と聞いたら

    「面接の時に目標や夢を聞けば誰でも答えられる。しかし、自分が最低でどこまで耐えられるか答えられる人は少ない。

    しかし、本当に強い人というのは自分のボトムを知っている人間だ。そういう人は簡単に挫折したりしない」

     ということだった。

     実は、本校の卒業生でもある自分の同窓生が、数年前に自殺をしていたことがわかった。

     どんな辛く苦しいことがあったかわからないけれど、、

     その経営者が言うように、自分のボトムを知っていれば彼は自殺をすることはなかったかも知れない。

     卒業式でこんな話は不謹慎かも知れないけれど、君たちもこれからの人生色々なことがあるだろうけれど

     ぜひ、自分のボトムを知って欲しい。



 卒業生の未来を案ずる、気持ちのこもった、ありがたい祝辞だと思った。

 長男の心にも響いたようで、その後長男はこんなことを言っていた。

  「俺は自分のボトムを知っている。俺、かなり低いところまで耐えられるよ。

   どんな状況に追い込まれても、生きてさえいれば人生何とかなるって、わかっちゃったもん」

  「そうでしょ。お母さんが以前言ったとおりでしょ」

  「えっ、お母さんそんなこと言ったっけ?」

  「中学の時、お母さんに『死にたい死にたい』ってメールしてきたとき、お母さんがそうやって返事したでしょ。忘れたの?」

  「死にたいってメールしたのは覚えているけど、、、、、、。なんかごめんね。俺すごく迷惑かけたね」

  「いいよいいよ。あの時があって今強くなれたんなら」

  「俺、強くなったよね」

  「うん、強くなった」


 どうやら私の言葉は当時の息子の心には響かなかったようだ。
 
 けれど、『生きてさえいれば人生何とかなる』

 その言葉、この先も肝に銘じて忘れないように頼みますよ!


『死ね』と『死にたい』

2016-04-02 06:05:11 | 日記
過激なタイトルですが悪しからず。


  先日、次男が「死ね-、死ねー」と言っていたので

 「誰のこと?」と聞いたら

 「全て」と答えた。




 長男が不登校だったときは「死にたい」とよく言っていた。

 仕事中に長男から「死にたい死にたい死にたい死にたい・・・・」と100回くらい繰り返したメールをもらったことがある。

 ----勘弁してくれ、、、と思った。

 「今は死にたいと思うかも知れないけれど、じっと耐えればそのうち死にたくなくなるから、変な気を起こしちゃだめ」

 と返信すると

 「そんなの嘘だ」

 と返ってきた。

 「とにかく生きていなさい。生きていればそのうち辛くなくなる」

 「そんなの嘘だ。信じられん」

 そんなやりとりを繰り返した。



長男が不登校中、「死にたい」と何百回言われただろう。

 「死にたい」と言われるたびに、ドラクエのゲームにたとえるならば、ダメージを受けて自分のHPが少しずつ減っていくように感じた。

 不登校を診てくれるという小児精神科に電話をしたら3ヶ月待ちだったので、普通の精神科クリニックに連れて行った。

 精神科では「うつ病」と診断され、でもこんな若さで抗うつ剤を飲ませることはお勧めできないと言われた。

 認知行動療法がよいと言われてカウンセリングに通ったけれど、効果があるようには思えなかった。



 「死にたい」と言われても「そんなこと言っちゃダメ!」と叱ってはいけないらしい。

 吐き出すところがなくなって本当に死んでしまうかも知れないから。

 親には全くそんな素振りは見せず、突然自死する子供もいる。

 それを思えば親に「死にたい」と言えることはいいことなんだろうと思うようにしていた。

 「死にたい」と思う気持ちを何とか変えてあげたいけれど、どうすることもできず

 口に出して気持ちを吐き出すことで少しでも息子が楽になるのならと、黙って聞いていた。

 そのたびに自分のHPは減っていったけれど。。。


 
 長男は「リア充死ね-」ともよく言っていた。    (注;リア充とはリアルが充実している人のこと)

 長男は当時を振り返り、「俺、本当にリア充は死ねばいいと思っていた。最低最悪な人間だったよな。何であんなふうだったんだろう」
 
 と言っている。



 
 不登校児の半数は死にたいと思うらしい。

 長男は「死にたい」と言っていたけれど、次男は「死にたい」とは言わない。

 その代わりに「死ねー」と言う。誰に対してでもなく、世界の全て死ねと

 自分に対してか、他者に対してか 破滅的な気持ちになっていることには変わりない。

 

 今時の子供はボキャブラリーの少なさ故か、すぐに「死にたい」「死ね」と言う。

 簡単に「死」を語るのは、ゲームみたいにリセットして最初からやり直せるとでも思っているのか。

 

 長男の「死にたい」は日常茶飯事過ぎて、オオカミ少年のようになっていた。