不登校が輝く日

子供2人中学時不登校でした。

byウパリン

三歩進んで二歩さがる

2016-03-31 06:01:12 | 日記
 先日、小学校時代の友達と遊びに出かけた次男。

 昼夜逆転して前の晩寝ていなかったのだが、朝突然お誘いがあり

 最初は「行かない」と言っていたけれど

 私が「行った方がいいよ」と言うと少し考えて「じゃあ行く」と

 いそいそと身支度して、マスクとフード着用して出かけた。

 ずっと引きこもり状態だったので、久々の外出。


 朝から出かけて、映画を観て、公園で遊んで、友達の家へ行って、帰ってきたのは夕方。

 私が仕事から帰ると疲れて眠っており、夕飯も食べずにそのまま15時間眠り続けた。

 遊んで楽しかったのかどうかはわからない、

 その後の機嫌は普通。良くも悪くもない。「筋肉痛で脚が痛い」と言っていた。



 そしてまた昼夜逆転。

 夜中3時過ぎに私を起こしに来て「どうせ俺なんか」とネガティブ発言を繰り返す。

 「母さんはあんたが生きていてくれるだけでいいんだ」と言うと

 「どうせそんなこと思ってないくせに。信用できん」

 「本当だよ」

 「信じられん」

 「友達と遊びにいけて偉かったね」

 「どうせそんなこと思ってないくせに」

 「本当に思ってるよ」
 
 「お世辞はいい。心にもないこと言うな」

 「なんでそんなこと言うの」

 「だってそう思うから」

 こんなやりとりを何度も繰り返し

 朝6時頃に次男は眠りについた。


 不登校に入ったばかりの頃と同じ状況になっている。

 始業式が近づいてくるので、不安になっているのだろう。

 
 3月は三寒四温。

 次男と私の心も三寒四温。

 3歩進んで2歩さがり、1歩でも進んでいるならそれでいい。



 

放課後登校の思い出

2016-03-30 22:08:29 | 日記
 長男が不登校になったとき、学校からできるだけ遠ざけたくなかったので

 早い段階で放課後登校をさせていた。

 学校は休んでも、放課後には学校へ行くように強制させた。

 真面目で従順な長男は素直に従った。

 
 担任のF先生は、子供達からも保護者からも信頼が厚い女性教師。

 「毎日9時頃まで学校にいるから、何かあったら電話して」とよく言われた。

 ご自身も中学生のお子さんがいるというのに遅くまで学校に残って凄いなあといつも思っていた。

 F先生の生徒達を見る目は、母親目線。

 全員の生徒たちのことを下の名前で『何々ちゃん』と読んでいた。

 子供達が大好きというオーラが滲み出ていた。

 不良生徒たちもF先生にはなついていた。

 私は密かに彼女に『女金八』とあだ名をつけた。


 放課後登校は午後6時頃、生徒たちが皆帰った後

 制服を着た息子を車に乗せ、歩いて5分もかからない中学校へ車で乗りつける。

 徒歩では誰かに見られる可能性があり、息子が嫌がるからだ。

 この時間、学校の入り口にはロックがかかっているため、インターホンを押して名乗る。

 すると 女金八先生が玄関まで出迎えてロックを外してくれる。

 女金八先生と3人で、真っ暗な階段をのぼり、長い廊下をぞろぞろ渡り歩いて教室へたどり着く。

 冬の午後6時の学校は真っ暗で人気がなく、お化けでも出そうな雰囲気。


 女金八先生と向かい合って座ると、彼女は優しく明るくたわいもない会話を投げかける。

 息子は真面目な顔で返事をする。

 私は教室内の掲示物が気になる。生徒達の新しい作品の中に息子のものはない。息子不在の教室。


 放課後登校は、教室で少々会話をするだけのこともあれば、定期テストを受けることもあった。

 長男がテストを受けている間、女金八は自分の机で事務的作業を、私は後ろの方の机で読書をした。

 テストは1日1教科ずつ、数学、理科、社会。好きな教科のみ。

 テストを受けた教科の通知表は2がついたので、オール1は免れた。

 女金八は数学教師。数学だけは3がついた。

 女金八は笑いながら言った。

 「○○ちゃんは凄いねえ。先生んちの子は毎日学校へ行ってるのに数学は1なんだよ」



 放課後登校すると「欠席」ではなく「遅刻」にしてもらえる。

 通知表の欠席日数が1日でも減ることが嬉しかった馬鹿親。

 制服を着た息子の姿を見るだけで嬉しかった馬鹿親。

 

 
 放課後登校は親の自己満足だった。

 

過去の反省

2016-03-29 21:34:57 | 日記
 今まで封印していた、上の子が不登校だったときに書いていた日記を

 遅ればせながら読み返した。

 必死で学校へ行かせようとしていたのを思い出した。

 自分の子供が不登校になって『恥ずかしい』『情けない』と感じていた。

 近所のお母さん達に会いたくなかった。

 とにかく学校さえ行ってくれればそれでいいと思っていた。

 
 「休んでいいよ」と言いながら、それは『期限付き』だった。

 常に「いつから学校へ行く」と約束させた上だった。


 エネルギーが貯まっていないのに学校へ行かせ、またすぐに行けなくなり、

 挫折を繰り返させ、その結果、子供を追い詰めてしまった。

 
 何というダメ親だったのでしょう!!

