今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

残酷な歳月 27 (小説)

2015-12-28 10:30:03 | 小説、残酷な歳月(16話~30話)

残酷な歳月
(二十七)

荷物の中には、数点の衣服と、窓につるされていた、ジュノの知る母の姿とは、あまりにも違いすぎる、ホコリまみれの汚れたカーテンが小さな窓にかけられた、3畳ほどの狭く、汚れたあの部屋!

ジュノはなぜか、あの時、どうしても気になって、この奇抜で派手な色あいのカーテンをあの部屋に残して帰る事が忍びない思いに駆られて、持ち帰ったのだった。

持ち物の中には、なぜか、二~三歳用の、女の子の可愛いフリルのついた、薄い色のピンクのワンピースが一枚入っていた、どちらかと言えば、かなり、着古された物だった。

擦り切れたブラウスや下着が一組ほど!
あまりにも粗末な、母の洋服の間から出てきた!
『一冊の本!』

この母の持ち物を、ジュノが、持ち帰って直ぐに、ひとつ、ひとつ、見たはずであったのに、あの時は気づかなかったのか・・・
『イ・ゴヌ』
『キム・ソヨン』
と言う名前の記された、読み古された、詩集が一冊入っていた。

その詩集に挟まれた、生後間もない、赤ちゃんの写真があったが、写真の角々が擦り切れた、白黒写真だが、明らかに色やけして、かなり、古いものだとわかる、誰が写されているのかはわからないけれど、一枚の大切な写真のようだった。

詩集を読んでみると、あきらかに、内容は反戦の詩だった。

「さようなら、さようなら」
「正しき道を捨てた者よ」
「神はもう何処にもいない」
「若者を照らす光は消えて」
「闇がすべてを支配する」
「暗黒の世が支配する」
「この呪われた民の哀れ」
「救い主を闇が抑えて離さず」

このような内容の詩がつづいている、母はこの詩集を、おそらく、いつも大切に、持ち歩いて、何度も、何度も、読んだのだろう、手垢で汚れ、本の角々が擦り切れている。

所々に、メモ書きがされているが、かなり古い時期に書き込まれたのだろう、あおいインク文字が、判別できないほどに、薄くなっていた事を思うと、本当に長い時間が過ぎて行った事が、ジュノの心を締め付けるような思いにさせた。

母はこの詩集を繰り返し、繰り返し、読んで、どんな事を思い、考えていたのだろうか・・・

母は永遠にこの世界から排除されてしまった定めを、ジュノには認める事など出来ない!
そして、とても古い、写真の人物は誰なのか、おそらく、母にとっては、大切で、生きる心の支えだったのだろう。

この、色あせた、今にも、砕けてしまいそうな写真が、ジュノは、大切に又、母がしていたように、そーと、詩集にはさみ、閉じた。

今はもういない
母の面影を
美しき人の手が
頼りなく抱きしめて
夢の中で感じる
母のぬくもり
愛に飢えた手は
ただ悲しみの
美しき人の姿
色あせた私がいる


(母は不条理な運命に耐えて)
母の荷物の中からは、ほかの何も手がかりになるような物は、なかった、数枚の着古した衣服があっただけで、あまりにも、生活感のない、不条理さを感じて、母の残酷な運命の理不尽さを悲しみよりも、誰に向ける怒りなのか、底知れぬ不安と切なさがジュノを苦しめていた。

ただ、詩集の中に挟まれていたメモ書きの一枚が、ジュノはなぜか気になって、時々思い出しては見る、そんな日が続いて、思い切って、養父母に訪ねた。
「白山上」「南天堂」の文字・・・

最初は養父母も気づかなかったが、思い出してくれた!

父と母、そして今の養父母たちが、まだ、結婚する前に四人で会い、楽しく過ごした思い出の場所だった。

今はもう、お店も、地名さえ無くなってしまったが、両親たちが若い頃、まだ、お互いが大学生で、どちらからともなく、魅かれ合う、恋心がめばえた時期によく待ち合わせの場所としていたのだと、養父母が教えてくれた。

父も養父も東京大学に通う大学生で、母と養母は南天堂という書店の近くに下宿していたから、待ち合わせ場所として、都合が良かったとも説明してくれた。

父と母の若く、純粋な恋愛の始まりを思いながら、あの事故さえなかったら両親や妹の運命が変わることなく、今も家族、それぞれに幸せでいられただろうと思いながら、母は自分が誰なのかもわからなくなっても、幸せだった日々を忘れまいとして、メモ書きして持っていた事の母の心情があまりにも残酷で悲しくて、やりきれない・・・

そんな中で、安曇野のりつ子からは、何の連絡もなかったが、山岳ガイドの佐高さんから電話が来た。

りっちゃん(りつ子)からはあまりにも、不確かな事ばかりで、ジュノに申し訳ないからと、口止めされているのだが、それと、りつ子が、もう間もなく、お向かいが来る!
そんな、うわごとをいいながらも!

ジュノさんの事をとても気にしているので、やはり、話す事にしますと、連絡があった。

りつ子の父が佐高さんと同じように、山岳ガイドをしていた時期にりつ子の親父が聞いてきて、家族で話題になった、話だそうだが!

他のガイド仲間が偶然に出会った事、古い話なので、関係者もおそらく、忘れてしまっているかも知れないが、不確かな事の連絡で、すまないね~といいながら・・・

あの二十七年前の事故のあと、半年か、そこいら、過ぎた時期に、ジュノさんのお母さんと妹さんと思われる人を、日本海側の町!
『糸魚川温泉の宿』


       つづく


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