今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

残酷な歳月 44 (小説)

2015-12-30 15:16:03 | 小説、残酷な歳月(43話~最終話)


残酷な歳月
(四十四)

今の状況を心だけは兄と妹、寛之と樹里として、時の流れのままに受入れて行こうと、言葉として交わさなくても、同じ思いのふたりなのだと感じて、たとえ、大杉の伯父からの言葉ではなくても、きっと、心から信じ伝わるだろうと、ジュノは今、そう思う事にした。

次々と起きる、非日常的な事も、10歳の幼い頃から、ある意味で、ジュノは自分の運命が平坦ではなかった事で、平常心を保つすべを学んでいたのだろうか、開業したばかりの小さな病院は待ったなしでジュノを求められて・・・


(ジュノと直樹の選択)
傷心のまま、岡山に戻って行って、しばらくは何の連絡もなく気になっていたジュノへ、唐突に直樹(樹里)から、手紙が届いた。

先日の東京での事!
驚かせてしまった事を詫びて、お世話になったお礼と、血の繋がった、家族として過ごせてた事の喜びと幸せを感じたと、どこか、無理に心を隠した、妹、樹里からの手紙には書かれていた。

そして、手紙の中には、思わぬ人からのたよりも入っていた!
まだ、一度も逢えずにいる、大切な人!
祖母『キム・ソヨン』からの手紙だった!

『愛しい孫、イ・ジュノへ』
どうぞ、このばばに逢いに来て下さい、たくさんお話がしたい!
『言葉にならない思いと愛しさで、この胸が張り裂けそうです!』

ジュノへのわびる言葉は、会ったときになんべんでも、何度でも、言いましょう!
今は、ただ、大切な事!
ジュノに知っていてほしい事をここに書かせてください!

もう、知っていると思うけれど、貴方たちの母と大杉さんとは兄妹ですが、父親が違いますが、今、その事を詳しく、説明する事は出来ません!

大杉の伯父さんの父親は、朝鮮がまだ、日本に統治されていた時代に、朝鮮にいた日本人です。
名前を言えるような人物ではなかったのです!

伯父さんも知らないと思います、だから、貴方たちも知ろうとは思わないで下さい、ただ、私は、伯父さんを生んだ事は、決して、誰に恥じる事無く、
『あなた方の、伯父さんをとても愛しています!』

そして伯父さんの養父母である、大杉家は統治時代に朝鮮で、貿易会社を経営していました。

私たちの独立運動にも、日本人である立場上、表立って、賛成してはもらえなかった。
けれど、とても、親しい関係でおつきあいをしていました、かげながら、財政面で助けて頂いた事もあります。

だから、朝鮮が日本から独立した時に、大杉家には子供がいなかった事と伯父さんの父親は日本人でもあるので、大杉夫妻の実子として、大杉夫妻と一緒に日本に渡ってきたのです。

その後の朝鮮は、言葉にする事も出来ないほど、むごく、虚しい戦争と混乱した時代が続きました。

同じ、朝鮮民族同士が殺しあう、戦争の時代は、親しい人間関係を、醜く、憎しみ合い、いがみ合い、人間として、相手を否定しあう、戦争、悪魔の支配する時代がつづいて、私たち家族のほとんどが死んだり、又、今現在、北朝鮮といわれている地へ渡って行ったあと、行方も、生死さえ、今も分からないままです。

韓国に住む私たちも、ベトナム戦争!
アメリカが仕掛けた戦争に、追随を迫られて、韓国も参戦する事を反対する運動の中で韓国での、反戦運動が難しい状況になった時に、貴方たちの伯父である大杉さんが、私たち三人を日本に連れて来てくれました。

在日韓国人として、翻訳の仕事をしながら、今日まで生きてこれたのは、大杉家や蒔枝家の助けがあった事も聞いています。

つい最近まで、私たちは、娘である!
『スジョンの家族は、あの山での事故で、全員が亡くなったと!』
思っていました。
確かな事ではないのですが、韓国での私たちの平和運動を反対する組織により、迫害を受けて、この世にはいない存在にされたものと思っていました。

たとえ、どんなに、平和を願い!
『戦争など無意味な事!』

と言いつづけても、身近な愛しい家族をも犠牲にしての運動に疑問を感じた事もあります。

けれど、今もまだ、世界の多くの地で、同じ人間同士、同じ民族同士や信じる神がちがう事や、権力者の欲から、争いが起きている事がとても悲しい事です。



           つづく


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
韓国を意識したのは1973年に「金大中氏」が日本のホテルに滞在中に拉致され、5日後に傷だらけの姿で、自宅前で解放された、ニュースを見た時、

国際問題などに気にするほどの余裕もなく、子育てや生活に忙しい日々の中で「金大中氏」の事件は、それまでの私の思考を大きく揺るがすほどの出来事でした。

又、もうだいぶ昔ですが、日本の統治時代に子供で日本語を強制的に教えられた方が戦後、日本に来た在日韓国人のある方のインタービューを聞き「母国語より、先に、日本語で物事の判断をしてしまう事がとても悲しい」
この言葉がとても記憶に残ることでした。

たぶん、このつたない小説<残酷な歳月>を書く、原点だったように思われます。

☆  ☆  ☆

今日のニュースで、アメリカのオバマ大統領と韓国のパク大統領の会談があったそうだけれど、内容は私は書けませんが、いまだ、戦後の力関係を引きずりながらの外交、日本を含めて、アメリカのプライド戦争?にかかわる事が心配です。

アフガニスタン、パキスタン、イラン、トルコまでも戦争の火の粉が飛んできそうで・・・

今、韓国との関係も良いとは言えない状態の時、つたない小説として書く事が良いのかわかりませんが、日本と韓国の良い関係であるように願いながら、平和を願いながら、連載させていただきます。




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