 
 長男には酷いことをした。

 
 あの頃に戻って、「大丈夫、未来は明るいよ」と、息子と自分に言ってやりたい。

 
 そして今、2回目なので上手に対応できているかと言えば、決してそうではない。

 不安だらけで辛いのは同じ。

 
 
 でも、今日次男は小学校時代の友達で地元中学に通う子達に映画に誘われて、出かけることができたよ。

 彼らは中学校が違うので、次男の不登校のことを知らないはずだ。

 友達と遊べたからといって、すぐに学校へ行けるとは限らないけれど

 明るい兆しが見えてきたよ。



 

希望の光

2016-03-27 18:24:17 | 日記
 上の子が不登校を克服した後

 不登校だったときのことは思い出したくなかった。

 もうずっと昔のことだったように、忘れて生活していた。

 だから罰が当たったのかな、、、

 

 上の子が不登校だったとき、不登校関係の本をアマゾンで片っ端から注文して読んだ。

 あまり役に立たない本が多かったが、

 心を救われたのは、過去に不登校だったけれど克服して社会生活を送っている人たちのことが書かれた本だった。

 
 不登校の間、全く勉強せず、ゲーム三昧、ネット三昧、他人との交流を絶ち、

 この先この子はどうなってしまうんだろう、、、

 社会に戻れるのか、、、

 一生このまま引きこもりなんだろうか、、

 とても不安だった。

 そんな不安を払拭してくれる不登校克服サクセスストーリーは希望の光だった。

 でも、そんな話はその辺には転がっていなかった。
  

 上の子の体験談は、今不登校で悩んでいる親御さん達の希望の光になるんじゃないか

 そう思って ブログを書くことにした。

 
 それを気付かせるために、下の子が不登校になったのかも知れないな


明るい色の服を着よう

2016-03-27 17:41:56 | 日記
 
 上の子が不登校だったときにやっていた無料オンラインゲームを4年ぶりに再開した。

 ゲームでもやっていないと気分が滅入る。不登校の子供がゲームにはまる気持ちがよくわかる。


 4年前にオンラインゲーム上で知り合った人に再会した。

 オンライン上で「おひさしぶり」と挨拶した。
 
 その人は私がやめていた4年間ずっと続けていたらしい。



 子供が不登校だと、親も抑鬱状態。

 休日は何もする気にならない。

 仕事があってよかったよ。仕事している間は忘れていられる。



 以前読んだ不登校の本に、「せめて親は明るい色の服を着よう」と書いてあった。

 他のことはともかく、それだけは守っているwww

できることから始めよう

上の子のこと

2016-03-26 20:05:22 | 日記
 今日はお兄ちゃんの入学式用のスーツを買いに行った。

 もうすぐ晴れの入学式。

 4-5年前、こんな日が来ることは想像に難かったなあ、、

 
 地元の公立中で1年の2学期から部活で悩んで不登校に。3学期から無理矢理行かせたらそのまま行けるようになったが

 中2の10月からまた不登校。中2の終わりまで学校へ行かず。

 2度も不登校になってしまい、元の学校へは2度と行きたくないと言う。

 中3の4月から夫の実家に下宿させてもらい、そこから公立中学に通った。

 家から離れてよく頑張ったと思う。夫の両親にも感謝である。

 転校してからは2,3ヶ月に1日くらい「疲れた」と休むことはあったが、年間で欠席は数日。

 時々深夜に電話。うじうじうじうじネガティブなことばかり言っていたが、1時間くらい話を聞いてあげて、「大丈夫、大丈夫」と励ました。

 勉強の遅れを取り戻すため家庭教師をつけ、塾にも通わせた。

 人生を語り合える友人もできた。

 中学校の卒業式は最初から最後まで涙が止まらなかった。

 高校は自宅から通える私立進学校へ。

 高校でも人間関係に悩むことは色々あったけれど、

 高3では1日も休まず、勉学に励み

 国立大医学部医学科に現役合格。

 凄いなあ、、、、お兄ちゃん

 

不登校の原因は?

