不登校が輝く日

子供2人中学時不登校でした。

byウパリン

家庭教師の思い出①

2016-04-06 00:09:28 | 日記
 長男が2回目の不登校になってしばらく経ち

 勉強面が不安になり、家庭教師をつけようと考えた。

 知り合いの人に相談すると「家庭教師と個人塾をやっている人で、よい人がいる」と紹介され、

 早速来てもらうことになった。


 その人は家にやってくると、いきなり息子の部屋に入っていき

 「二人で話させてください」と私は部屋から追い出された。

 何を話しているのか、2時間くらい部屋から出てこず、

 出てきた彼は「お母さん、ちょっと息子さんをお借りします」と言った。

 「え?」

 「ちゃんと送り返しますから」

 強引に息子が連れて行かれた先は、車で30分のところにある、彼の自宅兼個人塾だった。

 知り合いの紹介とは言え、初対面でいきなり息子を連れて行かれ、

 (人さらいだったらどうしよう)と、帰ってくるまで半ば真剣に心配した。

 どうやらその日は塾の生徒が来る日だったらしく、息子は同じ世代の見知らぬ塾の生徒達と2時間一緒に過ごし

 塾が終わってから無事に我が家へ送り届けてもらったのだった。


 この派手な登場をした人物は、劇団ひとりと大泉洋を足して2で割ったような風貌としゃべり方をしていた。

 ここからこの人物を『ひとり先生』と呼ぶことにしよう。

 
 ひとり先生は全国でも名だたる有名私立進学校のご出身ということだった。

 その進学校でおちこぼれて(自称)三流大学しか入れず

 資格を持つ職業婦人と結婚し、子供ができたときに妻の収入の方が多かったため

 自分があっさり会社を辞めて専業主夫になったそうだ。

 そして凄いことに、子供を背中におんぶしながら自分の家を手作りしたというのだ。

 まるで嘘のような話だったが、確かにその自宅は手作り感があり、「嘘のような本当の話」のようであった。

 
 
 「お母さん、この子に今必要なのは勉強じゃないです!」


 息子の勉強をみてやって欲しいと言う私に、ひとり先生は言った。

 ひとり先生はその後も容赦なく私を批判したので、その後私との関係はだんだんギクシャクしていったのであった。

 そしてそれとは裏腹に、彼は見事に息子の信頼を勝ち得て行ったのだった。

 
 ひとり先生の家には薪で火をおこす暖炉があった。

 息子はひとり先生の家に行くと、まず薪割りをやらされた。

 もちろん薪割りなんて初めての体験で、初めはうまくできなかったがだんだん慣れて上手になったそうだ。


 ある日曜日、ひとり先生は塾の生徒達を引き連れて自転車で1時間かけて突然我が家へやってきた。

 そしてまた「○○君を借ります。自転車ありますよね。」と言って、

 息子を自転車に乗せて、また1時間かけて生徒達を引き連れて自宅兼塾へ戻っていった。

 不登校でほとんど外出もしていない息子だったので、体力もないはずだった。
 
 本当に心配したのだが、無事に塾についたそうだ。

 ひとり先生にはハラハラさせられっぱなしだった。

 「帰りはお母さん迎えに来てください」

 と言われ、夜、車で迎えに行った。

 「お母さん、まあ中へどうぞ」

 手作り感溢れる建物は仕切りがなく、玄関を入ってすぐが暖炉のある居間兼学習室だった。

 他の生徒達は皆帰っていて、暖炉の前には息子とひとり先生と2匹の猫がいた。

 ひとり先生は、パチパチと火の粉を放ちながら燃える暖炉の前で

 中学生の時に自分も不登校だったことや、リストカットをした経験などを息子に向かって語り出した。

 暗い照明の中で暖炉の火がひとり先生を照らし、まるで映画の1シーンのような幻想的な演出となっていた。

 そしてひとり先生は大泉洋のような口調でこう言い放った。

 「学校なんか行かなくっていいんだよ」