2016-03-25 19:28:50 | 日記
 冬休みに入る前くらいから、朝になると気持ちが悪い、頭が痛いと言い、五月雨登校になった次男。

 冬休みの間は元気だったのに、3学期初日から泣いて学校へ行くのを拒否。

 2学期の途中までは、とても楽しそうに学校へ行っていたのに、、

 いったい何があったの?

 原因はまったく分からず。担任教師も首をかしげるのみ。


 2週間ほど経ったところでしびれをきらし、夫と二人で「学校へ行けなくなった理由を言いなさい」と問いただしたら

 授業中にしゃべっていたら教師から「腐ったみかん」と言われたのがショックだったと言う。

 学校にそう伝えたら、学年主任と担任と張本人の教師が3人家へやってきて、次男に謝罪した。

 次男もそれに対し、「ぼくも私語をしていたから悪かったです」と言っていた。

 教師が家まで謝罪に来たので、これ以上休む理由がなくなり、学校へ行きだした。

 でも、また行けなくなった。
 
 「腐ったみかん」が原因じゃなかったんだよね。やっぱり。。。


 3学期は終わってしまった。

 新学期が近づいてくる。

 2年生からは学校へ行って欲しい。

 親子共々、不安な春。


ゲームは禁止しない

2016-03-25 19:02:15 | 日記
 上の子が不登校だったとき、昼夜逆転してゲームとネットばかりやっていた。

 ゲームとネットを取り上げてはいけないと本に書いてあったので、禁止しなかった。

 昼夜逆転は直して欲しかったが、不登校の子は昼間みんなが学校へ行っているときに起きていると辛くなると書いてあったので

 これも仕方がないと思っていた。
 
 皆が眠っている深夜は気分的に楽。朝が来るのが辛い。

 


 エネルギーが貯まったら必ず学校へ行けるようになると、信じようとしていたけれど、

 このまま引きこもりになるのかなあ、と半分くらいは思っていた。

 先が見えなくて、辛かったあの頃。

 出口の見えない長い長いトンネルを歩いているような気持ち。

 でも、そのうち遠くに明かりが見えてきたよ。

 
 今は下の子がゲーム三昧。ゲームをやっていても楽しくないけれど、やることがないからやっていると言う。

 やることないなら勉強したら、、、と言いたいけれど、それは言わないようにしよう。

 ゲームをしながら子供はこのままではいけないと考えている。

 エネルギーが蓄えられてきたところで、登校刺激。

 
 エネルギーは、、、
            いつ貯まる?
 

不登校は骨折みたいなもの

2016-03-24 05:59:33 | 日記
 不登校は骨折みたいなものと 以前読んだ本に書いてあった。
 だから治るには数ヶ月単位の時間がかかる。
 すぐに治る特別な方法はないと。

 骨折が治ったかどうかはレントゲンを撮れば判断できるが
 心が折れた場合、治ったかどうか客観的に判断できる方法はない。
 今どの程度まで治ってるかは、言動、表情などで推測するしかない。

 その判断が、なかなか難しいのである


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2人目不登校

2016-03-23 21:50:50 | 日記
 上の子は公立中学で不登校になったので、下の子は私立中高一貫に入れた。 
 
 上の子はネガティブ思考、神経質で周りの目を気にするタイプ、
 下の子は明るく友達が多くて楽天的、小さなことを気にしないタイプ

 性格も学校の環境も違う二人。

 下の子が不登校になるなんて、全く思いもよらなかった。

 上の子が不登校だと下の子も不登校になりやすいというが、その通りだった。
 
 上の子が不登校だったのを見てきた下の子は、
 『学校で嫌なことがあったら学校行かなくてもいいんだ、だってお兄ちゃんだってそうだったし』
 と思うのでしょうか。

 しかし、子供2人とも不登校になると、親の育て方のせいではないかと
 周囲から思われるだろうし、自分自身もそう思ってしまう。

 何がいけなかったのだろう・・・

 けれど、そう思うのはやめよう。



 

 

信じて待つ

2016-03-23 21:25:06 | 日記
 子供が突然学校へ行けなくなったら、親はどうしますか。
 まずは原因探しをするでしょう。
 学校でいじめられているんじゃないか、何かよほど嫌なことがあったに違いない、そう考えるのが普通でしょう。
 そして子供に問いただします。
 「学校へ行けなくなった原因は何か」と。
 しかし、すべての不登校の子供に明確な原因があるわけではありません。
 子供自身にも原因がわからないことが多いといいます。
 ついつい原因を追及したくなるのですが、ある程度聞いても子供がはっきり言わない場合は
 それ以上詮索するのはやめましょう。

 エネルギーを蓄えたらまた学校へ行けるようになることを
 信じて待つ
 ひたすら信じて待つ
 今はそれだけ